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第16話

 天城が口を開いた。けれども、それは俺の叫び声に返答するものでもなければ、俺の期待する声でもなかった。


「場所を、変えようか? そうだな、食堂は人が多いから、うーん、僕のうちにでも来てもらおうかな? そこなら誰もいない訳だし」


 俺の思考はもちろんついていってなどいない。何より知りたいのは、今、何故、ヤンがそこにいるのかということと、ヤンに対して、どうして契約の責務を果たしに来ないのかということであった。怒り? 悲しみ? そんな感情は湧いていない。何故なら、何が起きているのか、全く以て理解できないからである。俺は、まず、知る必要があったのだ。だから言った。


「訳が分からないが……とにかく、お前から説明を聞かせてもらえるってことか?」


 ヤンがいきなりいなくなった理由──ヤンから直接聞けばいい話だ。が、ヤンは俺の方を見ることもなく、興味なさそうに、どこか遠くを見ている。その態度がまるで意味不明であったし、俺は、そんなヤンの態度に嫌悪感を覚えざるを得なかったのだ。今、この場で問い正してやりたい、けれども、一方で、何事もないように平然と天城の横に立っているヤンが不気味で、話しかけ難い者のように思えてしまったのである。

 何が起きているのかは相変わらず分からないが、とにかく、ヤンの態度が、あまりにも冷め切っている、無関心、まるで俺を知らないかのようなものに思えたのだ。俺は今までこの目の前のプリティな悪魔くんと一緒に生活をしていたはずなのに……。

 それが一転、この訳の分からない状況になっているのはなんだ!? いつから狂ったんだ!? うーん、あー、なんというか、姫野、あいつから、かな……?

 ともあれ、俺は、天城の後ろをついて移動する。なんでこいつの家に行かないといけないんだ、という疑問は、天城の横を歩き、俺に対して一度たりとも振り向いて目線を合わせようとなんてしなかったヤンの後ろ姿を見続けることによって消え去ってしまっていた。

 俺は、それらのヤンの行動に、ある種の怖さを感じていた。ゾクゾクという音をたてて、不気味が俺に迫っているのである。未知、理解不能、そういった物は怖いものなんだ。俺は恐怖を覚えていた。俺が何かしてしまったのだろうか? 契約を反故にするような何かをしてしまったのだろうか? ヤンが天使の横に付き添うようにして歩いている理由は? 意味不明過ぎて、俺の思考は一向にまとまることはなかった。

 そして、得てして、不幸というのは、こんな風に自分が何も知らないところで、音も経てずに忍び寄ってきているものなのかもしれないと考え始めていた。俺が、きっと何とかなるだろうと楽観的に過ごしていた五日間のうちに、とんでもないことが起きていたのかもしれない。それが、今、こうして、目の前に現実として表れているのかもしれない。そんなことを考えると、心拍数が上がり、嫌な汗が沸き出てくる。

 バク、バク、心臓が高鳴る中、天城の家の部屋へ上がり、ごく自然にローテーブルを挟んで座る。そのごく自然に座った配置が、俺を対面にして、天城とヤンが並んでいるという形なのだから、俺は、もう頭を抱えたい気分になってしまう。ヤンの相変わらずの冷たい目も、俺を悩ませる大きな原因の一つだ。いやね、そりゃ、俺だってこれまでヤンきゅんから沢山の冷たい目を向けられてきたよ、でも、これまでのどれとも違うんだよ。冷たいは冷たいでも、無関心、そう言うのが一番正しかろう。それが、やっぱり、怖いんだ。


「さぁて、と。お茶でも飲むかい?」


 天城の部屋は、小奇麗だった。整頓された、生活に必要な最低限の家具だけがある部屋。テレビさえない。一体この部屋で何をしているって言うんだろう。本棚に埋め尽くされている本がその答えなのだろうか?

 俺は、天城の質問に答えもせず、そんなことを考えようとしていた。天城は、けれども、何も言うでもなく、立ち上がり、台所へと向かっていった。残されたのは、天城の部屋に、俺、ヤンの二人。


「なぁ、ヤン。お前──」


 俺が口を開いたと同時に、ヤンが、じろっと俺を見る。まるで、無機物を見るかのような目に、俺の言葉は止まる。そして、ヤンに何か言ってくれと願う。何か、説明があってもいいんじゃないのか、いきなりいなくなったのはなんでなんだ、俺はそれを問いたかったし、もっと言えば、それらのことをヤンに、今、この場で話してほしかった。

 希望を言えば、あー、なんとなくだよー、だとか、たまにはいいでしょ、気分転換になったでしょ、だとか、いきなり表情をガラッと変えて、馬鹿にするような笑顔で言って欲しい。いや、心のどこかでそんなことを考えていた。

 いきなり、俺を見下すよな笑みで、天使とつるんでさぁ~、いやね、お前を地獄に落としてやろうと思ってさぁ、なんて笑いながら言ってくれたらどんなに気が楽だろうか? そして、俺は、そんな可能性をまだまだ信じていた。だって、それ以外に考えられる可能性がないんだもの。希望にすがるように、俺は、ただ、ヤンのことを見つめることしかできなかった。酷い空腹時に何か食べ物を胃に入れた時のような安心感、ほっとする気持ち、俺はそんなものを欲していた。

 けれども、俺の予想に反して、ヤンは再び俺から目線を外し、興味なさそうに、ふぅ、と一つため息をついていた。息が詰まる。


「お待たせ」


 天城はお盆に三個の湯呑を載せて運んでくる。湯気が立っている。お茶か? 良く分からん奴だ……。が、そんなことは今どうでもいい。俺は置かれたお茶に手を付けることなく、口を開いた。


「それで──説明、してくれるんだよな、この状況を」


 一度口を開いたら、俺の口は止まらなくなってしまった。


「大体、何なんだよ、ヤン! お前、一体、どういうつもりで、ほら、契約にあっただろ! 毎日性処理なんだぞ! それを反故にして、いきなりいなくなって、どういうつもりなんだよ!」


 ヤンという名前が出たからか、ヤンは一瞬だけ俺の顔を見たが、すぐに、視線を横に座る天城へと注ぐ。ねぇ、こいつ、どうにかしてよ、なんてことを言いたげな目線だ。その目線が天城に注がれているのだ。まるで俺が厄介な人間であるかのような扱いにしか思えない。

 そして、天城は、俺がまくしたてるのを黙って聞き終えた後に、ゆっくりと口を開いた。


「説明してあげよう。けれど、そうだな、その前に、心当たりはあるかな?」

「心当たり? な、何の話だよ」

「心当たり──うーん、そうだな、君、田中くんが何か悪い行いをしなかったかな、という質問だ。神は見ている」

「そんなもん──」


 してる訳ないだろう、と俺は断言したかった。しかし、頭の片隅にふわと湧いてきたのだ。嫌な感覚が。した、かもしれない。

 何か、したんだ。俺は、ヤンに対して何かをしていた。じゃあ、何だ? その、何か、ってのは……。


「──例えば、ほら……」


 俺が考えている間にも、天城が囁くように、アドバイス、をしてくる。


「誰かと、会った、とか……」


 あぁ、それだ、それだな。俺は会ったんだ。


「後は、嘘を、ついた、とか……」


 天城はまるで全てを知っているかのように俺の行動を知っているかのように呟く。そして、それは、全て当てはまっている。

 そうだ、俺は、ヤンへ嘘をついて、そして、姫野と会っていた……。


「で、でも、それ、それが! なんだっていうんだよ。べ、別にお前に関係ないことだろ!?」


 俺は、思わず声を荒げる。第一、気に食わないのだ、なんで天城がそのことを知っているんだ。それがおかしいじゃないか。天使だから? そんな理屈通るものかっ! ヤンに指摘されるならまだしも、無関係なこいつに指摘されることが気に入らないっ! 俺のもやもやとした感情の正体はこれだ。怒りだ。怒りをぶつけたかったに違いない。俺は、今、溢れ出る怒りをどうやって天城にぶつけてやろうかと考えていた。

 けれど、それより早く、天城がぽつりぽつりと話始める。俺はそれを黙って聞くしかないのだ。何故かって? 状況が未だに分からないからだ。ヤンがあっち側に座っているというこの状況が。


「君は、裏切ったんだよ、この悪魔を、ね。そうだろ、悪魔よ」


 天城がヤンを見る。ヤンは、小さく、こくりと頷く。俺のことを見ようともせず、天城を見ている。とろんとした目で見ているのだ。見たくもない光景である。


「君は、姫野結斗と関係を持った。それも、この悪魔をだまして秘密裏に会ってね」

「なっ、ちがっ……!」


 俺は反論しようとしたと同時に、何でお前がそんなことを知っているんだと言おうとした。けれど、それを言うということは、その事実を肯定してしまうことにもなりかねない訳で、口を閉じざるを得ない。それにしても、それにしても、だ──俺が言おうとしたことを天城は言ってくれる。


「でも、それがなんだというんだ、という顔をしているな? それはそうだ、えーっと、なんだったかな、悪魔と君との契約は確か──毎日性処理が、どうとか、そういったものだったね、汚らわしい……」


 吐き捨てるような表情で天城は言い、さらに続ける。


「要するに、最初は、別にこの悪魔だって、それだけを遂行しようとしていたんだろうね。だから、田中くんが誰と関係を持とうが、悪魔にとっては関係ないことなんだろう。悪魔なんだからね」


 何が面白いのか、天城は、ふふふ、と笑う。


「でも、うーん、やっぱりね、人間の体を持っていると、それなりに人間に似てしまうものなんだろうね、私だってそう。説明は難しいが……人間は、人間の体を持っているからこそ人間なんだ。人間の思考を犬の頭に移植することなんてできない。例え、人間の脳を犬の体へと移したとしても、そこにあるのは人間の世界じゃない。犬の体は思考するのに適した体ではないんだ。例えば色、犬は白黒で世界を見る。つまり、その時点で、彼らには、赤だとか、青だとかいった言葉の意味を理解できないのだ。他についても同じことだよ。──と、話がそれたね。とにかく、人間は、人間の体だから人間である。同時に、私のような天使や、こいつのような悪魔も、人間の体を持ってしまえば、それなりに感性は人間に近づいてしまう……」

「どういうことだよ、何が言いたいんだ」

「そういうことですよ。そのまま。この悪魔が仮に悪魔だろうと、人間界にいる以上は、人の形をしなくてはやりづらい。この形は、多分、田中くんが望んだ容姿なんでしょうが、とにかく、間違いなく人間の形をしている、いや、してしまっていると言った方が良いでしょうかね?」


 そう言われても、俺には、ヤンが今もまだ俺に目線を向けることなく、嫌そうな顔をしてこの場に座っていることの理由なんて分からなかった。


「人間には、情がある。情が、宿ってしまったんだろう──君に」

「……? そ、それは」

「簡単なことだよ。田中くんに、少なからず、情を持っていたんだ、この悪魔は。そして、その情にのまれようとしていた」

「…………」


 俺は押し黙るしかなかった。天城の言葉を待つより他、俺が、ヤンについて知る術を持っていないということを理解し始めていた。


「……まだ聞くか? 私は勧める。もうこの場からお前は去るべきだということを。そして、この悪魔のことは諦めるということを、だ」

「……」


 俺はけれども、無言で先を促した。


「──そうか、まぁ、いい。まだ分からないというなら教えてあげよう。この悪魔はお前に裏切られたと感じたんだ。そして、それによって、契約の責務を果たすことを放棄した」

「それで」


 俺は続ける。


「それで、だから、なんだっていうんだよ!」


 正直、天城に何かを言っても意味がないと思っていた。けれども、怒りをぶつけられる対象はそこしかなかった。ヤンと直接二人きりで話をしたい。そう思いながらも、ヤンに対して口を開くことは出来なかった。後ろめたいから、だろうか……。とにかく、直接ヤンへと罵声を飛ばすことは出来なかったんだ。言ってやりたいことは色々あった。お前、悪魔だろ! とか、お前は契約を果たすんじゃないのかよ! とか……。


「だから──か。そうだなぁ、よし、いいか。契約を破棄するんだ。契約主同士で同意の上でな。とても合理的だ。両者の同意があれば、例え一度結ばれた契約といえども破棄できる。両者の同意さえあれば、な。そして、今必要なのは、君の明確な意思、だよ。さっきのまま去ってくれれば、責務が果たされない期間が続き時間と共に契約は消えただろうが……この際だ、この場で契約を破棄してしまいなさい。なんなら、私のもつ宗教団体で洗礼を施しましょう。あなたが地獄へ行かないためのお手伝いをしてもいい」


 俺は、押し黙る。

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