第15話
結論から言おう。散々な目にあった。危うく俺の人生が終わるかと思った、社会的に。いやいや、まだまだ全くコトが終わった訳ではないのだが、とにかく、もう、悲惨な目にあったのだ。
事の発端は、勿論、あの姫野のことだ。もう、さん、なんてつけるものか。あのやろう……いくら俺が気持ち悪いショタコンマゾヒストだからといって、やって良いことと悪いことがあるだろう! 地獄を見たよ、ったくもう、ぶつぶつ。
あの後、ホテルに放置された俺は、縛られた腕を解くためにもがくも、それはもう厳重に縛られており、抜け出すことは容易ではなかった。というか、抜け出せなかった。その結果、どうなったかって? 簡単さぁ、ホテルの従業員に助けてもらうハメになったんだよぉ、畜生!
あー、もうね、何が悲しいってね、ホテルの従業員が、それはもうとってもとっても申し訳なさそうな顔をしながら、俺の拘束を解いていくんだよ。それでね、同情されるんですよ、大変でしたね、って。事件だよ、事件だけども! 大事にしたところで、痴話喧嘩で終わってしまうことは明白だったのよ! プレイの一環とか、そういう感じでね! もう一度言うぞ、畜生! 英語で言うぜ、シット! ファック!
さぁ、それでどうしたって、どうしたもこうしたもない。その後、俺は半笑い、半泣きでホテルの代金の支払いを終え、なきべそかきながら自宅へ帰ったという訳だ。
んで、これからどうしようと考えている訳だが──。
「まずは……姫野の奴に真意を聞く、べきだろうか?」
スキャンダルがどうとか言ってたけど、結局あいつは何を言いたかったのか確認する暇もなかった。思い返せば、そりゃあー、そりゃね、ちょっとはね、ほんの少しだよ? ほんのすこーしだけ、むふふ、って思いも出来た、気もしないでもない、んだけども! それで済む訳がない! あいつは絶対に何か企んでいるに決まってる。何も要求を突きつけることなく、今に至っているというのはどうにもおかしな話じゃないか!?
俺は、携帯電話を使ってメッセージを送信する。どういうつもりだ、というメッセージを送って待つ。
──が、返答は来なかった。
それから数時間経ち、俺はバイトの予定を思い出しバイトへ行ったりして、働いたりして、帰り道に水ようかんを五本も購入したりして──。
待った。ただただ、待った。
趣味のネットサーフィンも手につかない、うーん、何をこんなにイライラしてんだ、俺。無性に、むらむ──もとい、イライラするんだよ。
なんでかなと考えると、一つのことに思い当たる。
「……あいつ、なんで戻ってこないんだ?」
いくら、一日バイトで開けると言ったといっても、もう翌日の夕方。帰ってきてないんだ、ヤンが。
あいつには、俺の性欲処理という実に重大な責務があるというのに、それを無視して一体何をしているんだ、あいつは。いつも当たり前のように受けていたヤンからの罵声等々を受けずに、もう一日が過ぎているのではないだろうか?
俺は悩んだ。さてどうするべきか、と。
「あー、うまくいかねぇもんだなぁー!」
むしゃくしゃして、冷蔵庫の中身を除いてみる。水ようかんがこっそり減ったりしていないだろうか、という思いも込めて見てみたのだ。だけど、水ようかんは一本も減ることなく、ただただそこに座っていた。
そんな俺が出来るのは、普段通りの生活をすることのみ。ヤンがいないからといって、別に死ぬ訳でもない。
けれど、次の日も、そして、また次の日の夕方にも、ヤンは表れなかった。そして、もっと言えば、姫野からのメッセージも一切帰ってくることはなかったのである。
きっかけ? そんなもんは分からない。俺は休日を終え、学校に通ったが、そこに姫野の姿はあれど、勿論ヤンの姿なんてある訳もなかった。姫野に話しかけてやろうとも思ったが、相変わらず彼を囲う親衛隊の力は凄まじく、俺が付け入る隙は全くなかったため、残念ながら叶わない。
「ま、でもでもぉ? いいんじゃない? もともと、俺はそういう生活してた訳だしぃ?」
なーんて、自室で大きな声で叫んでいたら、
「キモチワルイ」
という罵声とともに、ヤンが窓から侵入してくるのでは、と思ったが、そんなことは起きない。あれから三日が過ぎたというのに、ヤンは俺の性処理というそれはもう重大で崇高で素晴らしい責務を忘れてどこかで遊んでいるというのだからたまったもんじゃない。大体、俺からヤンに対する連絡手段が全くないんだよ! 忘れてたわ! あまりにも自由奔放に、そして、ちゃんと毎日表れていたから、こんな状況になるとは夢に思ってなかったんだよ!
一日に何回か、冷蔵庫の中の水ようかんをチェックしてみるが、どうやったって減らないもんは減らない。そこに淡々と居座り続ける水ようかん……。もう食べてやろうかと何度思ったことか。
そして、ヤンがいなくなり、例の事件が起きてから五日目。俺は、流石に、いよいよ、おかしいぞ、と思い始めていた。
最初はさ、そんなもんそういうこともあるだろう、とか思ってたよ。そんくらいのことは。でもな、よくよく考えてみると、明らかにこれは不自然じゃないのか? と考えられるようになってきたんだ。
まず、いきなりすぎやしないか? ヤンがいなくなったことが、だ。ヤンが何の事前連絡もなしに、俺の元から姿を消すだなんて、そもそも契約違反じゃないんか? 契約ってやつはさ、やっぱり、悪魔にとってしてみたら、俺の想像に過ぎないけども、それなりに重要なもんだと思うんだ。それを放棄して、何日も、何の連絡も寄越さないというのは、それこそ、考えられる可能性として、ヤンに何かあったということがあげられるだろうよ。
じゃあ、ヤンに一体何があったのか、例えばー、そう、悪魔に起きる事件といったら……
そんなことを俺は講義中も、バイト中も、部屋の中でも考えていて、講義と講義の間、もっとも頭がぼーっとできる時間に、はたと思い当たる。
「……悪魔、祓い、とか?」
悪魔は人間じゃない。ヤンは人間じゃない。そんじょそこらの事故やらで死ぬだとか、そんなことは、多分ないだろう。じゃあ悪魔の身に起きるアクシデントといえば、悪魔祓い、エクソシスト、そういったもんじゃあないだろうか?
そういった類の人間に襲われたりしていたら──一応、ヤンがいきなり姿を消したという点に説明がつく、のではないだろうか。
「……うーん」
だが、そうだといって、俺に一体何が出来るというんだろう? いきなりだったのだ、何もかもが本当にいきなりなんだ。ヤンが現れたのだって、それはもういきなり、唐突、何の前触れもなく、だったし、ヤンがいなくなったのだって、いきなり──。
何の前触れも、なく……? いや、違うぞ、よく考えろ、ヤンが俺の前に現れたのは、いきなりなんかじゃない。原因は俺の妄想──それが、召喚のトリガーとなった。当たり前のことだが、物事にはきっかけがある、今回のことにも何かきっかけがあるんじゃないか……。
ヤンがいた生活を単なる妄想で片づけることは、まぁ、出来る、かもしれない。今思い返せば、ヤンとの思い出は夢のような心地よさだった。しかし、夢じゃない。例えば悪魔だろうが、なんだろうが、ヤンはそこにいたんだ。
そこにいた。何か、ヒントはないんだろうか? ヤンがいなくなったヒント……。
「姫野、の件か……?」
姫野が俺を散々な目に合わせた時から、ヤンがいなくなった。タイミング的にはそれはもう見事過ぎるくらいにピタリと一致する。何も原因に関係ないと考える方が難しいくらいの、完璧なタイミング……。けど、だからといって──その二つを結びつけるには、あまりにも事態がかけ離れていた。
結びつかないのだ。二つの物事が。
けれど、ヤンの失踪について、これ以上何かを考えたところで、何も出てきそうもない──ヤンとつながりがあった人間といえば、俺、姫野、そして、天城……だめだ、やっぱり結びつかない。天城は天使だということもあり、何か知っているかもしれないが……。本当に天使なのか、知ったことではないけどな。
俺は、更に思考を深める。いつの間にか次の講義が始まっていたが、んなことは関係ない。ノートにメモを取るような不利をして、ヤン、姫野、などと無意味な文字列を書き並べたりしてみる。
「姫野……姫野……」
姫野、今も、俺の視界に入る中で何とも暇そうにノートを取っている。俺のメッセージに返信することもなく、かといって、何も要求を突き付けてくることもない。
……何も要求を突きつけてこない……? 俺は、僅かに違和感を覚えた。
おかしくないか? それって。なんでだ? あの俺を辱める行為に一体何の意味があったっていうんだ? 俺の中に僅かに生じた違和感は、閃きと呼べるほどに大きくなっていった。そして、何か、この先に、隠された真実があるのではないかという思考へと道が通じていくような感覚に襲われた。
あんな俺のあられもない姿をパシャパシャと撮影しておきながら、俺からのメッセージを無視し続け、それどころか要求さえ何も突き付けてこない。不自然だ。何が不自然か、そんなことは、考えれば分かる。何もしてこないことそのものが不自然なんだ。これが一体何を意味しているのか……。
答えは簡単だろう。既に、要求などする必要がないのだ。言い換えれば、もう姫野の奴は、何かしらの利益を得ている、と言えばいいか。もしそうだとしたら、俺からのメッセージを無視することも、姫野が何の要求も突き付けてこないことも一致する……。
けれど、だから、なんだというのだ。俺の思考は再び暗礁に乗り上げた。
俺は、ノートに書かれた、姫野、ヤンという文字を見つめる。そして、ヤンが接触した人物の一人、天城の存在について考えてみることにする。
いや、けれど、考えてみるも何も、何も判断材料がない。
となると……俺に出来るのは、もう一つしかない。天城に接触すること、それだけだ。無論、そこに答えがあるとも限らない──が、今俺が持っている情報の中で、唯一残っている、探れる可能性がある人物が天城だけなのだ。
これしかない──俺の、理想のヤンきゅん従えライフを取り戻せるかどうか、ここにかかっていると思う、しかない。
講義が終わって過ぐ、俺は行動に出る。
まずは、校内を探し回る──まずはというより、それしか手がかりがないから仕方ない。とはいえ、天城がいそうな場所と言っても、勿論思い当たる節なんてあろうはずがない。うーん、どこだ、どこだろう? 天城、天城、あいつとあったのは、あー、そうだ、食堂だ。
食堂へ向かう俺。何人もの学生とすれ違う。
着いて、すぐ、視界に入るのは、天城──。まるで、待ち構えていたような目で俺を見ていた。目が合ったのである。食堂の目の前で待っていた、と言った方が正しいだろう。文字通り、待ち構えていたのだ。俺が来ることを見越したような目で。そして、彼は言った。
「遅かったね」
俺の頭には、何らかの感情が込み上げてきた。怒り、でもない、何か、嫌な予感というか、そういった類の……何かが。
何だろうか、この感覚は、けれども、どうやら、それは、天城を見て浮かび出た感情ではないらしかった。俺の視界の先に居たのは──。目を疑わざるを得ない光景。その先に居たのはだってさ、俺が探してたやつなんだぜ?
そんな、そこにいるはずがない、奴なんだぜ、そこにいたのはさ。信じられるか? いーや、信じられないね。信じられないだろうさ、誰だってさ。
いたんだよな、そこに可愛らしい男の子が。その名前を俺は知ってるよ。あー、というか、男の子っていうか、そりゃ、男の子には違いないんだけどな、人間じゃないんだ、そいつは。
そいつは、悪魔なんだよ、だって、そいつ、ヤンだもん。ヤンがいたんだよ、天城の横に。
俺は叫んだね、何を叫んだのか良く分からんけど、叫んだよ。おい、だか、どういうことなんだ、だか、とにかく、頭がパニック状態になったから、叫ばざるを得なかったんだ。食堂に入ってすぐの場所ということもあって、人もある程度の数いたんだが、そんなことに構っている暇なんてなかったんだよな。
いや、だってさ、そりゃそうだろう? 俺が五日間も探してたヤンがそこにいたんだ。そりゃもう、パニックにもなるさ。学校を適当に歩いて、そこにヤンが一人でうろちょろしていたなら何にも思わないけど、俺は、きっと、天城の横に、ヤンがいたということに何か危機的な状況を感じ取ったに違いない。
それは、きっと、恐るべき状況だったんだ、俺にとって。そして、俺の叫びは、当然ながら、ヤンの耳にも、天城の耳にも届いた。




