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07

 シャクシャントは深い霧に覆われているために、夜でもその空に月が浮かんでいるのをはっきりと見る事が出来ない。

 暗い靄の向こうにぼんやりと見える明かり。その程度の認識しか出来ないくらいに不明瞭なものだった。

 そのためこの島の夜は暗い。

 月の光の恩恵を受ける事が出来ない夜は、この島に棲む全てのものが息を顰める様に寝静まる。

 それは、この世の音が全てなくなったかのような、まさに静寂な世界が闇夜の訪れとともに広がるのだ。


 そんな常闇の夜の折。


 サリドはベッドの上で就寝の準備に入っていた。

 リオは一足先に自分専用の駕籠で寝息を立てている。昼間アリスと遊んだ事で疲れてしまったのだろう。寝入るのもいつもより早かった。

 腰近くまで伸びているしなやかな髪をひとつの三つ編みにして、夜着を纏えば早々にベッドの中に潜り込んだ。

 何かあった時のために、小さなランプは点けたまま寝るのが習慣になっており、部屋の中は夕闇のような明るさが残る。

 目を閉じ、その心地よさに身を任せて眠りに誘われようとした。


 ところが少し経った頃、サリドはまたその翡翠の眼を開けおもむろに右手を挙げる。

 途端影食みが一気に蠢き、また梁へと向かい対象物を捕えて床へと叩き落とした。

 もちろんその影食みの餌食になったのはクウェイだ。

 身体に纏わりついて拘束する影食みを忌々しそうな顔で睨みながら身を捩り、次にその獣の眼差しをサリドへと移す。

 サリドはそんないつもの姿に微笑みながら手を招いた。


「なぁ、クウェイ。一緒に寝ぬか?」


 はぁ?とクウェイの顔が顰められる。

 またその様子が予想通りで微笑ましい。


「どうせ明日には帰ってしまうのだろう?ならば最後の夜くらい私の願いを聞き届けてくれてもよかろうよ」


 明日の夜にはきっとクウェイはここにいない。

 それがサリドには酷く寂しく思え、その温もりを少しの間でも感じていたいと欲が見え隠れする。

 こうやって不可解だという声を出す事も、拒絶されてしまう事も分かってはいたが、本当はその術のせいでサリドに触れたいと思っている事も知っている。顔は険しいが耳が赤く染まっているのがいい証拠だ。

 クウェイが素直になるのはいつなのだろう、と先の分からぬ事に思いを馳せ右手の人差し指をぐるりと回すと、影食みはその身を起こしてクウェイをサリドが横たわるベッドへと運んでくる。拘束を解くとまた影へと戻り、(なり)を潜める。


「クウェイ」


 サリドの脇に横たわる男の名を呼べば、その身が少し後退する。警戒をしているのか戸惑っているのか。

 灰色に光るその瞳に映る自分を見て、サリドは二人の距離の近さをその身に感じた。


「明日お前はこの島を出ていってしまうのだろう?」

「ああ」

「そしてその『魅了の術』を解けるものを探す」

「ああ」

「・・・そうか」


 サリドが寂しそうに(かんばせ)を曇らせる。

 分かっているものの手放す時は、その理解よりも存外物悲しさが先だって滲み出てくるものだと思った。


「お前も、行ってしまうのだな・・・」

「・・・」


 ほろりと転げ出た本心はサリドの、そしてクウェイのその先の言葉を摘み取った。

 サリドは気まずそうにその眼を泳がせ、また(けむ)に巻こうか思案した。

 だが、そんなサリドの思惑を消すかのようにクウェイがその頬にそっと触れてくる。


「また戻る」

「私を殺しにか?」

「ああ。お前が生きている間、俺はお前を殺しに必ず戻ってくる」

「・・・そうか」


 その優しい手は何度も何度もサリドの頬を撫で、サリドもその心地よさにうっとりとする。いつかの時の逆だな、とその時の事を思い出した。


「もっと・・・」


 ―――触れてほしい

 その言葉は紡ぐ事が出来なかった。

 頬に触れていたその手は素早く後頭部にまわり、強い力で引き寄せられた。

 口にしようと思った言葉ごと食らうかのように、クウェイがサリドの唇を己のそれで塞ぐ。

 クウェイを目の前にして初めて『喰われる』と思った瞬間だった。


「・・・んっ」


 容赦なくサリドの唇を蹂躙する。

 ねぶり、時には甘く噛み、時にはきつく吸う。息苦しいほどに強烈に与えられるその甘美な攻めは、サリドの眠っていた劣情を刺激し、痺れるような疼きへと変えていく。

 いつの間にかクウェイは体勢を起こし、サリドに覆いかぶさるようにしていた。


「・・・はぁ、ク、ウェイっ」


 サリドの縋る様な言葉に、また頬へと戻ってきたクウェイの手にぐっと力が込められる。


「・・・お前、やけに慣れているな」

「それは、口づけの一つも知らぬような少女という齢でもないしな」

「・・・初めてではないのか?」

「ああ」

「・・・くそっ」


 獣のように呻ると、またサリドの唇に喰らい付いてその味を味わった。怒りをぶつける様に激しさを増したそれに溺れそうだ。

 苦しくて、頭が蕩けそうな感覚に怖くなって、目の前にあったクウェイの胸元の服を握りしめる。

 口を漸く離し、サリドを覗き込むその灰色の眼には欲望の焔がゆらりと揺れていた。


「・・・これもお前の術のせいか?」

「そう・・・、んっ!」


 聞いたくせに答えを待ってくれない。寧ろ聞きたくないとばかりにサリドの口をまた塞ぐ。


「お前に触れたくて堪らないのも?」

「ぁ・・・」

「こうやって口づけが止められないのも?」

「んんっ!」

「お前を俺の物だけにしたくて苦しくなるのも・・・」


 言葉の合間合間に何度も啄ばむようにして降ってくる唇がサリドに言葉を許さない。


 果てのない欲望だと思った。

 クウェイが感じる焦燥感や胸を締め付けるような苦しみは、サリドにも覚えがある。

 尽きることなく湧き出るその感情がサリドを思う事でクウェイを苛み、蝕んでいるのだとしたら嬉しいと思った。それが偽りでも、今この時は構わない。


「―――甘い。お前の唇は、甘い」


 ちゅっという唇から鳴る音が部屋の中に響く。

 啄ばむことに飽きたのか、今度はサリドの桜色の艶やかな唇をぺロリと舐めはじめる。

 「甘い」と熱に浮かされてうわ言のように何度も繰り返しながら、獣のように舌を獲物に這わせる。


「俺がおかしくなるのは、―――お前が甘いせいだ」


 その柔らかな白い首筋に、ついには噛みつかれた。

 痛いはずなのにそこに齎されたものは、甘い疼き。今までにない強烈な感覚に、サリドは身を捩る。


 このままでは喰われる。

 己の身に降りかかる危機にサリドは右手を振り上げ、影食みを動かした。

 サリドの首筋に夢中になっていたクウェイがそれに気付くはずがなく、あっさりとまたその身を捕えられサリドの目の前に吊り上げられた。

 未だ興奮が冷めずにクウェイの見せる顔は飢えた獣のもので、こんなものに自分は今喰われようとしていたのかと、ゾクリと背中が震えた。


「そう簡単に喰われたりせぬよ」


 まだ整わない息を弾ませ、挑発するように笑みを浮かべれば、クウェイは舌舐めずりしながらサリドの婀娜なその様を見下ろしていた。




 □□□




 次の日の日が一番高く昇るころ、また結界が揺れたのをサリドは感じた。

 

 昨夜の獣が首筋に残した残滓にそっと指を這わせ愛おしそうに撫でると、そっと瞳を閉じた。




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