06
この霧の島シャクシャントには、サリドが住まう小さな小屋と、その隣に大きな屋敷が建てられている。もともとこの小屋は物置兼薪置き場として使われていた。それを居住できるように改装して、サリドがリオと暮らし始めた半年以上前の事だった。以前はサリドもこの屋敷で生活をしていたのだが、諸事情によりそれが出来なくなったため、生活拠点を小屋へと移した。
現在、この屋敷には主であるフェルナンと、その妻であるダニエル、二人の娘であるアリスが住んでいる。
今回はそのアリスがサリドを玄関で出迎えてくれたのだ。
「いらっしゃい、どうしたの?」
甘ったるい声の持ち主であるアリスは、突然の訪問ではあったが嬉しそうに声を弾ませた。
「ちとフェルナンに用があってな。今籠っている最中か?」
「そうだねぇ。でもそろそろ出てくると思うよ。待ってたら?」
「そうさせてもらおうかな」
アリスの有難い言葉に甘えて、屋敷の中で待たせてもらうことにした。屋敷の中に一歩入ると、サリドの足元からリオが飛び出してきて、アリスに突進していく。リオより小さな身体のアリスは、リオの突進によろめきながらも耐えて、その黒く丸い身体を受け止めた。
「リオも来たんだ!いらっしゃい!」
リオも熱烈な喜びを体現したかのような突進だったが、それ以上にアリスがリオの来訪を熱烈に歓迎していた。
アリスはうさぎのぬいぐるみを寄り代にしているため、リオと並ぶと小動物同士が和気藹々としているように見え、何とも和む絵になる。
もともとアリスが大事にしていたこのうさぎのぬいぐるみは、ピンクと白のチェックのエプロンドレスに身を包み、長い耳には赤いリボンと黄色い造花が飾られている。いかにも女の子が好みそうな風体はさすがアリスと言うべきか。寄り代を選ぶ時、迷うことなくこのぬいぐるみを選んだのだから、その溺愛たるや想像にかたい。
そして、そんな可愛い物好きなアリスもぬいぐるみのように小さく丸く、庇護欲をそそられるようなリオのことを好いている。円らな瞳や丸い身体に不釣り合いな小さな手足が堪らなく可愛いらしい。リオも満更でもないらしく、サリドが忙しい時には大抵アリスに遊んでもらっていることが多かった。
二人並んで手を繋いで玄関脇にある部屋へと入って行ったので、サリドもその後ろ姿を微笑ましいと思いながら着いて行った。
部屋の中に入ると、部屋の中央に置かれたソファーの一つにビスクドールが鎮座していて、サリドの来訪に気付き読んでいた本を閉じた。
白い陶器の肌に金髪の巻き髪に青いビー玉のような瞳。ダニエルのもとの姿にそれはいずれも酷似はしていないが、その身体は彼女らしく紺色の、それでもところどころに細かい細工がなされていて決して地味には見えないドレスに包まれている。
「ダニエル、少しここで待たせてもらうぞ」
「いらっしゃい、サリド」
娘のアリスと似て甘く、それでいて凛とした声がサリドの来訪を歓迎してくれた。
「フェルの身体を持ってきてくれたの?」
「ああ、思いのほか早くできてな。不便だろうから急いで持ってきた」
「まぁ、それは嬉しいわね」
粘土人形を入れた麻袋をソファーのすぐ脇に置いて、サリドもダニエルと対面のソファーへと腰を掛ける。
アリスはリオと遊んでいるらしい。ソファーに座らず、窓際でリオと何やら手遊びをし始めた。
「そう言えば、今回カネコさんに頼むもの多くなってしまったでしょう?今更だけど大丈夫なのかしら。フェルはサリドが大丈夫だって言ってたって言うのだけれども。思ってみればいろいろ頼み過ぎだったかもって思って・・・」
「構わぬよ。多少の無理も聞いてくれるくらいカネコの売り上げに貢献しているからな」
「ああ、よかったわ。今回新しくドレスを新調しようと思っていて、いろいろ頼んでしまったのよね」
人形の顔は変わらないが、声の調子から安堵して自分の希望が叶えられることに喜んでいる様子に、サリドは微笑みを返した。
思い起こせば、アリスもそうだがダニエルもサリドに新しい服が欲しいとよく強請ってきたものだった。人形が着る服なので特に体臭が付くでもなし、汚れるでもないので必要ないのではないかと言ったが、この二人曰くそういう事ではないらしい。
どんな身体になろうと心はそのまま女なのだ。だから着飾りたいと思う事は自然なことであって、体臭だの汚れだのそれ以前の問題なのだと噛み付かんばかりの勢いで言われた。
なので、サリドはサリドなりに人形のドレスを作ってみたものの、芸術的センスは皆無な彼女にとってはそれはとても難儀なことで、そのことについて二人が気付いたのはサリドが出来たと言って持ってきたドレスを見た時だった。それ以来、二人はサリドに無理難題を押し付けることもしなくなったし、素直にカネコに頼むことにしたらしい。
人形の体のまま島を出て、都に行くことも出来ない現状の中、彼女らにとっての楽しみの一つなのだろう。この生活に飽きるでもなく、限られた中での楽しみを見つけるというのはなかなか難しいものだ。そう考えるとここの住人は上手いこと生活出来ている。
「サリド、喜んで。あなたの分も頼みましたから」
事も無げにそういうダニエルに、サリドはまたかと苦笑した。
「そうよ!今度こそちゃんと着てもらうんだから!」
リオと遊んでいたはずのアリスもダニエルの援護射撃をしてきた。
この母娘は、どうもサリドの黒い簡素な服がお気に召さないらしい。
黒で胸の下でウエストの切り返しのある、本当に簡素なつくりのワンピースはサリド自身は自分に一番似合うものだと思っている。分相応だし、簡素なだけで可笑しいものでもない。
けれども彼女らが言うには
「せっかく綺麗な蜂蜜色の髪と翡翠の目を持っているんだから、それに似合った色のドレスを着てほしいものだわ。まだまだ若いのに、今のうちから老けた格好しなくてもいいのよ」
と、サリドには似合わないものらしい。
そして最後に必ず付け加えられるのが、
「貴女のその格好は、その綺麗な蜂蜜色の髪と翡翠の瞳と、その美貌と若さに対する冒涜よ!恥を知りお洒落を知りなさい!」
というアリス流の決め台詞だった。
どうあってもこの母娘はサリドにお洒落というものをしてほしいらしい。
お洒落などしたい人がすればいいのだし、したくない人はほっといてくれと言うのだが、それすらも許してくれない。
「わかった、わかった。勝手にするがよい」
こういう時は諦めて素直に頷くのが正解だ。どうせいつものように着替えても、数日経てばまたあの簡素な姿にこっそり戻るつもりなのだし。元の姿に戻っているのを見つかるたびに怒られてはしまうが。
サリドの返事に気を良くしたのか、ダニエルもアリスも「うふふ」と笑って、これ以上言ってはこなかった。
「そう言えば、フェルはまだ出てこないのかしら」
ダニエルと、そして時々アリスと屈託のないことを話していると、ふとダニエルが廊下の方を眺めて言う。
サリドがこの屋敷に来てゆうに半刻は経っているのに、お目当てのフェルナンにはまだ姿を現していなかった。
「また時間も忘れて没頭しておるのだろう」
毎度のことだからサリドは気にはしていなかった。どうせ小屋に帰っても特にすることもないので、どんなに時間がかかろうと構いはしない。
それに―――
「もう!いくらあの身体だと疲れもしないしお腹も減らないからって、いつまでも籠っているのはよくないわよね!」
そう怒ってダニエルが毎回部屋から出ることを忘れてしまうフェルナンを引き摺りだすのは、お決まりの風景だった。あえてサリドが急かすまでも無い。
今回も漏れなく叱咤を受けたフェルナンは、ダニエルに引き摺られて隣の部屋から出てきて、「申し訳ないねぇ」と気の抜けるような声で部屋に入ってきた。
「ダニエルにも構わぬと言ったのだがな」
「こうでもしないとフェルは家族との時間も取らないんだからいいのよ」
恐らくダニエルの中にも籠りがちになるフェルナンに対して、腹に据えかねるものがあったらしい。少し辛辣になったその言葉に、フェルナンは「ごめん」と小さく謝った。
「焦る気持ちは分かるが、家族との時間もやはり大事にせねばいかんのう」
サリドがダニエルの援護射撃をすれば、またフェルナンは小さく「ごもっともです」と返してきた。
フェルナンに改めて何か用かと聞かれて、サリドは本来の目的を思い出した。
ソファーの脇に置いてあった麻袋を解いて中を開ければ、四方から感嘆の声があがる。
「凄いね。もう出来たんだ」
「お、お母様!サリドが初めてまともなものを持ってきたわ!初めて!」
作品の完成の速さに驚くフェルナンとは反対に、アリスはその作品の出来栄えの良さにある種興奮にも似たテンションで、ダニエルに叫んでいた。
失礼な、とは思うものの如何せん今までの作品が作品なだけに、アリスのその言葉もいた仕方ないと、文句は胸の内に止めた。
「どうだ?これなら指が上手く動かせそうか?」
一番の心配はそこだった。
クウェイが丁寧に作ってくれたとは言え、使ってみなければわからないというものもあるだろう。
「うん。ここまで精巧に作ってくれているからね。五本指があるだけで有難いよ」
「ならよかった。今度は術で強化しておるから、簡単には壊れはせんだろう」
「ありがとう。しかし凄いねサリド。よくここまで腕をあげたね」
新しい寄り代の周りをぐるぐる回りながら、感心したような声をあげるフェルナンにサリドは「いや」と即答した。
「これは、まぁ私も作ったんだが、ここまでにしたのは私ではなくてな」
「やっぱり!」
サリドのその言葉に直ぐに反応を見せたのは、やはりアリスだった。
「え?誰かこの島に来ているの?」
「ああ」
リオとの遊びには飽きたのか、アリスがサリドの足元に飛びついてはどういうことなのか答えを求めてくる。
久しぶりの来訪者の知らせに嬉しくなってしまったのだろう。
さて、どこまで言っていいものかと、サリドは目を輝かせているアリスを見ながら考えた。
「サリドの知り合い?」
「いや、この島で会ったばかりだ」
「その人ここに何しに来たの?」
「どうやら私を殺しに来たようだ」
「は?」
アリスだけではない、フェルナンもダニエルもサリドのその言葉に怪訝の色を現した。
しまった、そこまで話すことはなかったかと反省しても後の祭り、さらにどういう事なのかと今度は三人で詰め寄ってくる。
「心配いらん。殺されないように対策はしておるし、現にこうやって生き残っておろう」
落ち着け、大丈夫だと言い聞かせるように冷静に返すが、またその危機感のない様子が三人の焦燥感を煽ってしまったらしい。更に輪をかけてサリドに詰め寄る。口々に問題ないと言い聞かせているものの、収拾のつかないその様子にどうしたものかと、天井を仰いだ。
「サリド。私たちはこのような身体だから、残念ながら君の力にはなれない。だから君の言う事を信じるしか出来ないんだ。だからサリド、私たちは君を信じていいかい?」
フェルナンがゆっくりとした口調で真摯にサリドに問う。それは実に彼らしい真っ直ぐとしたものだ。
「ああ、もちろん」
本当に心配はいらないのだと、信じてほしいという思いを乗せて頷くと、フェルナンもその答えに得心が行ったようにまた頷いた。
「じゃあ、この話はここまでだ。私たちはサリドの言葉とその力を信じよう」
その言葉に渋々ながらだがダニエルとアリスが身を引いていくのは、それがフェルナンの家長しての強い言葉だったからだ。普段は柔和で頼りなくも見えるが、やはり肝心な時には強固な意志と態度を持っている。その言葉に従ざるを得なくなるのはこういう彼の強さを知っている二人には当然の事だった。
「でもサリド。一つだけ教えて」
「何だ?」
「殺されないように対策したって言っているけど、どんな対策をしたの?」
アリスの素朴な疑問に言葉を詰まらせたサリドは、少し間をおいた後、にっこりと笑って
「色仕掛けだ」
と言うと、アリスは眉を顰め、遠くでダニエルが「まぁ!」と嬉しそうな声をあげた。