02
サリドが作る薬はここに定期的に船で来てくれている商人曰く、とても都で好評らしい。
主に調合しているのは三つ。特に胃腸薬と鎮痛薬のこの二つが他の既存の薬とは違って即効性があって、よく効くために売り上げが上々とのことだった。あとはお肌の調子を整えてくれる美肌薬は、常に美貌を保ちたいご婦人がたの嗜好品としても人気があるらしいが、この手のものは競争率が高く前の二つほどの売り上げではないらしい。それでも、この娯楽のない孤島で賄うには十分な売り上げであった。
この薬たちがサリドの孤島生活を支える収入源だ。
三日に一度霧の晴れる時間帯を狙って船着き場に訪れる商人は、一週間分の食料と日用品、本などを持ってきてくれて、その代償として調合した薬を渡し、その薬を商人が都で卸売りをして金にして、その金でまた次週にサリドに荷を運んでもらっていた。もちろん足の出る分は商人への手間賃として懐に収めてもらっている。
そうやってこの島での暮らしの生計を立てているサリドにとっては、この薬の調合というのは毎日欠かせないものだ。
だから、今日暗殺者が来ようとそれを怠けるわけもなく、サリドはいそいそと薬の調合に励んでいた。
乾燥させた薬草をテーブルに広げ、その脇でリオがすり鉢で薬草を磨り潰し、サリドが小鉢で薬草を掛け合わせて小包に入れる。一連の流れは手慣れたもので、一分の無駄もない。
先ほどの騒ぎで時間を無駄にした分、取り戻そうとサリドもリオも頑張っているお陰だろう。今回、都で風邪が流行っている分、薬の注文も通常よりも多めだったので不安ではあったのだが、どうやら杞憂に終わりそうだとサリドは胸を撫で下ろした。
「リオ様、それを潰し終えたら休憩にいたしましょう」
「むぅ~。ちゃ、ちゃー」
「はい、お茶を用意しますね。それにクッキーも」
そうサリド言うや否や、リオはそれまでの作業が怠けていたと思われるくらい高速で薬草を磨り潰し始めた。一瞬で薬草は粉になり、ひと仕事を終えたリオはふぅ、と額で光る汗を小さい手で拭き取り、「ちゃ、くっき」とサリドに休憩を促す。
リオの余りのげんきんさに笑みが零れたサリドは、半笑いしながら「はい」と返事をしながらキッチンへと向かった。
「お前も飲むか?」
天井に向かって声を掛ければ、返事はなかった。
「クッキーもあるが」
またしても返事は返ってこない。
「腹は減らぬのか?」
いくら梁の裏に隠れているであろう暗殺者に声をかけても、物音ひとつ返ってくることはなかった。
そこにいることは、まだ解かずに家じゅうを這わせている影食みで把握はしているのだが、詰まるに馴れ合いは不要という所なんだろう。暗殺者が対象に慣れ親しむなど聞いたこともないが。
それ以上に返事も返さない理由はもちろんの事、あの魅了の魔法にかけられたことにあるのだろう。
屈辱、憤慨、当惑。
彼を支配するそれらの感情は、サリドにも容易に想像できた。
だが、それをただ無視するのは面白くない。
それらの中に見え隠れする愛情を少しは見せほしいのだ。
彼の中の発芽が彼をどう翻弄し、どう当惑し、どう自分に愛を囁くのかを。
何という嗜虐的な考えなのだろうと内心自分の趣味の悪さに苦笑するが、どうしようもなく湧き上がってくるこの感情をサリドは上手くコントロール出来ない。するつもりも無いのだが。どこか新しい玩具を見つけた童心のそれにも似ているとも思う。
ティーカップを三つ取り出し、お茶を注ぐ。これは商人がこの間、サリドの薬のお陰で甘い汁を吸うに吸って嬉しい悲鳴を上げさせていただいているお礼と言ってくれたものだった。お湯を注ぐとお茶の独特の渋みのある香りに混じって花の香りもするお茶で、他にフルーツの香りも混ざったものもある。貴族達の最近の流行りのお茶なので値は張るものの、それに見合った儲けを薬によって戴いてると商人は嬉しそうに話してた。貴族たちのように高尚な趣味は持ち合わせていないが、このお茶に関してはサリドもその良さを共感できる。
「ここに置いておく」
キッチンのテーブルの上にひとつお茶の入ったテーカップと、その脇にクッキー三枚を添えて置いておき、残りはトレーに乗せてリオの待つ隣の部屋へ入って行った。
「お待たせしました」とリオに声を掛ければ、「ちゃ、くっき、ちゃ、くっき」とエンドレスリピートしながらその場でくるくる回っていた。その様子がまるでボールが自転しているように見える。リオは何かとその球体の体をくるくると回らせていて、目が回らないのかと思ったが、そういえば目を回らせてふらふらしている場面を見たことがない。まだまだ謎が残る生物なだけにその生態の多くは解明されていないが、もしかしたらバランスは三半規管ではなく違うものでとっているのかもしれない。
蛇足はさておき、リオとお茶を楽しもうとテーブルに広げられた薬草類をいったん端にまとめて退かせて、椅子に腰をかけた。
お茶を一口飲んで、香りを口の中でも堪能した後にクッキーに手を伸ばしたところで、「おい」とくぐもった声がサリドの動きを止めた。
声がくぐもっているのは、扉を一枚隔てたキッチンから声をかけているからだろう。先ほど何度もサリドから声をかけても沈黙を貫いたくせに勝手な奴だ、とサリドはクッキーに伸ばしかけた手の動きを再開させて、「何だ」と短めに返事をした。
「52通り考えた」
唐突すぎる数字にサリドは眉を顰めたが、お茶を一口飲んで言葉の続きを待った。
「お前を殺す方法、だ」
「随分多くの手段を持っているのだな」
何とも物騒な数字だ。それに多い。さすがに暗殺者と言いたいところだが、具体的な数字で表わされると生きた心地はしない。
「いくつも考えたが、最後には必ずお前を殺せない」
ほう、これは面白い話になってきた。サリドは内心ほくそ笑みながら彼の話を促すように相槌する。
「どの手段をとっても最後にはお前を殺そうとすると胸が苦しくなって、息が詰まるし思考が停止する。汗も酷くなる。どういうことだ?お前がかけたのは本当に魅了の魔法か?実はお前を殺そうとすると俺が死ぬ呪いとかではないのか?」
呪い。ある意味呪いだ。
恋の魔法。それは今までの己の思考から逸脱することもしばしばあるのは、恋のご愛嬌といったところだろう。だが彼からしてみれば仕事に多大なる影響を及ぼしてしまうのだから、それは呪いにも思えてくるのも仕方ない。
声はしっかりしているものの、話の内容が彼の動揺を物語っているのだからサリドは可愛く思えてきた。
彼は今まで恋というものをしてこなかったんだろう。初めて湧き出る正体不明、出所不明な感情に対処できずに、暗殺対象にこうやって確認するあたりとても愛いではないか。
これだ、これ。これが見てみたかったのだと、サリドは恍惚とした気持ちになる。
「愛だよ、愛。お前が私を愛しているから殺すことに躊躇いが生まれるし、殺したくなくて殺すところを想像するだけでも苦しいし悲しくなる。お前自身が死んでしまうと思えてしまうほどにな」
己の中の愉悦を隠そうともせずに明るい声でそう教えてやると、扉が大きな音を立てて揺れる。彼が苛立ちを抑えきれずに扉を殴りつけたのだろう。「壊すなよ」と言うと「黙れ」と低く唸るような声で返ってきた。
「これも自衛の一つだよ。そう易々と殺されるわけにもいくまいて」
「お前、自分を殺そうとする奴みんなにこんなことしてるのか?」
「まさか」
そこまで自分は酔狂ではない。今回はたまたまだ、たまたま。
「お前が私の好みだったからかのう」
こんな無謀な賭けに興じてしまったのは。
笑うように答えると、また扉を叩く音が聞こえてきた。
「まぁ、でも例え愛した人もでもその手に掛けられる人間もいる。そう考えるとお前は、自分が許した者には温かいのだな」
今度は軽口をたたいても、叩く音では返ってこなかった。
情を切って捨てることで暗殺者という生業を成り立たせていたはずでだろう。だが、およそ暗殺者に似つかわしくない温かさを、彼すらも知らなかったであろうそれが今、彼の日常を蝕む。
それは戸惑い。それは苛立ち。それは恐怖。サリドにも遠い昔覚えがある感情だった。
少し虐め過ぎたか、とサリドはここで反省をした。
扉越しにでも感じる彼の殺気にも似た威嚇が伝わり、隣にいるリオもそれを感じて落ち着きがない。
そろそろ戯れも大概にしないと、殺されることはないにしろ、殴られることはあるかもしれない。
「食事は朝昼晩そこのキッチンに置いておく。気が向いたら食べろ。もっと気が向いたら一緒に食べよう。寝床はベッドが一つしかないから、残念だが床で寝てもらうしかない。毛布は用意しよう。それが嫌だったら私と同じベッドで寝ればよい。ちと狭いがな。それと、あっちの屋敷には近づくなよ、死にたくなければな。この島の結界を破ってきたお前のことだ、念のために言っておく」
話題を急転換して、ピリピリとした空気を塗り替えていくようにサリドは矢継ぎ早にここでの暮らしのルールを言っていく。途中途中「おい」と話を遮る声が聞こえてきたが、構いやしない。
「どうせあと三日は霧は晴れない。それまでこの島から出ることも出来ぬのだからゆっくりしていけ。ああ、間違ってもこの霧の中強行突破しようなどと無謀なことは考えるなよ。次に霧が晴れるまで三日三晩霧の中で彷徨うことにことになるぞ。運が良ければ三日三晩。晴れているときに抜け出せなければそれ以上。ただの霧ではなく、魔術が作用した霧だからな」
莫迦ではない限り、ここで霧が晴れるまで暮らしていかなければならない事は分かるはずだ。
それならばある程度のおもてなしをしよう。
「歓迎するよ、お客人」