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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
新たな日本の形
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秀康出陣

 一六一六年十一月二十日

  石見攻めの諸将が越前・北ノ庄城に集い結城秀康は出陣する。


「この秀康、豊臣家家臣としての初陣! 者ども行くぞ! 」


 世の流れから長い間取り残されていた秀康は生きる実感を得ていた。戦に出る事がこれほど嬉しいと感じた事は無かったのだ。秀康に従う結城家の者達もそんな秀康を見る事が出来て嬉しく思い気力がみなぎっていた。


「秀康殿。官兵衛は逃げは致しませぬぞ。いまから気負っていては疲れてしまうではござらぬか。少し肩の力を抜きなされ。」


 前田慶次郎が馬を並べて言ってくるほど気負っていたのだった。


「ははは。久しぶりの戦ですからな。いや、お恥ずかしい。」


 慶次郎が秀康の所に馬を並べて進んでいると、やがて明石全登もやってきた。


「お二人で何やら楽しそうですな。某も混ぜて下され。」


 三人でああだこうだと世間話をしながら進んでいると、塙直之と真田幸昌も走り寄ってきた。


「なんだなんだ! みな集まってしまったではないか。せっかく秀康殿と黒田攻めについて策を練ろうとしておったに! 」


「ふふふ。誰も信じておりませぬよ、慶次郎様。慶次郎様が細かい策を練る訳がございませぬ。」


「やや、大助! そなたにはお見通しか? ははははっ。」


 最後にやって来たのは前田利長である。


「皆様、集まって何やら問題でも起きましたかな? 」


 利長だけは真剣な表情である。何かよからぬことが起きたのかもしれぬと思ったようだ。真面目な利長らしかった。


「ははは。利長殿。問題ありますぞ! 」


 全登が笑いながら答えた。


「な、何事ですか!? 」


「慶次郎殿の水筒でござる。その中身が問題なのでござるよ、利長殿。」


「これ! 全登殿! 儂の水筒に変わった事はござらんぞ! 」


 慶次郎が慌てている。実は慶次郎の水筒の中身は酒が入っていたのだった。もっとも慶次郎と戦を共にした事のある者には周知のことであった。

 利長もやっと雰囲気を理解し、苦笑いしながら馬を並べた。 


 秀康を支える事になる将達は、秀康の気持ちが分かっていたのである。そして気負った秀康を慶次郎が(ほぐ)そうとしているのも分かっていた。

 慶次郎と共にする戦では笑いが絶えない。それが例え戦況が芳しくなくてもである。慶次郎の持つ産まれ持った陽気さが周りを引き込むのだ。そして、いざという時は固さがとれた柔軟な心と体で伸び伸びと槍を振るう事が出来るのである。


 こうして秀康一行は慶次郎を中心に陽気に山陰道を南下していく。




 秀康率いる豊臣軍と対する黒田官兵衛であるが、十分な時があったとは言えなかった。四ヶ月の間に山口城から江戸へ、江戸から清州、清州から石見へと動いたため引き連れた兵達には疲れがたまっている。石見の地も手にしたばかりで手を加えるまでに至っていなかった。それでもできる限りの人足を雇い、迫りくる豊臣軍に備え整備をはじめたが、手をつけたばかりであった。


「長政! 輝元は? 輝元はいつ来る? 」


 官兵衛は石見に入るとすぐに毛利輝元に出来る限りの兵を率い石見に参じるように命じていた。半月前の事である。


「それが未だに鳥取を出たという知らせが来ませぬ。」


「何! 輝元め! この期に及んで出さぬ気か? 質はどうしておる? 」


「はい。先日、山口より引き連れてきて、某の屋敷に囲っております。」


「よし。ならばその者どもに輝元へ向けて書状を書かせよ。なんとしても合力させるのじゃ。」


「は。直ちに! 」


 黒田家の質となった家族から文が届いては腰の重い輝元も動かざるを得なかった。渋々ながら兵を纏め石見に向けて出兵したのだった。率いるは二万兵だった。


 渋々ながらも石見に参陣した輝元は官兵衛と合流する。


「これは輝元殿、よう来てくれたの。よしなに頼みましたぞ。」


 官兵衛がにこやかに声を掛けてきた。輝元は皮肉の一つでも言われるか恫喝されるだろうと思っていたので拍子抜けしたのだった。それと同時に笑みを浮かべる官兵衛に空恐ろしさを感じた。

 官兵衛が従える石見の兵は六千。黒田方は輝元の兵と合わせて二万六千である。



 官兵衛が居城は石見城で山陰街道から銀山へ向かう要所にある。岩山の上にある山城だ。城に向かう道は狭道で攻めづらくもある。


「さて、輝元殿。秀康は山陰道を下り迫り寄ります。まあ大軍を引き連れての行軍ですからな。来るまでにはあと四日ほどはかかりましょうか。その間に我らも策を練りましょうて。」


 


 官兵衛は輝元の軍勢の内、五千兵を石見城に入れ輝元を守将に据えた。居城であった石見城を明け渡す形である。輝元には黒田二十四騎の生き残りである衣笠景延を戦目付に付けた。黒田二十四騎とは黒田家の精鋭なる選ばれた武将達であったが、鍋島家との戦でほとんどが亡くなっていた。景延はその中で生き残った数少ない者であった。後藤基次もかつては二十四騎の一人である。


 官兵衛自らは山陰道から見て石見城の後方に位置する大森代官所に三千兵で籠り本陣としたのであった。大森代官所は守りやすいとはとても思えない館造りである。輝元は官兵衛の真意が分からず、官兵衛に対する不気味な恐ろしさが増していた。


 かつて稀代の軍師と言われた黒田官兵衛は倍する数で迫りくる秀康軍に対し、どの様な策を講じるのであろうか。


石見攻めの豊臣軍

結城秀康(大将)、前田慶次郎(副将)、前田利長、明石全登、塙直之、真田幸昌


石見国の黒田陣営

大森代官所(本陣):黒田官兵衛、石見城:毛利輝元、衣笠景延


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