土豪達のざわめき
「殿、これからどうなさるので? 」
側近の者が尋ねてきたが、市橋長勝はそれには答えなかった。いや答えられなかった。市橋家は元々美濃の土豪である。それが戦国の世で立身出世を求め信長、秀吉、家康と主を変え仕えてきた。徳川に与して戦に加わった関ヶ原で世が纏まると思っていた。しかし、凡庸と思われた豊臣秀頼が出来者と分かり、再び世は混とんとした。
長勝が仕えていた徳川家も徐々に豊臣家に押され、戦は長引いた。長引く戦に心身ともに疲れていた。それでも行く末が見えていた時は良かった。徳川の世が盤石になれば戦は無くなり与えられた領土を治め気心の知れた家臣達と共に民達の事を纏めてゆく。平和で穏やかな日々……それを夢見ていた。
長勝は豊臣家と徳川家が和睦した時、徳川家を辞して故郷・美濃池田郡に戻ったのだった。どうやら世の流れは豊臣にある。この美濃の地は豊臣家の盟友として織田国となるらしい。徳川家に仕えながら豊臣秀頼と言う者を見聞きするに新たな日本を造るのであろうという事は感じていた。
新たな日本と言う国はどういうものか、分国とは何なのか、長勝には理解できなかった。秀頼や織田秀則が目指す国造りとはどういうものなのか分からずに漠然とした不安だけが心を広く占めていたのだ。
「儂はただの土豪に戻ったのだ。殿という言い方はやめよ。これからは土豪らしく地に根を張り暮らしていくさ。武士として生きたいものがあれば、どこぞに士官すればよい。儂は止めぬ。」
長勝は田畑を耕し、幾人かの百姓を守りながら暮らしていくのもよいではないかと思っていた。この国の事を考えるのは儂らではない。儂らは日々暮らしていければいいではないかと。
実は長勝のような何とも言えぬ不安を抱えていた武将は全国的に増えていたのだ。いや不安を感じていたのは武士ばかりではない。飢饉でもないのに一揆が増えていた。その一揆に加わった者は衆徒達ではなく普通の百姓たちだった。新しく変わろうとしている国の形に付いて行けるのかという不安が募っていたのだった。
市橋長勝が美濃池田に戻ってひと月が経った頃、織田の大岡左馬介が訪ねてきた。
「これはお初にお目にかかる。某、織田国の登用奉行を務めます大岡左馬介と申します。」
「これは織田国の奉行殿ですか。何か御用ですかな? 」
「いや。今尾城主までなされた市橋殿が徳川をお辞めになり、こちらにお戻りと伺いましてな。」
「ええ、今は日々楽しく暮らしておりますよ。」
「ほう。楽しく? 」
「ええ、宮仕えの時は常に気が張っておりましたからなぁ。今は田畑で土にまみれ百姓どもと笑いながら楽しく暮らしております。」
「ふむ。で、これから市橋殿はどうなされるので? 」
左馬介は側近の者と同じ問いかけをしてきた。
「どうもいたしませぬ。土豪として暮らして行こうと思っております。」
「ん!? それは本心でございますか? 市橋殿のほどの武勇があればどこの家でも士官はできましょう。土豪でご満足なので? 」
「満足ですな。土豪であれば大きな戦で親しい者達を亡くす事もなければ、上役の顔色を伺う事もないですからな。」
「そう言うものでございましょうか。短答に申しましょう。市橋殿が土豪では勿体のうござる。どうでござろう、織田に仕えませぬか? 一緒に先々の日本の元を作りませぬか? 」
長勝には左馬介が自分を誘いに来たのであろう事は分かっていた。それなりに腕にも自信があったからだ。以前の長勝であれば自分を認められれば喜んだであろう。だが今は素直に喜ぶ気分ではなかった。
「ありがたいお言葉ですがな。正直申さば、今の生活に満足しておるわけではないのです。日々の暮らしは先程も申した通り楽しいのです。ですが心の奥底で何とも言い難い焦りと言うか迷いと言うか諦めと言うか…… そのような物が塊となってあるのですよ。」
儂の言う事がお前に分かるかとでも言うように長勝は左馬介の目を覗き込むように話した。左馬介も長勝の心の底を見極めようと見つめ返している。
長勝は正座の状態から足を崩し胡坐をかいた。左馬介にも足を崩すように促し、左馬介も胡坐をかく。そして長勝は話を続けた。
「先々の日本の元と申されましたな。それはどう言うものでござろうか? 今までの日本ではいけないので? 」
「それはですな。仮に長勝殿が仕えておられた徳川がこの日の本を纏めたといたしましょう。それでどうなります? 」
「ふむ。徳川に限らず、豊臣でもいいでしょう。日の本が一つにまとまれば戦は無くなり平和で長閑な暮らしになるでしょう。」
「なるほど。ほんにそうお思いで? 」
「ええ、そう思います。」
「では外の国はどうするとお思いか? 」
左馬介の問いは長勝の想定外の問いであった。
「外の国? ははあ、外の国が攻めてきた時の事をおっしゃられるか? それはでござるな……。」
長勝は腕を組んで考えた。
やがて口を開く。
「日の本が一つにまとまれば外の国が攻めてきたとて打ち負かせばよろしいのではと思いまする。我が国の兵が強靭なのは故・太閤殿下の朝鮮出兵でも周知の事でござる。」
「外は広うございまするぞ。外の国々が手を携え我が国に攻め入ったならば戦の勝敗は分からないと我が主は申しております。それに戦ばかりではございませぬ。外の国にはこの国にない物が多くあります。その中にはこの国をより豊にする物もあるでしょう。」
「ふうむ。そういうものでござろうか。」
「そういうものであるようです。我が主と関白様は日の本を纏めたうえで外の国と対等に付き合っていける国造りを目指しておられる。この国を豊かにするために武力はもちろん、交易にも力を入れ、様々な巧みの技も極めていく必要があるのです。それぞれの商いを保護するために新たな約定も定める必要があります。一つづつこの国を開かれた、優れた、豊かな国に導いて行くのが我らの務めと思うております。」
左馬介の言葉を聞いた長勝は眼を閉じじっと何かを思案しているようだった。四半刻の時が流れただろうか長勝は眼を開き、左馬介に言った。
「左馬介殿。今日はここにお泊まり下され。明日、もう少しお話しをお聞きしたい。」
大岡左馬介は市橋長勝の屋敷に泊ることになったのだった。




