後水尾天皇
堀河康胤は後水尾天皇の元を訪れていた。
「主上。織田の件、よろしいので? 」
堀河康胤は左近衛少将の官位を持つ後水尾天皇の側近中の側近である。康胤は秀頼が求めてきた織田家の独立、すなわち日本国の分国としての織田国を認めた事を問うていた。
康胤の問いに対し後水尾天皇、諱で政仁は静かに目をつむり、浅く息を吐くと言葉を発した。
「康胤。いつのころからか天皇とは名ばかりで政務の一つもしていない。いやさせてもらえずにおる。それはなぜじゃ? 」
「そ、それは……。武士どもが主上を軽んじてきたからでございましょう。」
「うむ。ではなぜ軽んじるのじゃ? 」
「……。 」
康胤は答えに窮した。
「それはじゃ。かつて天皇家が己の権力に溺れ、民をないがしろにしておったからじゃ。いつしか人心は我らから離れ、力を有する武士どもに政りごとを託すようになったのじゃ。いかに我らが神の血を引くとはいえ、なんの施しも与えてやらず、道を示す事もできずにいたからじゃ。」
「そ、それは……。し、しかし主上、神の血を引くお方がこの日の本を纏める事が本来の姿ではございませぬか? 」
「いや、われはそうは思わぬ。日の本に厄災が及ばぬように神事を執り行うのが我の役目と思っておる。民の事は民に近い者達に任せるのがよかろう。故にわれは織田の分国を認めた。分国には宮殿をこしらえわれに血の近い者をわれの代理として向かわせる。」
「なんと! どなたを? 」
「それはまだ言えぬ。言えぬというよりまだ思案中じゃ。」
政仁はそういって笑った。
政仁は約十年に渡り秀頼と面会を重ね、この国の事、天皇家の事、民の事を話しあっていた。その度に天皇家に力がない事を思い知らされ、民の心が武士にある事を認めざるを得なかったのである。秀頼は、ある時は恫喝し、ある時は天皇家の行く末を慮る素振りをして、次第に政仁の心を捉えていったのである。
天皇家は一つ上の高見に立ち、神に近い所で神事を行う事のみに専念し、民に関わる政務は全て武士たちに任せる事が良い事であると思うようになったのである。
天皇家は力を失ってからもがき苦しみ、妬み、自棄になっていた形であったのだが、秀頼は一つの道を示したのであった。秀頼の言う「高見に立ち」己を律していこうと決意していたのであった。
政仁は秀頼に神事以外のすべてを託した。その上で分国・織田国を認めたのであった。
また政仁を利用しようと画策する者に対抗できるように、秀頼の勧めで独自の兵を持つことにし、兵の鍛錬は豊臣家に依頼することにしたのである。後に彼らは朝廷親兵と呼ばれ、少数精鋭の部隊に成長する。
こうして豊臣家と天皇家はお互いを尊重しあう形となったのである。この豊臣家と天皇家の強い結びつきは、日の本を揺るがすことになる「天皇家蜂起」と呼ばれる一八八六年まで続くのだった。




