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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
秀頼の成長
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里見義康の決意

 信濃や伏見での戦を聞き、安房の里見義康は憂鬱であった。心は豊臣家にあるが、安房という周りを徳川方に囲まれており、家老の板倉昌察を大阪城に送るのが精一杯であった。家康からは来たる大阪での決戦のために戦力を整えるように言ってきている。安房里見家は安房の国の九万二千石と先の大戦で鹿島にも3万石を加増され合計十二万二千石の小大名である。


 当時の兵士数は一万石あたり二五〇人と言われており、里見家では三千人位がせいぜいであった。板倉を大阪城に送りだす時に二千の兵士を一緒に送った。その後新たに二千人を雇い入れたのだが今はその兵士たちの訓練を行っている段階である。堀江頼忠、印東采女佑などの家老たちが鍛えている。出兵をするとすれば、家康は千人くらいの兵を求めて来ると思われた。


 義康はこれからいかにして豊臣に加担できるかを考えていた。


 【殿下は僅かな時間であったが、儂に秀頼様の教育を任せてくれた。また儂の才を買ってくれていた。儂は殿下から羽柴性もいただいておる。

まずは儂が豊臣方の旗を揚げた時、万の軍が押し寄せても持ちこたえるように城を堅固にせねばならぬ。】


 背後の武田信吉は昨年二十一という若さで急逝し、徳川頼宣が僅か二歳で城主として入ったばかりで落ち着いていない。また館山城と江戸の間に位置する大多喜の本多忠正は家康の里見家に対する抑えであるが僅か五万石である。

 大多喜は以前は本多忠正の父・忠勝が十五万石で治めていたが、忠勝が伊勢に鞍替えとなり、忠正が五万石で引き継いだのである。こうしてみると隣接する国からは十分に対抗することはできるが徳川の本領である江戸に近く、大軍を持って攻められるやもしれなかった。しかし大阪と時を合わせ兵を起こせば勝気があると義康はみていた。


 次に大阪方が事を起したとき、時を合わせて手始めに大多喜城を攻めることを心の内で決めたのであった。となれば少々無理をしてでも兵を増やさねばならないと考えていた。治めている各村に触れを出し、寡兵を始めたところである。


 館山城の居室で城の普請についてあれこれ考えている時であった。旗本の一人が訪ねてきた。


 「殿、殿にお目通り願いたいと申す者が来ております。いかがいたしましょうか? 」


 「何者だ? 」


 「は、詳しくは殿にお会いしてからと申しておりますが、立ち居ふるまいからして腕の立つ浪人ではないかと思われます。」


 「ふむ、会ってみようではないか。」


 興味をそそられ、義康は会ってみることにした。

 謁見した時に義康はすぐに、この男はできると感じた。


 「儂が里見義康であるがその方はどなたであられましょうや? また、いずこから参られたか? 」


 「は、それがしは鳥居成次と申すもので、先日まで徳川の将として伏見城を守っておりました。」


 「なんと! 鳥居殿といえば、伏見で大阪方と激しい戦をされたと聞き及んでおりますぞ。」


 ここまで言ってから、この男の真意はどこにあるのか不思議に思った。家康に蟄居を言い渡されて、どこかに逐電したと聞いていたからである。その男がなぜ訪ねてきたのか。率直に尋ねることにした。


 「貴殿のことは良く分かり申した。したがなぜ儂のところにたずねてまいられた? 」


 「は、私が大阪で見聞きしたところによると、里見殿のご家老の板倉殿が大阪城におられることが分かりました。板倉殿を追放されたと伺いましたが、いかなることであられましょうか。」


 「それは里見の家のことゆえお話しするわけにはまいりませぬ。」


 成次はじっと義康の顔を見据えたまま黙している。対する義康もその視線を受け止め黙している。


 しばらく沈黙が続いた。沈黙を破ったのは義康である。


 「成次殿、貴殿の考えているとおりである。して貴殿はいかがされるのか? わざわざ物見遊山に参ったわけではありますまい。」


 問いかけに対し成次は、何かを考えているようであったが、依然として黙したままである。


 「成次殿、今の儂には二千石がやっとであるがいかがかな? 」


 再度の問いかけに成次は驚きを隠せなかった。成次が義康の真意、すなわち義康が豊臣方に与するだろうことを看破したのを理解し、成次もまた家康に対して弓を引こうと、その働き場を求めているのを察した言葉であった。


 「ありがとうございます。それほどいただけるとは思ってもおりませんでした。実は事が起こった時に陣の一角でもお借りできればと思い参った次第です。したが……。」


 成次は言葉を詰まらせた。


 「ありがたく録を頂戴いたします。」


 やっとのことで言葉を絞り出すと深く叩頭した。



 こうして鳥居成次は里見義康の家臣となったのである。義康は成次に兵の強化を一任した。鳥居成次は物事に対し真摯に取り組み、その姿勢ゆえ、すぐに里見家になじんでいった。特に成次と家老の堀江頼忠は気が合い竹馬の友のようであった。義康は心強い家臣を手に入れ、じっと時を待っていた。

 



 里見家には里見八犬伝のモデルになったとされる諜報を行う者たちがいた。"里見忍び"とでも言った方がよいであろう。彼らは剣技を得意とし、巷の世の中に入り込み様々な情報を持ち込んでいた。彼らは館山港に近いところに漁民を装った部落を作り生活していた。彼らの首領は大塚賢介といい、武士として里見家に仕えていた。形として里見忍びは大塚の旗本という立場になる。

 彼らもまたすぐに訪れるであろう大戦の気配を感じていた。

 

 

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