秀頼、斬りつけられる
秀頼が寺に着いたのは、すでに夜になっていた。さすがに家康の葬儀である。寺の門内はいたるところに篝火が焚かれ、昼間のように明るい。しかし、その明るさとは対照的に、何処となく暗さが感じられる。現在の徳川家を反映しているようであった。
秀頼ら豊臣方一行は順次案内すると正純が言いに来た。景勝は何かいいたそうであったが、幸村が押し留めた。はじめに呼ばれたのは結城秀康である。秀康は広間に向かう際、秀頼に一つ頷いた。その後、次々と呼ばれ、最期に秀頼が広間に向かう。
秀頼が案内されて広間に入ると、さほど広くない寺の広間は人で一杯であった。想像した通り、秀頼は本多正信が出迎え、中段辺りの席を指し示された。座がざわつく。秀頼はどうするのか皆が注目している。
席次を眺め見ると、喪主である秀忠が上座に座し、少し下がった所に何故か黒田官兵衛が、その隣りには蒲生秀行がいる。この三名は下座に体を向けている。下座は秀忠の兄弟達が先頭に、本多忠勝ら徳川譜代の者達が居並び、その後に秀忠の実兄である結城秀康が座す。それから景勝ら豊臣方大名達だ。秀頼の指し示された席は景勝の隣りであった。
秀頼は正信を無視し、すたすたと上座へ向けて歩を進めた。
「秀頼殿、どこに行かれる? 」
官兵衛が声を上げる。
秀頼は官兵衛を一瞥すると、秀忠の面前にまで歩む。座はさきほど秀頼が案内された時とは打って変わって静まり返った。
秀忠は坐したまま、秀頼を見上げるが何も言わない。
秀頼は上座にさっとあがるや、秀忠の方に向け坐した。
「こたびは家康殿の葬儀、御苦労でござる。」
秀頼はそう言い終わると下座に向けて体を向けた。秀忠と秀頼はまるで雛人形のように、二人して並んでいるのだ。
「その方、失礼であろう! 」
官兵衛はどなり声を上げ、立ちあがり刀に手をかけた。幸村や景勝も立ちあがる。
「静まれ! 官兵衛! その方がそこに座しておるのなら余は当然ここであろう! 」
秀頼の怒声は辺りの空気を震わせるほど大きかった。その声で再び場は静まり返る。
秀忠は官兵衛と正信に全て任せてくれと言われており、ただ黙していた。しかし目は血走っている。
「秀忠殿、どの様な席次じゃ? 」
先程の怒声とはうって変わって穏やかな声で秀忠に問うた。
「官位でござる。」
無表情に秀忠は答えた。
「ならば余が上じゃな。じゃが喪主である秀忠殿を立ててここでよかろう。」
秀頼が言うと正信が口を挟んだ。
「何をおっしゃる。秀頼殿の官位など認めておりませぬぞ。そうであろう? 皆の者! 」
正信の呼びかけに徳川方の大名達は口々に『そうだ! 認めておらぬぞ! 』などと声を上げる。豊臣方はあらかじめ秀頼に冷静に対応し騒ぐような事はするなと命が出ていたため黙していた。
「狭き心よ。では聞こう。官位は誰ぞに貰うたか? 」
秀頼の問いに正信は『ふんっ』と鼻を鳴らしながら答える。
「決まっておるではございませぬか。朝廷でございますよ。」
「はて? 余の官位・関白太政大臣もしかりじゃが? それを認めぬとはいかなることか? その方、朝廷を馬鹿にしておるのか! ならば朝廷になり代わり関白である余が成敗せねばならぬ! 正信! 答えよ! 」
秀頼は片膝を立て問いただした。あまりの怒気に当てられた正信は返答する事も出来ず、官兵衛を伺い見た。官兵衛はこくりと頷くと口を開きかけた。秀頼は官兵衛を鋭く睨み言う。
「その方は黙っておれ! 正信に聞いておる! 」
官兵衛の出鼻を挫いてしまった。正信は頭をめぐらしていたが、上手く言い返せない。
「秀忠殿、この様な家臣をお持ちで苦労されておるであろう。心中お察し申す。今宵は前右府殿の葬儀じゃ。日頃の諍いは今宵は忘れて故人を忍ばねば罰が当ろうと言うもの。でござろう? 秀忠殿。」
「仰る通りで。これ、正信、そんな所に俯いておるでない。早う、膳を出さぬか。」
秀忠は秀頼の言葉に救われた。故人の葬儀で悶着があれば、その家の恥である。
官兵衛もただ驚いていた。乳離れできずにいた秀頼の事しか知らなかった官兵衛は、これほどまでに秀頼が成長しているとは思っていなかったのである。所詮、豊臣恩顧の大名に担がれた神輿であろうと思っていたのであった。完全に計算が狂ったと言える。
だが官兵衛は、もう一つの手を打っていた。官兵衛は一人の男を見ると、小さく頷いた。
広間では次々と膳が運ばれてくる。膳を運ぶのは女中たちであり、数十人の人が右に左に動いている。その時、女中に隠れて一人の者が動いた。女中の影のように移動したその男は秀頼の傍までやってきた。
「天誅! 」
その男は叫び、さっと刀を抜くや秀頼に斬りかかった。秀頼の頭頂めがけ刀が振り下ろされる。それを目にしていた者は、誰もが秀頼が斬られたと思った。刹那、秀頼は後に飛びのき刀をかわすと、自らの短刀を抜刀することなく鞘のまま、その男の横っつらを叩きはじいた。刀を取り落とした男は幸村が素早く組敷く。
「これはいかなることでござるか? 秀忠殿のお指図か! 」
その男を汲み敷いたまま幸村が秀忠に向かい鋭く問う。豊臣方大名も膳を蹴飛ばし、刀に手をかけている。
秀忠はただ慌てるだけであった。
「ち、違う! 儂ではない! 」
豊臣方大名は今にも暴れ出しそうな勢いである。
「これ、幸村、騒ぐな。余興じゃ余興じゃ。のう? 秀忠殿。はははっ。『うるさい葬儀じゃ、寝てられんわ』と家康殿も言っておるのではないか? はははっ。」
あくまで穏便に事を纏める秀頼であった。徳川方の大名達は、そんな秀頼をただ驚いて見ていた。特に徳川外様の者達は秀頼の度胸に感心し、噂で聞くような凡将では無い事を知ったのだ。
秀頼に斬りかかった男、それは宮部長房だった。宮部長房は秀忠の命で上杉家を攻めたは良いが、散々に打ち負かされ、一旗本として秀忠に仕えていた。官兵衛はいざという時に秀頼を討つと決め、正信にいい人物はいないかと談合していた。正信が推したのが宮部長房であった。自尊心は人一倍あるが、たいして役に立たない長房に白羽の矢を立てたのだ。長房には事が失敗した時は、己の勝手で事に及んだとするよう言いつけていた。その代わり一族の面倒は徳川で見るとしていた。
秀頼誅殺に失敗した宮部長房は、秀頼が秀忠に引き渡した。長房は正信に連れられて行く。官兵衛もそそくさと後を追った。
再び膳が用意されたが、座は白けきっており誰も言葉を発する者はいなかった。
「もう後には引けぬか? 徳川家は? 」
秀頼は秀忠に問い掛ける。他の者には聞こえない小声だ。秀忠はしばらく黙っていたが、酒の徳利を持つと秀頼に向けた。
「まあ一献。」
「おお、忝い。」
秀頼に酌をしながら、秀忠は呟いた。
「そうですな。引き時が分からぬ。徳川のために死んでいった者達も数多い。今引いたらその者達に祟られるであろうかと。」
「そうか。仕方ないのう。信長公も父・秀吉も家康殿も負け戦はあった。その負け方も大事なのじゃろう。秀忠殿、豊臣が勝つぞ。余は色々とあらゆる方面から見てみたが、我が方が有利じゃ。」
「ふふふ、『桶狭間』もありますぞ。予想通りに行かぬのが戦。」
最期は秀頼も笑って徳利を持ち秀忠に返杯した。
秀頼は家康の葬儀で関白としての体裁を堂々と保った。官兵衛、正信は次なる手を模索する。秀忠も割合すっきりした心持で、豊臣と対峙する事に決めた。開き直りと言っても良い。
葬儀が終わるや否や、秀忠は八王子龍光寺に向けて兵を出す。総勢六万……。




