本多正信、秀頼の器量を見る
一六一六年八月五日、本多正信は大阪城にいた。
それは、豊臣秀頼に家康の葬儀に参列されたしという、秀忠の意を伝えに来たのだ。
この時分、戦の相手方が、葬儀に参列した例はない。
徳川秀忠と本多正信は、先の信濃・松本城での敗戦から戻り、家康の死を公表した。直轄領では触れを出し、徳川方大名には書状を送り付けた。
本多正信は家康は単なる一大名では無く、幕府を開いた偉大な者であり、先例がないものの豊臣方勢力を含めた全国の大名に、徳川家康の死を知らせる旨と、葬儀への参列を促す書状を送るべきだと説いた。
徳川秀忠は本多正信の意を取り入れ、豊臣方大名や毛利輝元、鍋島直茂へ書状を送る。
徳川将軍家としては、豊臣秀頼の関白叙任を認めていないが、書状では無く、重臣中の重臣である本多正信を遣わしたのだ。
本多正信は大阪城・謁見の間に通された。
そこには上座から一段下がって右手に前田利長、左手に真田幸村が、それに連なって大野修理治長が座している。
やがて、片桐且元に先導され、豊臣秀頼が姿を現した。
正信は平伏する。気配で片桐且元が前田利長の下座に座すのが分かる。
「これは本多正信殿、表を上げられよ 」
凛々しい声が本多正信に掛けられ、正信は体を起こし正面の秀頼を見た。
【おお、これが豊臣秀頼か。なんと凛々しいのじゃ。
いかん! この者が力をつければ、我が殿は危うい! 】
本多正信は秀頼を一目見て、器量を悟った。
「前右府殿が身罷われたそうじゃの。お悔み申す。
正信殿は、わざわざその事を知らせに参られたとか、御苦労である 」
「は、つきましては秀頼様に前将軍・家康公の葬儀にご参列されるよう、将軍・秀忠公の名代としてお伺いいたしました次第でございまする 」
正信は改めて平伏しながら言上した。
これは受け取り方次第では、大変なことである。対応を間違えれば、それぞれに従う大名達がどう受け取るか分からない。正信が前将軍の葬儀と言った以上、秀頼が参列すれば、秀頼が徳川将軍家を認めたことになる。さすがに、すぐには返答はできまいと正信は思っていた。
「正信よ、葬儀はいつじゃ? 」
秀頼は正信に問う。
「は、遠国の大名もおりますれば、十日後…… 」
「よかろう。関白として、前右府殿の葬儀に参ろう 」
秀頼は即答した。本多正信は驚いた。
もっとも秀頼の物言いは、前将軍としてではなく前右大臣としての家康の葬儀に参加すると言っていたのであるが。
「そ、それは有難うございまする 」
本多正信は秀頼に完全に飲まれ、気負けしていた。
「うむ。本日は御苦労であったの。これをとらせる 」
秀頼が言うと大野修理が、秀頼の元にすすっとよると何かを受け取り、正信に手渡した。
「『不二山』じゃ 」
「なんと、そのような物を頂くことはできませぬ。何とぞ御容赦を 」
『不二山』。本阿弥光悦作の楽焼茶碗の逸品で、大名達の間でも、名の知れた宝物であった。
「遠慮はいらん。宝物蔵が手狭になっての。ちょうどいいのじゃ。それに、誅されるかもしれぬ覚悟をして、ここに参ったそなたの家を思う忠心に対する褒美じゃ 」
そう言うと秀頼は笑った。豊臣の財政が豊かである事を物語る言い草である。
しかし、当の正信は、そのような含みを持った言質に気付く余裕もなかった。
【ああ、この笑顔。まさしく秀吉の子じゃ 】
正信は魅入られるようであった。
「上様が、ああ、仰っておられる。ご遠慮はいけませぬ 」
前田利長が言う。正信は利長を見やる。
【前田利長…… こやつも利家殿に比べ凡庸との事じゃったが、違う。凡庸では無いな 】
本多正信は、前田利長の器量をも見た。
幾分、落ち着いて真田幸村、片桐且元、大野修理を見ると、みな、顔は引き締まり一角の武将である様が伺えた。大野修理などは、かつて家康の内通者であり、正信は何度も顔を合わせていたが、堂々とした居住いはまるで別人のようであった。
それら居並んだ武将を見て、本多正信は背筋の凍るような思いであった。
豊臣秀頼と対面を済ませ、一路帰途についていた本多正信であったが、頭の中は秀頼の事で一杯であった。
【いかぬ。豊臣の家は、あの秀頼がいる限り、徳川家にとって行く手を阻む。いずれ外様の者達は秀頼に靡くであろう。悔しいが、上様・秀忠公と器が違う。なんとかせねばならぬ。なんとかせねば…… 】
一六一六年八月十五日 徳川家康の葬儀が営まれる……。




