秀康、大阪に着く
1615年12月 結城秀康は大阪城に着き、関白・秀頼と謁見する。
「これは兄上、よくおいで下された。こ度はゆるりとされていかれよ。」
「は、ありがとうございまする。上様とは馬揃え以来でございますな。」
謁見中の話はこのように他愛もない話しで終始した。
お互いに腹を探り合っているという感じでなく、お互いにお互いの立場を理解しているがために、相手を慮って遠慮しているのであった。
秀頼は秀康に城内に宿泊するよう勧めたのであるが、城下の福島正則の所に厄介になると丁寧に断りを入れた。
秀康は大阪に着いた日の翌日は、大阪城には訪れず、正則の屋敷で正則と旅の疲れを取るべく過ごした。その日の夜中である。正則と夕餉を共にしていると、正則の近衆の者がやってきて、こう告げた。
「ただ今、秀康様にあるお方が尋ねて参られております。いかがいたしましょうか。」
「はて、儂に?儂がここにおることは知られておらぬと思うが…。」
いかがしようかと正則と顔を見合わせ首を傾げていると。
『どたどたっ。』と廊下を歩んでくる足音が聞こえる。
やがて足音は二人のいる部屋の前まで来ると、すっと障子をを開いた。
「お邪魔いたす。余も夕餉を共にしたい。」
悪戯小僧のような笑顔で顔を出したのは秀頼であった。
「こ、これは上様、このような所に!」
二人は驚いた。
「なに、今日は兄上が城に見えなんだので寂しゅうなって、余の方から参ったまで。」
笑顔で秀頼が言う。秀吉譲りの笑顔には敵わない。秀康も嬉しそうに笑っている。ただし正則の顔は険しい。
「上様、上様はお忍びで参られたか?この事は幸村殿や利長度は御存じでありまするか。近衆の者は幾人連れて参られたのでしょうや。」
正則は問いただした。
「い、いや誰にも言っては来ておらぬ。止められるではないか。近衆の者は二人じゃ。そう怖い顔するでない。」
「なんと、ほんにお忍びで参られたか。なりませぬぞ、上様はその辺の大名とは違うのですぞ。万が一の事があったらどうなされる。だいたい、上様は…。」
「まあまあ、正則殿。正則殿の言うことはもっともでございますが、上様もよう分かっておいでじゃ。ここはお許しあそばれよ。」
と秀康は正則の説教を止めに入ったのである。秀頼はがくっと肩を落とした姿を見せながら、秀康にだけ見えるように、ぺろっと舌を出して見せた。秀康は思わず噴き出しそうになった。
結局、3人で夕餉を共にすることになったのである。楽しい夕餉も終わると、そのまま宴である。実際の所、秀頼は酒が得意ではない。彼の父・秀吉も酒はあまり得意では無かった。その秀頼が僅かな酒で顔を赤らめている。
「兄上、酒に酔った勢いで言わせていただこう。兄上とは血の繋がりはない。じゃが父上を通して繋がっておると余は思っておる。余に力を貸して下され。」
と赤い顔で秀康の手を握り、頭を下げたのである。
「上様、ありがたきお言葉。分かり申した。私の心は、正則殿によって、既に豊臣家にあり申す。が、表立って豊臣の旗を揚げるのは機をお待ち下され。」
と秀頼より深く頭を垂れて答えた。
秀康は、家臣たちを説得する必要もあった。家臣団の中には家康より授けられた、いわゆる家康よりの家臣もいたのである。できれば、なるべく多くの家臣が納得して豊臣の旗下に入りたかったのである。
秀康もまた秀頼に将の才を見、己をかけてみたくなっていた。
秀康は10日ほど大阪に滞在し、幸村や利長と何度も談合した。また堺の商人たちとも話をしていたようである。
秀康は国元へ帰っていった。その顔はなにやら決意を秘めた、引き締まっていた。
秀康は国に帰ると、すぐに家臣たちを集めた。その場で結城家は豊臣家に加担する旨が告げられた。そして今まで通り徳川に与するべきと考える者はおるかと問いただした。数名の者が家康の子である秀康は当然、徳川方におるべきであると述べた。
秀康は家康の子として生まれたが、秀吉の養子となり、結城家の養子となった。いわば我の立場は3つある、その中で我は秀吉の養子である立場を選ぶと、反対意見を述べた者達に言ったのである。
結局、反対の意を示した者達の内、最期まで、その意見を変えなかった5名の者は、徳川家当主・秀忠に送られることになった。家康ではなく秀忠に送りつけたのは、秀康なりの家康に対する意地であるかもしれない。この際、家康や秀忠の他に、豊臣方の主だった大名に書状を送り、豊臣方に与することを高らかに宣言したのだ。
秀康は家内を纏めあげ、緩んだ空気を一掃すべく、きつい鍛錬を課し、自ら体と頭を動かした。僅か一月後には、いつでも戦場に出れる状態にまで軍勢を仕立て上げたのである。




