高虎の末路
大岡左馬介は秀則の居城・丹波亀山城で鉄砲隊の訓練をしていた。そこに秀則が現れた。秀則は一人の男を連れている。
「殿、いかがされましたか? 御用であればそれがしからお伺いいたしましたのに。」
「いや、儂も鉄砲隊や大鉄砲隊の鍛錬を検分したくなってな。」
「そうでございますか。どうぞご覧いただき、お気づきの事がございましたらお申し付け下され。」
左馬介はそう言って、秀則の連れている者をまじまじと見た。
「はて、その方は先日、我が大鉄砲隊に入った者ではないか? たしか名は海野信正と申したと思うが……。」
「さすがに左馬介じゃな。目下の者までよく覚えておるのう。」
「ははは、手前をおだててなんぞ企みをお持ちですかな、殿は? 」
「ふふふ、そうじゃ、よく見抜いたの。実はこの者は真田家の血筋の者。昌幸殿の兄上の御子息じゃ。幸村殿の従兄弟に当たる。先日の津山城の戦の後、儂の所に訪ねてまいったのよ。」
「ほう、真田家の御血筋でしたか。道理で筋がよろしいと思っており申した。」
「ふむ、そこでじゃ。この真田信正をその方の家臣に取り立てよ。これは主命じゃ。」
「こ、これは殿! 幾度も申しておるではございませぬか。手前は家臣を雇うつもりはございませぬ。こればかりは御遠慮させていただく。殿の直臣、旗本にされて下され。」
「ならぬ! 先程も申したがこれは主命じゃ! それにな、この信正は先の戦で、儂にではなくそなたに仕えたいと申して居るのじゃ。
そなたは一人で気楽にいこうと思っておるやもしれぬが、他の家老達の立場を考えなくてはならぬ。また他家から、織田家は家老の職にある者が旗本の一人も持っておらぬと揶揄されるのであるぞ。
先程、この信正は筋が良いとその方が申した。ならばその方の右腕として信正を使え。そちには丹波国内の山家陣屋を治めることも命じる。録は三千石を与える。」
こう秀則に強く言われては、左馬介も断りきれない。
「左様でございますか。主命とあらば、致し方ございませぬ。お申し付け承りました。したがたった一つお願いがございます。山家陣屋はこの信正に仕置を任せまする。手前はあくまで殿の傍におりまする。こればかりは譲れませぬ。」
左馬介も強情であった。
「ふう、仕方ないの。ならば認めよう。だが信正一人で山家一帯を治めるのは無理があろうて、あと幾人か旗本を雇い入れるがよい。それならば儂も認めよう。」
こうして大岡左馬介は旗本に真田信正を雇うこととなり、鉄砲隊の将の二人も旗本にしたのである。
山家陣屋を治めていた織田有楽斉は、美作に転封した織田秀信の元居城・八上城に加増転封された。もちろんその他の宿老や家老達にも所領が与えられたのである。
【しかし丹波に城が多すぎるな、いずれ幾つかの城に纏めねばならぬな。】
と秀則は思っていた。
さて、大阪に引き立てられた藤堂高虎はというと……。
縛りあげられたまま、前田利長の元に連れてこられた。そこには利長の他、真田幸村が座していた。
「藤堂高虎殿、このような形で再開するとは世の中も無常でございます。」
「これは利長殿、お久しゅうござる。少々縄がきつうござる。手前は逃げも隠れもせぬゆえ、縄を解いて下さらぬか。それに関白様は?関白様にお目にかかりたい。」
「高虎殿、申し訳ござらぬが、縄を解くことも上様にお目にかかることも、相成りませぬ。上様は高虎殿の顔など見とうないと申されておられ、高虎殿の処遇も手前とこの幸村殿に一任され申した。」
「なんと! ……。」
高虎は絶句した。高虎はこの期に及んでも秀頼に会えさえすれば、上手くいい繕って豊臣に帰参できるとたかをくくっていたのであった。
「利長様、時をかけても仕方ありませぬ。」
幸村が利長を促した。利長も無言でうなずき、高虎に申し渡した。
「藤堂高虎。その方の罪はその方がよく分かっておろう。本来であらば死罪は免れぬ所なれど、太閤様を支えておった頃があるのも事実。よって罪一等を減じ高野山への流罪とする。なお親族に会うことは許されぬ。身一つで高野山で下人とする。…… 以上である。」
こうして藤堂高虎は縛りあげられたまま下帯一つに剥かれ高野山へと送られたのである。
その後の高虎を知る者はいない。あわれな末路であった。
高虎の重臣たちは、豊臣に従臣することを願った者は認められたが、捨扶持程度の録で旗本に召し抱えられた。今後の働き次第で立身もあるとされた。高虎遺臣たちのうち高名な者や才のある者は、将を求める大名たちに使えるようになる。豊臣に従臣することを嫌った者達は、処断された。
豊臣に従臣した者の中で織田秀則は内政の才があると言う西島八兵衛という若者を召し抱えたいと秀頼に申し出て、家臣に取り立てた。八兵衛は美作の秀則直轄領の代官として務めることになる。
伏見攻めなどで少しばかり武勇の知れていた緒方惟定は塙直之がやはり召し抱えることになった。しかしこの緒方惟定は直之と馬が合わず、直に出奔して、徳川方大名の山崎家治に仕えることになる。




