藤堂高虎退治出陣
1615年1月中旬
大阪城を福島正則が一万の兵を率いて出陣した。向かうは美作、藤堂高虎退治である。美作で織田秀則と合力するのである。高虎は十八万石で七千ほどの兵しか擁していない。
高虎は正則勢が美作に向かっているとの知らせを受けると伯耆の加藤貞泰や因幡の山崎家治、亀井政矩に援軍を求めた。結果、伯耆勢二千、因幡勢千五百が援軍に参じたのであった。また帰農していた秀吉の美作攻めの際に豊臣に遺恨を抱いた土豪たちに声をかけ千兵あまりを引き入れたのである。総勢一万千五百である。
美作・小田草城で秀則率いる織田軍六千と正則軍一万は合流し、高虎の居城・津山城を目指し進軍した。この際、秀則は正則を戦目付と考えており、後詰を頼んだのである。しかし正則は是非にと先鋒を願い出たのである。
「秀則殿、手前は戦目付ではござらぬ。何とぞ先鋒をお任せいただきたい。実を申せば、ここ数年、目立った戦働きをしておらぬのです。是非に働き場を与えて下され。」
「左様でござったか。しからば正則様に先鋒をお任せいたします。存分に暴れて下され。」
「おお、これは忝い。」
といった具合であった。
一方の高虎であるが…。
【くそっ。これ以上の援軍は見込めぬな。はようから徳川に与してまいったのに、こんな豊臣方に囲まれておる所などに配しおってからに。誰のお陰で関ヶ原で勝てたと思うてか。もはや徳川に力はないのう。されば、いざとなれば早々に降伏し豊臣に帰参するまでよ。清正、正則、輝政が帰参を許されておるしな。はじめこそ肩身の狭い思いをしようが、将はいくらでも欲しい所であろう。ここは正則相手に武勇を見せつけておけばよいであろうて。】
次々と主を変える腹黒い藤堂高虎である。心中で早くも豊臣に帰参する腹積もりであった。
高虎は津山城前に布陣し野戦を挑んだ。左に伯耆勢を、右に因幡勢を配している。土豪勢は高虎本隊の前面に配した。計算高い高虎は自らの陣の鉄砲の弾避けに土豪を配したのである。
戦は正則の鉄砲隊が土豪たちを壊滅させ、白兵戦となっていく。数に勝る正則勢であるが、相手はさすがに歴戦の将である高虎だ。一歩も引かずに持ちこたえている。高虎も先頭になって槍を振るっている。
ここで高虎は左右の伯耆、因幡勢に左右から正則勢に当たるよう命じた。正則勢は崩れるが、統制のとれた正則勢は大崩れとまでは行かなかった。ここで高虎隊も騎馬隊を繰り出し正則勢に強く当たる。
『ダーンッ!! 』
銃撃音が聞こえる。高虎の騎馬隊は馬上筒を携えていた。普通の軍勢であれば容易く崩れたかもしれない。しかし正則率いる福島勢は馬上筒に臆することなく、槍を繰り出し、中には槍を投げつけ騎馬隊を削っていく。
「うむ、ここでひと押しするか。六之丞、二千を預けるゆえ、因幡勢に当たり福島勢に加勢せよ。」
秀則は藤堂家家臣であった本山六之丞に命じたのであった。
ところがこの因幡勢は強かった。いや因幡勢というか山崎家治隊が強かったのである。同じ因幡勢の亀井政矩隊が崩れる中、山崎隊は乱れず、本山隊を押し戻す勢いである。
「殿! 山崎家治殿の手にかかり本山六之丞様討ち死に! 」
使い番が走り込んできた。
「何! 六之丞、済まぬ。良い目を見させてやれなんだ。秀勝殿、すぐに出陣して下され! 本山隊を纏めて下され! 」
「おう、伯父ご、分かった。任せよ! 」
織田秀勝が向かった時にはすでに本山隊の半数は散ってしまっていたが残りの千兵を纏め山崎隊に当たっていった。
「やや、新手がまいったぞ。ここは無理をする出ない。引け!儂が殿を務める! 皆の者引け! 」
山崎家治が叫び、山崎隊は退却して行った。家治の殿も見事であった。
福島隊も数に勝っているため徐々に勢いを取り戻し高虎隊を押していた。
高虎は因幡勢が崩れたのを知ると、退却し津山城に入っていった。伯耆勢も退却している。
熱い息を吐きながら秀勝が戻って来た。郎党が首を抱えている。
「伯父上、亀井政矩殿の首じゃ。山崎家治には逃げられてしもうた。」
「よくやってくれた。山崎家治と言う者、なかなかの者じゃ。あんなもののふも徳川にまだいたのじゃなあ。さて、今日の戦はここまでとするか。」
津山城の戦いの初日は敵将・亀井政矩を討ち取ったものの、本山六之丞を失い幕を閉じた。
「正則様、さすがでございますな。火の出るような熱い攻めでござった。」
「いや、数に勝っていながら恥ずかしい戦でござる。ご家臣を失わせてしまい面目ござらん。」
「なにをおっしゃる。高虎の馬上筒隊に対しお見事でございました。本山の事は、あの山崎と申す者の手にかかったのでござる。仕方ありませぬ。」
「そう言っていただけると楽になり申す。」
「今日はちと早いですが、戦を終いにし、陣を構えましょうぞ。」
こうして津山城前に城方の奇襲に備え陣を固くし、明日に備えたのであった。




