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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
秀頼飛翔
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大阪冬の陣9~池田輝政の帰参~

 大阪城西側の徳川方は池田利隆勢だけとなったのであるが、これに対する軍議が開かれる。、といっても秀頼、真田昌幸、前田利長、大野修理の4名だけである。


 「さて、池田利隆殿でありますが、いかがいたしますか? 」


 昌幸が秀頼に尋ねる。


 「ふむ、きゃつめを叩くのはさほど難しい事ではあるまい。が昌幸は輝政との事を考えておるのであろう? 」


 「さようで。先日の輝政殿との約定もあります。その御子息である利隆殿を叩くとなれば、今後の事が読めませぬ」


 昌幸は、豊臣方が利隆を攻めることになれば、輝政がどう動くか気になっていたのである。


 「昌幸の言うことも分かるが、利隆は輝政の言う事を聞かずに参陣したと聞く。ならば遠慮することはあるまい。またそれで輝政がへそを曲げるようであれば仕方がないと思っておる。織田殿は苦しくなろうが、これまでの織田殿を見るに、織田殿は十分に地力を付けたと思うぞ」


 秀頼は輝政との約定によって一番の利を得た織田秀則率いる織田家についても言及し、その上で過度の気遣いはする必要が無いと言っている。

 

 ここで大野修理が口を開いた。


 「上様のお考えは分かりました。ここは私めを輝政殿に向かわせていただけませぬか。輝政殿に利隆殿に対する豊臣方の意を伝えてまいりましょう」


 「修理殿は、どんな話をされてくるおつもりや?」


 修理の申し出に対して利長が尋ねた。


 「は、まずは利隆殿に対し豊臣方は遠慮することなく対することを申し上げます。更に輝政殿とは積極的に事を構える気が無いことも」


 「それで輝政殿はどう出ますかな? 」


 「手前の考えでは輝政殿はこちらの動きを容認するものと思われます。仮に輝政殿がこちらの意に反し、真正面から豊臣に弓を引くことになったとて、十分に抑え込めるのではありませぬか」


 珍しく修理が強く自分の意見を述べたのである。修理は以前は徳川と通じていて、その事は秀頼をはじめ昌幸や利長、兼続は知っていた。そして今は心を入れ替え、豊臣のために尽くしている事も皆が分かっている。しかし、修理自身が過去の行いを許してはおらず、己にできる事を精いっぱいやることが課せられた使命であり、贖罪と捉えていた。

 黙って修理と利長のやり取りを聞いていた秀頼が静かに口を開く。


 「修理よ、そちはまだ何か考えておるな。すべて申してみよ。」


 「は、さすがは上様でございます。しからば……。  手前は息子・治徳と輝政殿に豊家に預けられた和田正信殿を連れて参ろうと思っております。治徳は輝政殿に預けまする。和田正信殿には改めて輝政殿を説得していただこうと思っております」


 「なんと修理殿は御嫡男を質に出されると申すのでござるか! 」


 昌幸は驚きを隠せなかった。利長も驚いている。

 秀頼は一人冷静であり、こう述べた。


 「ふむ、修理の覚悟、あっぱれ。輝政を完全に徳川から引き離そうと言うのであるな。見込みはあるのか? 」


 「はい、現状を見るに徳川と我が豊家とでは、どちらに義があり、分があるかは冷静に見ればお分かりいただけると存じまする」


 結局、修理の意見が取り入れられることになった。


 数日後、修理は密かに池田輝政の陣を訪れ輝政と面会したのである。輝政は徳川への面子から首を縦に振ろうとはしなかった。ただ利隆への豊臣方の攻撃については黙認する姿勢を示した。

 しかし、修理は執拗に食い下がり説得した。説得には和田正信も加わり、徳川方が不利であることを強調したのである。

 説得には五日を要し、ついに輝政は修理の申し出を受け入れたのである。修理は嫡男・治徳を輝政に預けた。嫡男まで差し出す修理の気迫に輝政は根負けしたのである。


 輝政はすぐに陣をたたむと、利隆の陣へ出向いた。

 今度は利隆を輝政が説得するのであった。これに修理も同行した。利隆は説得に応じ父・輝政と共に豊臣家に帰参することになったのである。



○大阪城・控えの間


 上座に秀頼が座し、脇には真田昌幸、前田利長が座している。下座には池田輝政、池田利隆が座している。


 「輝政殿、帰参が遅いではないか。清正爺も、正則爺も待っておったぞ」


 にこやかに秀頼が輝政に話しかけた。


 「は、申し訳ございませぬ。手前は徳川殿と血も結んでありました故、遅うなり申した」


 この輝政の言葉にに対して秀頼は微笑みながら言う。


 「そうか、したがよく戻ってきてくれた。これからは豊家のためではない、世の平穏のために力を貸してくれ」


 そして、真顔に戻り、利隆を見つめた。


 「さて、利隆。そちは輝政殿の子でありながら、父上の意も聞かずに余に向かってきおったの。そちは輝政殿と同様に咎めなしで豊臣の旗下に迎えるわけにはいかぬ。本来ならば領地は没収、輝政殿の家臣に据え置くのであるがな。ここは輝政殿とそちを説得に出向いた修理の顔を立て、豊前一国十二万石に転封減封とする。本来はそちの弟の家名であるが、そちが当主となり治めよ」


 秀頼は利隆に対しては強く命じたのであった。また徳川に担がれた利隆の異母弟を認めず、利隆を当主と定めたのであった。

 秀頼は戦の最中であるにもかかわらず、利隆にすぐさま豊前に向かうよう命じ、輝政にはそのまま大阪城に入れた。

 秀頼のこ度の仕置は厳しいようにも受け取れるが、筋は通っている。豊臣恩顧の武将であっても、諸手を上げて迎えられる訳ではないということである。

 また、輝政から秀頼に預けられていた和田正信は、仮に与えられた木下姓をそのまま下賜されて秀頼の直参となり、馬廻りとして務めることになる。


 豊前を治めていた宇喜多秀家は、利隆の備前三十八万石に加増転封になった。これには早くから大阪城に詰めていた明石全登が喜んだ。


 「秀家殿に、明石殿をお返ししよう。」


 秀頼の一言で、明石全登も改めて宇喜多家に帰参した。


 「全登が戻ってくると、口喧しいであろうのぅ。少しはおとなしくせいよ」


 秀家は言う。


 「なに、殿には儂のお小言がなければ物足りないでござろうて」


 と明石全登は言い返し、周囲の笑いを誘った。




 さて、大阪城西側の徳川方がいなくなり、北側の池田輝政も豊臣に帰参した。

 こうなれば北側の丹羽・北条合流隊も陣を維持することができなくなり、浅野幸長旗下に組み込まれた。徳川方は大阪城東側にだけ布陣する形となったのである。


 東側に帯陣する将の中でも藤堂高虎、蜂須賀至鎮は四国の所領を失っている。そこで秀忠は先の戦で命を落とした森忠正の所領である美作一国を藤堂高虎に与えた。蜂須賀至鎮には美濃の徳川直轄領である二郡を暫定的に与えるしかなかった。

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