大阪冬の陣3~対家康陣~
織田秀則は、1614年2月中旬には次々と丹波の徳川方の所領を攻めたて版図を広げた。ほぼ丹波一国を手中に治めた。丹波国は二十六万石にもなる。播磨の所領と合わせると秀則の所領は三十万五千石にもなる。もはや大大名である。丹波の小大名たちは、ほとんどの兵を根こそぎ率いて大阪城に対峙する徳川秀忠の元へ集っていたために、領内の接収は容易であった。そのため、ほとんど被害もなく丹波を手に入れることができた。
丹波の多くの領土が織田家に接収されたことは、丹波に所領を持っていた小大名たちを大いに落胆させた。亀岡の岡部長親や福知山の関一政などである。
篠山城を守る松平康重は、大阪城へと向かう準備に追われている所で城を囲まれ、降伏し、織田家に降
った。康重は織田家の家臣の末席に座すことになった。
秀則は亀山城に入り、軍備を整えた。伏見城、大阪城に事があれば駆け付けられる位置である。
「さて秀信兄じゃ、我はこの亀山におって、多聞の家康に睨みを利かせておりますゆえ、領内の仕置はお任せいたしまする。」
「ふむ、それは良いがここにはいかほど詰めるのじゃ。」
「そうですな、あまり少ないと家康に対することもできませぬゆえ、六千は詰めたい所ですな。」
「では残り三千を上手く配するようにしよう。まあ、なんとか遣り繰りできようて……。 だが6千でも戦上手の家康に対峙するとなると心もとないのぅ。」
秀信はそう言って腕を組んで考えている。やがて妙案が浮かんだのか、にやりと笑い顔を上げた。
「そうじゃ、ここは福島忠勝殿に5千をここに向けてもらってはどうじゃ? 」
「ほう、なるほど、それはいいお考えですな。兵だけでも預けてもらえるとありがたいですな。早速、使いを出しましょう。」
福島忠勝は秀則の申し出に諸手を挙げて賛意を示した。そして自ら兵七千を率いてやってきたのである。
「これは忠勝殿、御自らおいで下さるとは、ありがたきことにございます。よしなにお願いいたしまする。」
「なに、一応毛利の抑えに1万ほど割いて来ねばならず、もう少し連れて来たかったのでござるが……。」
「とんでもござらん。十分でございますよ。
したが、福島殿はずいぶんと兵をお持ちでございますな。大阪の城にはお父上が一万で入ってござろう? で、毛利の抑えに一万、ここに七千…合わせますと二万七千でござりまするか。いやいや羨ましい。」
「ははは、実は火の車でございますよ。まあ、大阪の父上の兵は関白様より給金をいただけるとの事でござったので、急遽、雇い入れた者を留守に置いてきましたわ。」
「なるほど、関白様に給金を出していただければ、それだけ兵を雇えますなあ。いや、なるほどなるほど。」
と秀則はしきりに感心している。
「ところで秀則殿、これからいかがされるので?家康殿の動き待ちですかな?」
「そうですな。じつは二条城の塙直之殿、伏見城の長宗我部盛親殿と話をしてみようと思っておりまする。伏見には幸村殿もおりますれば、面白き企みも浮かぶやもしれませぬ。」
「そうでござるか。いや、これは楽しみですなあ。その談合には是非加わらせて下さいませ。」
「もちろんでござる。多い方が案が出るやもしれませんし……。 そうだ、向島の板倉昌察殿も呼びましょう。早速、繋ぎを付けまする。」
秀則はすぐさま二条城、伏見城、そして要塞となっている向島に書状をしたため送った。
数日後、伏見城天守…
一同が車座に座していた。一同とは長宗我部盛親(伏見城主)、真田幸村(伏見城軍師)、塙直之(二条城主)、織田秀則(織田家当主)、福島忠勝(秀則に合流)、板倉昌察(向島守将)である。
まず皆を集めた織田秀則が口を開いた。
「皆様、こうして集えて嬉しゅうござる。大阪城は囲まれておりますが、寄せてが思いのほか少なく、あの城は大丈夫でしょう。我らは、多聞に陣を張った家康殿に対した方がよいと存じまする。御異存はござろうか? 」
「私も同意いたしまする。」
盛親が賛意を示すと、他の将たちもこぞって賛意を示した。
「家康殿の抑えと考えてよろしいのですな? 」
幸村が問う。
「そう考えてよろしいかと……。 家康殿は得意な野戦をお望みでしょうな。したが馬鹿正直に正面から野戦を仕掛けるのはどうかと思いますな。」
秀則が答えた。
「家康殿は、我らが大阪に寄せることのないようにしておるのでしょうな。」
「直之殿のおっしゃる通りであろうと思いますな。また隙あらば伏見を狙っておるでしょう。家康殿にとっては目ざわりですからな。」
一同は肯いた。
「ところで伏見と二条城にはいかほどの兵がおるのですか? 」
忠勝が聞いた。
「伏見城は一万二千でございます。」
「二条城は五千。」
盛親と直之がそれぞれ返答する。
「おっと、我ら向島を忘れていただいては困りますな。我らは三千と少ないですが、火力は十二分にございますぞ。」
忘れられてはかなわないと、向島守将の板倉昌察が言った。
「これは板倉殿、失礼致した。向島の火力は当てにいたして居り申す。で、なるほど、我ら織田・福島合流隊は一万三千でございます。我らの兵を合わせると三万三千ですな。家康殿が動いた時、対抗するするには十分ですな。」
「ですね。家康殿が動いたら、十分渡り合えるでしょう。繋ぎを密に取りあいましょう。
ところで織田殿は、人材も豊富とお聞きいたしました。伏見では一万二千の兵はおるのですが、それを率いる将がおらぬのです。どなたかお貸し願えないでしょうか? 」
幸村の言うことは事実であった。大きな伏見城を守るのには将が足りないのである。この時に兵を任せられる将と言えば、盛親、幸村の他に、盛親の家老・南岡親清と幸村の家老・高梨主膳ぐらいであった。
しかし、幸村は、幸村たちが伏見にいる間に、急に版図を広げた織田秀則という人物を計りかねていた。まだ腹の中を探っているといったところである。先般、秀則の兵の訓練を依頼され、鍛錬をしたのであるが、その際に兵どもに聞いた所では表裏ない人物との印象は持っていた。将を貸してくれと言う事の裏には、織田家が徳川に裏切ることはないのか…… という質にも似た感覚であった。
「おお、幸村殿、大きな伏見城を守るのに、それはお困りでしょう。わが家内もそれほど人材がおるという訳ではないのですが……。 さすればいささか年はとっておりますが、塩川孫作とその嫡男・孫則をお貸ししましょう。」
秀則も正しく幸村の意を理解していた。そこで忠臣中の忠臣の一人である孫作を出すことで豊臣方である姿勢を強調したのである。また武芸、智略共に優れた幸村と懇意にすることは願ってもないことであった。
「なんと、塩川殿をお貸しいただけるのでございますか。これは嬉しきことでございます。そうでございましょう? 盛親殿。」
盛親も大きく肯き、喜んで借りることにした。
この塩川孫作は元は秀則の兄・秀信の古くからの家臣で、関ヶ原の戦いの時は岐阜城で徳川方と激しくやり合った。その戦ぶりは知られていた剛の者である。
こうして多聞城跡に陣を張る徳川家康勢二万兵に対し、伏見城、二条城、亀山城の三城で抑えることになった。




