六輝隊の初陣
一六一二(慶長十七)年、三月二十日
先日、来島長親、横浜茂勝が淡路島を制し、水軍の拠点作りに着手した。徳川攻略を掲げる秀頼は次の手を打つべく動く。
大阪城・鶴の間
そこには前田利長、真田昌幸、そして秀頼近衛隊である「六輝隊」の六将が座している。上座には秀頼だ。
「長親らが淡路を制した。さて次であるが、庄山城を攻める。三木城、妻鹿城、庄山城の三城で姫路城の抑えとする。異存あれば申してみよ。」
秀頼が一同を見ながら言う。
昌幸が、恐れながらと口を開いた。
「上様、性急すぎると思いまする。姫路の池田殿は、こちらが三木、妻鹿の両城を抑えたことで、警戒も厳しくなっており、庄山にも少なからず兵を入れており申す。確かに庄山を落とすことは可能でありましょう。が、まだまだこちらには将が不足しております。どなたが攻めるのでありましょうや。」
「攻めるのはこの六輝隊じゃ。六輝隊としての初陣じゃな。」
「やはりでございましたか。この場に六輝隊の面々が座しているのでそうではないかと思いました。したが上様、近衛隊は上様のそばにあり、守ることが第一の役目。その者達が城を治めるとなれば、役目は果たせませぬ。」
「ふふふ、昌幸よ、確かにそなたの申す通りであろう。が六輝隊は城を落とすだけよ。治めはしない。」
「ん? 上様は攻めて落とすが、治めないと申されるか……。」
昌幸は腕を組み考える。秀頼はにこにこと笑顔を浮かべている。利長はやはり昌幸同様に考えている。
やがて、昌幸が口を開いた。
「なるほど、となると落とす者と治める者は別と言うことでございますな。ふむ、となると治める者ですが……。姫路に対することができる者と言うことになりますな……。やはり人が足りませぬ。明石殿やもうすぐ着陣される正則殿などは、東に対してもらわねばなりませぬ。この城が危うくなりますからな。」
「人はおる。昌幸よ、ここには織田殿に治めてもらう。」
「あ、秀則殿に!…… なるほど、それはよいかもしれませぬな。なるほど。」
と納得したようである。
「利長、昌幸、その方らの心配も分かる。したが関ヶ原の戦いからずっと世は定まっておらず、民も疲弊しておろう。それで幾年かは、大きな戦はせずにいたのじゃ。間をあけたことで、豊臣に与する各地の大名も力を蓄えることができた。もっとも徳川にもその時間は平等にあったのであるがな。
この大阪城の周りに人が足らぬのも事実である。したが亀のように首をすくめ、徳川の動きを待っておっても人は集まらないであろう。
そこで聞くが信長公はどのようにして人を集められたのじゃ? それは手足を伸ばし敵を攻めたから人が集まったのであろう。降将を取り入れ、自らの手足とし、大きくなられた。余の父も同じであった。」
秀頼の言う通りであった。信長も秀吉も戦い続け、将を増やしていった。北条家などはそれができなかった。ゆえに大きく羽ばたくことができず、滅亡の道をたどったのである。昌幸は納得した。そして黙って頭を下げた。
「昌幸よ、そなたは世の軍師である。ならば余と同じ物を見よ。余の考えをくみ、策を練るのじゃ。」
「はっ。分かり申した。上様のお考えがどこまで私めに理解できるか分かりませぬが、懸命にない頭を絞りまする。」
最期はやはり秀頼は笑っていた。
「さて六輝隊の者ども。その方らに庄山城攻めを申し渡す。大将は長野豊業、副将は石田重成とする。率いる兵は七千、細かきことは利長、昌幸と詰めよ。出陣は明日…… と言いたいところであるが、こたびは六輝隊の初陣ゆえ、三日の猶予をやろう。三月二十三日の出陣とする! よいか、励め! 」
と言って秀頼は退室して行った。
一六一二(慶長十七)年、庄山城
庄山城は長い間、廃城となっていたのであるが、一六〇五年に三木城が、一六〇七年に妻鹿城が豊臣方に落とされると、池田輝政は箕浦右近を昨年に城代として入れ整備した。三千の兵で守っている。輝政は姫路城の大普請を行っていて、庄山城の普請はなかなか進んでおらず、やっと石垣の普請が終わったばかりであった。
六輝隊・大将の長野豊業は七千の兵を三つに分け、三方向から攻撃を仕掛けた。
六輝隊の将は三千兵が守る庄山城を炎のように熱く攻めたて、二刻後には、本丸に敵勢を追い入れた。
「豊業殿、いかがされますか? このままの勢いで一気に片を付けますか? 」
と年端も行かぬ武将が声をかけた。その武将は齢僅か十一の真田幸昌、幸村の長男である。彼もまた六輝隊の一人であった。
「大助はどう思うのだ? 」
豊業は逆に聞き返す。六輝隊の面々は幸昌の事を幼名の大助と呼んでいる。
「は、敵の大将は武勇の知れた箕輪殿です。兵は我らより少ないですが、力攻めをしては思わぬことがないとも言いきれませぬ。」
真田幸昌の言う事ももっともである。
「うむ。で何か策があるのか? 」
「ここはわざと隙を造り、向こうから打って出てこさせてはいかがでしょう。」
「しかし、時をかければ、姫路より援軍が来るであろう。そうなればやっかいであろう。兵の損害を少なくしたいが、ここは力押しで攻めようではないか。」
豊業の言う事も当然である。敵に援軍が来れば六輝隊は城と援軍とに挟まれる形となってしまう。
「そうですか。確かに援軍が来れば厄介なことになりますな。なればお預かりした五百の鉄砲を派手に撃ちかけ、敵の戦意をそぎましょう。」
「そうさな、でははじめようぞ。」
「鉄砲隊!あそこに見えし櫓に射撃を行え!」
『ダダダダーッンッッ!!!』
たちまち辺りが紫煙に包まれる。
あっという間に小さな櫓に詰めていた兵は駆逐された。
「次は門に取り付き、掛け矢を持って引き倒せーッ!」
門に次々と兵が押し寄せる。とその時、門が内側から開いた。
「我は池田輝政が家臣・箕浦右近である。最期の一戦を所望いたす!」
門に取り付いていた十数人の兵を突き殺し、箕輪を先頭にした五百の兵が一斉に飛び出てきた。
たちまち乱戦となる。さすがは名の知れた箕浦右近である。兵をよくまとめて奮戦している。
その兵の中でも一人の武将の働きはすさまじかった。長い槍を持ち、その槍を刀のごとく扱い、切りつけるようにして六輝隊の兵をなぎ倒していく。箕輪右近も十数人の兵を打倒している。
しかし数の差はいかんともしがたい。箕輪の兵は三十人ほどにまで減じてしまい、とうとう六輝隊の兵に取り囲まれてしまった。
取り囲んだ兵の中から一人の若武者が出て、箕輪右近に叫ぶ。
「箕輪殿! 我は豊臣家家臣・長野豊業と申す。もはやこれまででござる。ここで命を落とされることはございますまい。どうか降りて下され! 」
長野豊業が降伏を呼び掛けた。
それに対し箕輪はすっと一歩前に出ると、
「長野豊業殿! ありがたきお言葉なれど、殿より預かりし城を守れずとあっては、申し訳が立たぬゆえ、覚悟は致しておる。ご遠慮無用でござる。」
と胸を張り答えた。
「見事な御覚悟でございます。ならば我は若輩なれど、お相手お願いしたい! 」
豊業と頭を下げ右近に対峙する。
「よかろう!」
と右近が答え、両者の一騎打ちがはじまった。
長野豊業と箕輪右近の立ち会いは見事であった。豊業が激しく槍を突き出すが、箕輪は軽くさばく。豊業の攻めは息を持つかせぬほどの連続した攻めであるが、箕輪はひょいひょいといなしていく。
豊業の攻めが途切れた時、箕輪が槍を上から叩きつけた。豊業はこれをかろうじて受け止めた。受け止めて体を沈めて箕輪の懐に潜り込み、肩から箕輪の体をかちあげた。箕輪は槍を落としたたらを踏む。
豊業が再び槍を構えた時である。
「それまで! 勝負は決しました。箕輪殿。お命を散らすことが輝政殿へのご奉公ではございますまい。どうか納めて下され。」
といって一人の武将が出張ってきた。豊業はその武将を強い目で睨みつけている。その武将も気後れすることなく見返している。
「申し遅れました。私は豊臣家家臣・石田重正でございまする。」
「なんと、三成殿のご子息か…。であらば、われらに恨みもあろう。なぜに……。」
その問いに、重正はかすかに微笑むと
「天下が治まることに比べれば、私怨など小さきこと、我は関白様より諭されましてございます。」
と箕輪に告げる。重正の目は若者らしくまっすぐ箕輪を見ている。
やがて箕輪は大きく肯くと
「うむ、であるか。ならば分かり申した。そなたに降ろう。」
と言い、従っていた郎党に獲物を捨てさせた。
こうして庄山城は落ちたのである。結果だけをみると一方的な六輝隊の勝利であった。
○大阪城
「箕輪右近殿、そなたを捕えておくだけの余裕がこの大阪城にはないのじゃ。輝政殿の元へ戻り、忠勤に励まれよ。」
「なんと!我を解き放たれると申されるので!? 」
「さよう。まだ大きな戦があろう。その時は覚悟されよ。」
「は、ご温情感謝いたしまする。その上で、誠に厚かましき事なれど、一つお願いがございます。」
「はて、なんであろうか? 申してみよ。」
「は、私めの与力を務めておりました者が、前田慶次郎殿とお手合わせしたいと……。」
「なに!? 我が師匠どのとな。してそのものの名はなんと申す? 」
「は、佐分利源五左衛門重堅と申し、槍術の一流を率いております。」
「ほう、これは面白い。よかろう! 明日に立会いを認めよう。これは楽しみじゃ。」
こうして佐分利重堅と前田慶次郎の立ち合いが行われる事になった。
六輝隊の初陣は鮮やかな勝利の内に終わった。
そして前田慶次郎は立会いを望まれる…その立会いの結果は次回に…




