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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
秀頼の成長
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攻城軍に穴をあける~伏見城攻防戦3~

 一六〇五(慶長十)年の徳川家は四百万石の直轄領を治めていた。徳川家だけで十万以上の直卒兵を抱えている。

 家康は駿府で六万の兵を、嫡男・秀忠は四万の兵で江戸をという形である。


 日頃から日本の地図を眺めている家康が地図の前から立ち上がり、天守から外を眺めた。

 家康は各地の大名のふがいない戦いに、憤慨していた。旧豊臣恩顧の大名を当てにすることはやめ、徳川の譜代大名で、豊臣方に対抗することを心に決めていた。

 関東での戦力を十分に整えれば、他の外様大名達が反旗を翻しても、個別撃破していく自信があった。

 そのために、まずは各地の譜代の力を関東、そして東海に集結する必要があると考えた。

 


 まず信濃・川中島十二万石である家康の六男・松平忠輝を上総・安房を治めている里見の抑えとして、下総に二十万石に加増し、移封した。この時、忠輝は十三歳である。転封した忠輝の領地であった川中島は徳川直轄領とし、その仕置は堀忠政に任せた。

 信濃北部は前田、上杉、真田に囲まれ、いずれ豊臣方に抑えられてしまうであろうと、いわば放っておくことにしたのである。ただし信濃北部全域が豊臣に抑えられれば、上杉の関東への道が開けてしまうが、そこは伊達、最上に牽制してもらうしかない。伊達、最上には上杉領の領地切り取り次第と餌を与えることは忘れなかった。


 結城秀康は家康の息子であるが、秀吉の養子になり可愛がられていたこともあり、豊臣と事を構えることにいまいち煮え切らない。前田の抑えにそのまま据え置くことにした。

 

 そして西に対する仕置を考えねばならない。


 家康は秀忠に命じ三万の軍勢をでもって、岸和田城に入れた。岸和田城は先に浅野幸長が一万の兵を引き連れ入っており、この地を治める小出秀政ら諸将の兵五千九百を加えた四万五千九百の兵が配置されたことになる。

 

 これらの配置は五月十日にはすべて終わった。



 難攻不落の大阪城、伏見城に対して、東側からは岸和田城・筒井城・伏見を囲む軍勢が対峙しているのである。


 一六〇五年五月二十日、諸国の大名が驚く大きな出来事が起きた。


 豊臣秀頼がとうとう関白に任じられたのである。


 この時点で日本は、征夷大将軍である徳川家と関白である豊臣家の二つの政権が並立していると言った複雑な事態になっていた。朝廷は徳川家康の圧力に押されていたものの、豊臣びいきであった。そのため、関白を叙任したのである。


 家康はさぞ怒りに震えていると思ったのであるが、以外とさばさばしており


 「仕方のないことである。いずれ朝廷の首根っこを押さえるわ。」


と側近に笑ったという。


 秀頼が関白に叙任される五日前、五月十五日に山之内一豊が動いた。

 加藤嘉明の本領に攻め込んだのである。加藤勢は兵をほとんど率いて伏見城に遠征して言ったので、守兵は僅か千兵であった。戦がさほど得意ではない一豊であっても、十分に落とせるのであったが城を囲んだだけで、一向に攻撃しなかった。


 これは利長の指示であった。あくまでも伏見を囲む加藤嘉明の士気を落とすためであり、城を落としてしまえば、帰るところのなくなった嘉明は死に物狂いで働くかもしれなかったからである。

 囲まれた加藤の守将は慌てて、伏見に帯陣する嘉明に使いを出した。




  一六〇五(慶長十)年五月十九日、伏見城攻城軍 加藤嘉明の陣


 昼過ぎ、一人の使い番が走りこんできた。


 「殿、殿、大変でございまする! 」


 「ん、そなたは城に置いてきたはずだが……。城に何かあったか? 」


 「は、突如、山之内の軍勢が押し寄せまして城を囲んでおります。」


 「な、なんと! 落ちたのか? 城は無事か? 」


 「は、山之内勢は城を囲んだだけで攻めては来ておりませぬ。少なくとも私が出るまでは。」


 「う~ん、一豊めは殿下の真似をして日干しにするつもりかもしれんな。」


 「で、それはいつの話じゃ? 昨日か? 」


 「そ、それが四日も前の話でございまする。」


 「なに! 四日も前と! なぜ早く知らせなんだか! たわけが! 」

 

 「は、申し訳ありませぬ。したが海が荒れており足止めをくろうてしまいました。」


 「うん、海が荒れておったのでは仕方がないの。ではそちはすぐに引き返し、生駒殿に援軍を頼むのじゃ。儂もできるだけ早く帰る故、それまで城を守れ! よいな! 」


 こうして変事が嘉明に知らされた。

 嘉明はすぐに本多忠勝の陣を訪れ、事を知らせた。


 「こうなれば、私は本国に帰りとうございます。どうぞご許可をいただきたい。」


 「う~ん、儂としては許可を与えてやりたいが、我が主の意を聞かねばなりませぬ。それに今、嘉明殿が抜けたら伏見の囲みに穴がて来てしまいますれば、今しばらくお待ちいただきたい。」


 そういわれて、嘉明はしょげかえって陣に戻ったのである。

 本領が危機となれば戦にも身が入らないのは当然である。


 これらの動きはすでに伏見城内にももたらされていた。

 伏見籠城軍の軍師・真田幸村は大将の長宗我部盛親の居室を尋ねた。


 「いよいよ加藤勢に仕掛けましょう。ここでは未だ活躍の場がなかった塙直之殿にお願いしてはいかがでしょうか。」

 

 「そうですな。ひと暴れしてもらうことにしましょう。」


 こうして塙直之は本丸に呼ばれ、加藤義明隊への攻撃が命じられた。


 「は、やっとそれがしの出番でございますな。ひと暴れさせていただきます。」


 塙直之は鼻息荒く持ち場に帰っていった。




 そして秀頼が関白に叙任された五月二十日、伏見城治部正丸口門


 「加藤嘉明殿! 我が主がめでたく関白におなりあそばされた! 関白様より早速、反逆の徒の征伐が言い渡され申した。これより貴殿を征伐に伺いまする! 」


 と直之は口状を述べ、門を開いた。


 「なんと、関白に! ……反逆の徒だと! 」


 嘉明の陣ではと驚きを隠せなかった。

 そこに直之は五百の鉄砲隊に一斉射撃を命じた。

 

 『ダ、ダ、ダ―ンッ!!!』


 すさまじい銃撃が響く。続けて再び五百の鉄砲が撃ち込まれる!

 まだ態勢の整っていなかった加藤勢は、二度の射撃で百もの命が消えた。


 「ぐぅーッ誰か! 誰か助けてくれ! 足をやられた! 誰か…… 」


 その兵は最期まで話すことはできなかった。再び銃弾が撃ち込まれ、命を散らせたからである。


 「ひけ~! 引いて態勢を立て直す! 一町ばかり引けーッ! 」


 嘉明隊は一町ばかり引き、陣を立て直した。今度は板塀を折敷、板塀の後ろには、鉄砲隊を構えさせた。


 嘉明隊が引いたことで、直之隊は橋を渡り隊を広げることができた。五百の鉄砲隊を前面に展開し、正面から距離を詰める。さらに直之は残りの五百の鉄砲隊を左方向に展開させた。左側面からも攻めようというのだ。

 直之は距離が縮まるのを見届け、攻撃を再開した。


 半刻後、嘉明隊は陣を保つことができなくなり、さらに二町も引いて行った。

 直之は深追いはせずに、勝鬨を上げ悠々と城内に戻っていった。


 加藤嘉明は…


 「うむ、これはいかん!本領も危ないというのにこんな所にいられるか。」


 というと旧松平家清の兵二千を置いて、自分の兵千五百を引き連れ、退陣して行った。

 この時、事態を察した本多忠勝から使いの者が陣に留まるよう言って来たのであるが、嘉明は聞く耳を持たない。


 「儂を留まらせたかったならば家康殿の書状でも持って参れっ!」


 

 加藤嘉明は引いて行く、一路本領を目指して……。



 

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