山里丸での緒戦~伏見城攻防戦2~
伏見城攻城軍の大将として着陣した本多忠勝は、伏見城の西側、藤堂高虎が布陣していた所に付け城を建てることにした。治部正丸口を攻める加藤嘉明隊はそのまま布陣させ、舟入口は数名の見張りの兵を交代で着かせるだけにして、残りの兵はすべて西側に集めた。
また伏見城西側の最北の弾正丸口から籠城軍が出てくるのを嫌い、門に続く橋を焼いてしまった。
一六〇五(慶長十)年四月十三日
付け城が完成する。城といっても櫓を大きくしたような物ではあるが。
本多忠勝の構築した陣は付け城を中心とした大きなもので、兵の休む小屋や煙硝倉、兵糧倉も立派に建てられていた。明らかに長陣を意識したものである。
本多忠勝は、付け城が完成して、一日兵を休めると、いよいよ城攻めを開始した。狙うは山里丸である。
山里丸には真田家・家老の高梨主膳三千兵と寄り騎として長宗我部家臣の南岡親清二千兵が詰めている。清親は弾正丸口を守っていたのであるが橋を焼かれ守る必要がなくなり山里丸に合流したのである。
また鉄櫓も三基据えられていて、なかなか堅固に見える。
「藤堂殿、貴殿に先鋒をお願いする。後詰めは金平、そちが五千の兵で行え。では出陣! 」
と忠勝が命じた。この金兵という者は忠勝の家臣で梶金平勝忠という剛の者である。
藤堂隊は鉄砲隊を討ち掛けながら山里丸北側の柵めがけて寄せてくる。山里丸からは柵の内側から鉄砲隊が応戦する。緒戦は激しい鉄砲の撃ち合いである。双方とも十数名の兵が討たれた。
藤堂隊は板塀で鉄砲隊を守りながら距離を詰めていく。そして頃合いよしと見た高虎が叫ぶ。
「よし! 鉄砲隊は左右に寄せ、長槍隊は柵に向かって突っ込め~っ! 柵を引き倒せ! 鉄砲隊は援護せよ。」
『ウオ~ッ! 』
と雄たけびを上げて千名の兵が押し寄せて行く。
そうはさせじと、山里丸の内からすさまじい銃撃が行われた。走り寄せていた兵が瞬く間に数十人撃たれて崩れる。しかし走り出した藤堂兵はとまらず押し寄せる。さすがに千もの兵が一気に押し寄せては防ぎきれない。とうとう柵に取り付かれた。高梨鉄砲隊に柵から槍を突き出し、数名の兵を討ち取る。やがて柵が引き倒された。
「下がれ! 無理をするな! 」
と柵にいた兵を下げさせる高梨主膳。
柵を倒した藤堂勢が山里丸内を見ると、登り口を囲むように二つ目の柵がたてられていた。そこからまたしても激しい銃撃が藤堂隊を襲った。柵を引き倒し意気盛んであった者たち、すなわち先頭に立ってやってきた十数名の兵は瞬く間に撃ち倒された。
「ひるむな! 板塀をたてよ! その場を死守せよ! 」
藤堂家の侍大将が激を飛ばし、山里丸の入口に藤堂隊の橋頭保が築かれたのである。藤堂高虎は鉄砲隊を再び前面に出して、奥の柵に向かい銃撃を仕掛けるが反撃が激しく、やむなく兵を倒した柵より僅かに下げた。
「うむ、なかなかの郭である。どうしたものか? 」
と高虎は思案に暮れたが、やがて本多忠勝に使い番を走らせ指示を仰いだ。やがて本多忠勝は馬で走り寄ってきた。
「御苦労でござる。柵を倒し、郭内の様子が分かったのをよしとしよう。ここは一旦引いて下され。」
こうして緒戦は終わりを迎えた。
藤堂高虎はせっかく倒した柵がまた建てられては悔しいと、少し離れたところに見張りを置き、動きがあったら柵の再構築を阻止するように鉄砲隊も待機させた。
実はこの藤堂高虎は関ヶ原の戦いで焼け落ちた伏見城の建て直しをしたのであった。なので伏見城のことは良く分かっているつもりであったのだが、今の伏見城は全く造り変えられていた。
本多忠勝は考えていた。
【伏見城攻略をである。さすがに最初の縄張りをした秀吉殿下の城である。また手を加えたのが真田とは。これは攻め落とすのはあと数万の援軍か来なければ無理であろう。】
そして忠勝は方針を変えた。完全に中の武将を閉じ込めることに専念することにしたのである。本陣はそのままにし、船入口に新たに高虎の五千兵を配した。その上船入口の水面には丸太を大量に放り込み船が着けないように工夫した。
これには伏見城に籠る籠城方は困った。たとえ大筒を撃ちかけて一度は叩いてもすぐに囲むであろう。一年や二年分の兵糧は蓄えてあるとはいえ、長期の籠城戦は兵の士気が膿んでくる。
そこで幸村は、密かに大阪城へ使者を送った。使者は夜半に密かに治部正丸口から出て大阪城へ向かった。使者は大阪城の利長の屋敷を訪れ幸村からの書状を手渡したのである。
大阪城では利長が使者から、書状を受け取るとすぐに読み下し、直江兼次、真田昌幸を呼んで秀頼のもとを訪ねた。それは四月二十一日の早朝であった。
「御苦労であるな。して何事が出来いたしたのじゃ? 」
秀頼が尋ねる。
「は、昨夜遅く、伏見城から繋ぎの者がやってきました。」
「そうであるか。して何と言ってきておるのであろう? 」
「実は今伏見を囲んでおりますのは、本多忠勝殿を大将とする二万八千ほどの兵だそうです。先日、激しく攻めてきたそうですが。」
「ふむ、それで? 」
「その後、本多勢は攻めてくる様子もなく囲むことに専念しているようです。」
「そうか。」
と言って、秀頼は天井の片隅を見つめてしばし考えて口を開いた。
「なるほど、伏見の連中は、どこかを攻めよと申しておるのじゃな。」
「おお、さすが上様でございます。良くお分かりになっておられます。」
誉められた秀頼は、嬉しそうに言う。
「それくらいは分かるわ。ならば余が説明いたそう。伏見には兵糧は十分に蓄えられておるであろう。良くは分からんが少なくとも二~三万の兵が詰めても一・二年ほどは持つであろう。となると兵糧の催促ではない。兵糧の問題ではないとするとじゃ。援軍を求めてきたのか、それも違うな。なぜなら伏見は幸村が造り替えた。ちょっとやそっとでは落ちないであろう。」
ここで一旦言葉を切った。
「ならばじゃ。援軍でないとすると、次に困るのは兵の士気であろう。籠城が長引くと兵が膿んでくると聞く。皮膚の病なども流行ると言うではないか。伏見の面々はそこを心配しているのであろう。違うか? 」
「おっしゃる通りで。」
「では、兵が膿まぬように、それでいて敵を引きつけておくには、囲みを弱くして適度に城からうってでる機会が欲しいと見た。きっと今は固く囲まれているのであろう。囲みを弱くするには、どこか他の城を攻めて目をそちらに向かせればよい。違うか? 」
「お見事でございます。その通りです。」
「で、上様はどこを攻めたらよろしいかと? 」
「それは分からぬ。余には材料がない。」
と言って笑う秀頼であった。
「これは失礼いたしました。」
改めて秀頼に伏見を囲んでいる諸将の事を説明した。
秀頼は小姓に地図を持ってこさせた。四人は地図を囲み、坐した。
「ふむ、昌幸よ、どこが良いと思うか? 教えてくれ。」
「は、まずは攻めやすいところ、これは距離的にも戦力的にもですが…。となると少し遠いが筒井城ですかな。」
「兼続は? 」
「そうでござるな。私もそう思います。」
「利長は? 」
「私は筒井城では遠い気がします。こちらは大阪城からの出兵となるわけですから。となると岸和田城の浅野殿が動きましょう。危ういのではないでしょうか。」
「なるほど。軍師殿二人の意見と大将の意見が割れたな。」
と秀頼はにっこりと笑った。
「未だ戦に出たこともない小童の意見を言っても良いか? 」
とやはり笑顔で聞く。この物言いには、早く初陣を飾りたいという催促の意も込められている。
「また上様はそのようなことを。初陣は機会を見つけますれば、ご勘弁下され。…… したが上様のご意見を伺いたく存じます。」
「ふむ、伏見を囲んでおる者たちは律儀者か? 」
「本多忠勝殿は律儀者ですが、藤堂殿と加藤殿は、心から徳川についているのではありますまい。ただ利があると与したのでしょう。」
秀頼はその返答に頷くと、さらに質問した。
「戦場で心あらずとなる時はどんな時じゃ? その戦場とはこちらが合力している立場の戦場としてじゃが。」
「合力している立場となれば、本領に変事があった時……。 」
ここまで言葉を出して、兼続はじっと地図を見た。
「なるほど、上様の意は分かり申した。したが今回は駄目でございますな。筒井城よりもっと遠いではございませぬか。」
「遠いか? 」
「遠いですな。」
これまでのやり取りで、秀頼は伏見城を囲んでいる将達の本領を攻めたらどうかと言っているのである。その上で本多が律儀者というのを確かめられた。律儀者ということは例え本領が攻められようとも、与えられた命を守るであろうと。すると残りは藤堂高虎と加藤嘉明であるが、両者とも本領は四国である。確かに遠い。
「嘉明じゃな。」
と地図を指して秀頼が言った。
「上様、遠すぎます。」
「大阪でなくても良い。四国にはまだ人がいる。」
と秀頼は言った。この辺のぶっきらぼうな言い方は淀君の血筋すなわち信長公の血筋であろう。
言われた三人は『はっ』と驚き改めて地図を覗き込んだ。
「う~ん。なるほど。目から鱗です。全く考えませなんだ。」
といささか薄い頭を叩いて昌幸が呟いた。秀頼の意図は、大阪からは出兵せずに四国にいる者に出兵させよと言っているのであった。秀頼はにこにこしている。
今度は三人が秀頼そっちのけでああだ、こうだと策を練りだした。秀頼は三人を眺めて笑っている。
やがて利長が秀頼に言上する。
「こたびは山之内殿に出陣していただき加藤殿の本領を攻めていただいてはいかがでしょう。」
「そちらに任せる。」
と秀頼は笑った。
「そうだ、実は昨日、島津の家久からの推挙状を持って参った者を紹介せねばならぬな。」
と秀頼は小姓の者に何やら呟いた。ほどなくして一人の青年がやってきた。
「これは昨日やってきた来島直親じゃ。ゆくゆくは豊臣の水軍の柱になるじゃろうから、よろしく頼むぞ。」
といって来島直親を紹介したのである。
この後、来島直親は安房の里見義康に預けられ、最新の水軍について学びに出された。




