周肥同盟
伏見城での攻防戦、毛利輝元の清正監禁、各地で動きが活発になる中、膠着状態であった九州でも…
一六〇五(慶長十)年三月
膠着状態であった九州でも動きがあった。
肥前・佐賀の鍋島直茂が突如として兵をあげ、同じ肥前の北に位置する唐津の寺沢広高を攻めて落とし、次いで平戸城・松浦鎮信も落とし、大村家を従えた。
これには筑後・柳川で加藤清正の軍勢と対峙していた黒田長政は慌てて、福岡まで兵を引いた。
この時、鍋島直重は毛利輝元と呼応し同盟を結んだのであった。この毛利・鍋島の同盟は【周肥同盟】と言われる。
なぜ輝元が鍋島と同盟を結んだのか。それは鍋島の後ろ盾になり博多港を抑えたかったのである。輝元は毛利家の財政を豊かにするために石見の銀山を狙っているが、銀山を抑えただけでは豊かにならない。銀が高く売れる外国と交易する必要があるのである。そのために博多港を欲していたのであった。
加藤清正は長政が兵を引いたため、すぐさま兵を進め、長政に与力した久留米の有馬家を滅ぼした。清正は筑後一国をも手に入れることになったのである。
鍋島直茂は清正軍の兵力が充実しているのを知り、攻めてかかることはなかった。そして直茂の目は長政の筑前に向けられる。また鍋島と同盟を結んだ毛利輝元もまた背後から筑前を伺う姿勢を見せていた。
この時の九州の勢力図は筑前・豊前・豊後の北三国が徳川方、肥前一国が周肥同盟、肥後・日向・薩摩・大熊が豊臣方であり、豊臣方が優勢である。
加藤清正は島津家久と談合し、清正は肥前、筑前を睨み、家久には豊後を攻めてもらうことになった。この時、清正は後の領地配分で遺恨が残らぬように、後の仕置は秀頼に一任することにし、家久も了承した。
島津家久の軍勢の勢いはすさまじく、豊後に攻め入り、岡城、佐伯城、臼杵城を瞬く間に落とした。
この時、豊後の森という地域に陣屋を構え一万四千石で治めていた来島長親は、無条件で陣屋を明け渡したのである。
「当家はもとより豊臣の録をいただいていた家であり、徳川より宛がわれたこの地は豊臣家にお返し申す」
と言う長親に、器量を見た家久は騎下に加わらないかと説得したが、長親はこれを固辞し、大阪に紹介状を書いてくれと頼んだ。その書状を持った来島長親は配下の者八十名を引き連れ、一路船で大阪へ向かった。来島家は村上水軍の一派で来島村上水軍を率いていたのであるが、家康により内陸に押し込められていたのであった。こうして家久は豊後の半分ほどを治めることに成功した。
一方の清正であるが、主力部隊を久留里城、柳川城に配し、筑前の黒田長政、肥前の鍋島直茂を牽制していた。この辺りはいわゆる三すくみの状態である。将の格で行けば直茂や長政などは清正の足元にも及ばないが清正は本拠城から少々離れてしまっていて、全体的にみると、いわゆる陣が伸びた状態になっていた。
周肥同盟の盟主・毛利輝元は側近の堅田元慶に筑前・若松城攻めを命じ、福島家にも兵を出すように命じた。福島家からは秋山家慶が加わった。堅田・秋山隊は毛利水軍の援護を受けて上陸し若松城を落とした。
◆ ◆ ◆ ◆
九州の戦線が活発になっている頃、大阪方面では…
伏見城の攻防戦は睨み合いが続いている。先日、横浜茂勝に夜襲を受け荷駄の一部がが焼かれた加藤嘉明勢は治部正丸口門へ盛んに銃撃を行っているが鉄城門につくり変えられている門はびくともしない。門内に攻め込むどころか、門内の鉄櫓から逆に鉄砲を討ち掛けられて、少しづつ戦力をそぎ落とされている。
「う~ん、なんとも攻めづらい城よな。このままではらちが明かぬわ、いやそれどころか日に日に兵が減っていきよるばかりじゃ。」
と加藤嘉明は呟いた。布陣してから、僅か百二十名ほどであるが兵を減らしていたのである。
伏見城内では、長宗我部盛親と真田幸村が話し合っていた。
「囲まれてから、はや二十日が経ちましたな。治部正丸口の加藤嘉明殿は盛んに攻めてきておりますが、こちらには全く被害はありませぬ。東側、舟入側は全く動きはありませぬな。」
と幸村が言う。
「そうですな。藤堂殿はあまり戦意が高くないようですな。そろそろこちらも仕掛けませぬか? 」
「はい、大筒を使っても良いのですが、もう少し大物が出張ってくるまで待ちましょう。大筒は使わず討って出ることにしましょう。」
「となれば、舟入口に布陣しておる松平家清隊を叩きましょう。さすればすぐに将を集めることにしましょう。」
と幸村は本丸に将を集めて軍議を開いた。
「さて、この伏見の城が囲まれて二十日が経つが、そろそろうるさい攻城方を少しばかり叩いてやろうと思います。」
と軍師・幸村が切り出す。
「おお、それはよろしいですな。してどの様な策をお持ちでしょうや。」
と塙直之が意気込んで聞いた。
「ははは、いつも直之殿は勇ましいですな。では申しましょう。こたびは舟入口に対している松平家清隊を叩くことにいたします。」
「舟入口ですか。拙者の出番はなさそうですな。」
としょんぼりと直之が言う。
「ははは、直之殿、そのうち働き場を用意いたしますゆえ、今回は我慢して下され。」
幸村は直之を慰めておいて話を進める。
「まず山里丸より主膳、そなたが千を率いて家清隊の正面から攻めてくれ。」
「は、この高梨主膳、かしこまりました。」
「さらに藤堂隊の牽制のため弾正丸口からも、南岡殿がやはり千を率いて藤堂隊を牽制していただきたい。」
「は、御意に。」
「さらに、横浜殿に私の兵五百をお預けいたしますので、三の丸より密かに出て、舟入口の西側に伏せていていただきたい。本来ならばもっとお預けしたいのですが伏兵ゆえあまり多いと感づかれますゆえお許し下され。」
「ふむ、分かり申した。私めは家清隊を横から突くのですな。五百もあれば大丈夫でございます。おまかせを。」
「しかし三の丸を抜け出し伏せるのには不向きゆえ、鉄砲は出せませぬがよろしいか? 」
「はい、鉄砲は火縄も必要ゆえ無理でしょう。大丈夫でございます。」
胸を張る茂勝を塙直之は羨ましそうに眺めるのだった。
こうして夜半を待って、籠城軍は攻城方に対し打って出ることとなった。




