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秀吉の遺言  作者: 鳥越 暁
秀頼の成長
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家康と骨壷

信濃での連敗が次々に家康に知らされる。

が今回は本筋をそれて「家康と骨壷」のエピソードを綴る…

家康の人柄が少しでも垣間見えるであろうか…

豊臣方は信濃での連勝、伏見での勝利で意気盛んである。

 

一方の徳川方は九州・福岡の黒田長政が加藤清正を攻めているが、膠着状態である。各地の諸大名に督戦を促してはいるが反応が鈍い。多くの大名たちを鞍替えした逆効果が出ているのである。みな新しい領内の仕置の成果はまだ出ておらず、兵糧の確保など経済的負担が大きいのである。譜代の大名たちにもっと録を与えていればよかったと後悔していた。


 家康は日本の地図を広げ、色々と思いを巡らせていた。その時、近衆の者が走りこんできた。


 「上様。松本の石川康長様がおいでになっております。」


 とだけ告げた。

 近衆の者は康長から松本城が落ちたことを聞いていたのだが、家康の機嫌が悪くなり、やつあたりされるのを嫌ったのだった。


 「康長が? 何用であろうか? とりあえずこちらへ呼べ! 」


 と康長を呼んだ。

 やがて真っ青な顔をして康長がやってきた。入ってくるなり康長は深く頭を下げて報告した。


 「上様、申し訳ありませぬ。松本城を取られました。」


 「なに! 相手は信幸か!? そちは何をしておったのじゃ。城を取られながらそちは生きておるではないか! さてはたいして戦いもせずに逃げ出したのであろう! たわけがっ! 」


 と怒りをあらわにしてどなった。

 いきなりどなられた康長は、顔色を変えた。


 「上様、何をおっしゃいますか。私めは僅かの手勢で懸命に戦ったのでございまする。したが鉄砲の数と兵数で負け、命からがら落ち伸びたのでございます。それを戦いもせずとはあんまりでございます。しからば腹を召しますゆえ、御前を汚してしまいすがお許しくだされ! 」


 と脇差を取りだし今にも腹を切る勢いであった。

 これには家康も慌ててなだめる。


 「これ、そちが腹を切ったとて何の意味もないわ! 分かったから詳しく申せ。」


 落ち着いた康長は松本での戦の様子を話して聞かせた。


 「後藤基次か! 後藤が出張ってきたのか。ならば仕方あるまい。基次とそちでは貫目が違うわ。うぬ、そちの働き場はそのうち考える故、しばらくこの駿府でおとなしくしておれ! 」


 ぴしゃりと言うともう出て行けとばかりに顎をしゃくった。悔しい思いを噛みしめながら康長は退室した。

 それから数日後には、やはり信濃で飯山城が豊臣方に落ちた知らせがもたらされた。




 いつものとおり家康は畳二畳もある大きな日本地図を広げ、その前にどっかりと腰を降ろし地図をじっと眺めていた。地図には各地の城はもちろん大名の名前や石高が赤字で書き込まれている。家康のいる居室は装飾品などおかれておらず、地味な部屋であった。その中で唯一、錆色の壺が片隅に置かれている。誰かの付け届けであったと思うが、家康は誰が送ってきたか覚えていない。それほど装飾品に対して無頓着だったのである。かつて信長は大変の目利きで、武具や調度品、南蛮由来の珍品などを集めていた。秀吉も少々成金趣味ではあったが、信長や千利休の薫陶を受け、良いものを集めた。


 じつは唯一居室にある壺であるが、これは藤堂高虎が付け届けたものであった。この壺には後日談がある。ある時、急な腹痛を覚えた家康は、名医といわれる医者を呼んだのであるが、その医者は診察を終えた時に壺が目にはいった。


 医者はとたんに顔をしかめ家康に向かい言う。


 「上様、上様のお体はいたって健康でございます。こたびの腹痛もただの食当たりでございます。かような壺をご用意される必要などありませぬ。」


 言っていることの意味のわからなかった家康は尋ねる。


 「そうか、儂の体は健康であるか。嬉しいことよ。したが壺がどうしたのじゃ? 」


 「上様はなぜにあのような所に骨壷なんぞ置いておかれるのでしょうや? 」


 それを聞いた家康は顔を真っ赤にしながら言うのであった。


 「うむ、武士というのはいつの場合でも死ぬる事を考えなくてはならぬ。そのことをいつでも忘れることのないように目の入るところに置いてあるのじゃ。」


 いささかしどろもどろで返答したのである。実際は骨壷だったとはまったく知らずに、錆びた色合いがどことなく気にいっていて、儂も目利きになってきたかと密かに思っていたのであった。

 医者が帰っていくと、家康は壺を叩き割り、近衆に怒鳴り付けた。


 「この壺を届けた者を探し出し、連れてまいれ! 」


 もちろん届けた者は見つからなかった。


 さて人の口に戸は建てられないもので、この骨壷の話はいつしか徳川家の中で話題になり、知られることになった。譜代の大名たちは、家康の心構えを真似しようとこぞって骨壷を買い、居室に置いたのであった。大名の居室に置かれる骨壷は、各大名がそれぞれ特別に注文するようになり、立派な装飾品になっていった。

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