松本城攻城戦2
松本城での戦いがはじまったことは、家康の耳には届いていなかった。水堀に囲まれた松本城は攻めずらいが、城内から外に繋ぎを取るのも難しかった。開戦より数度、家康に向けて援軍を依頼する使者を出したが、すべて真田忍びに葬られてしまっていた。石川康長はそんなこととは知らずに、あと二日も持ちこたえれば、援軍が来るであろうと思っていた。
さて昨日は攻めきれなかった信幸の軍勢は、早朝に再び黒門に寄せる。引き下げられていた秀範の井楼も再び前面に出された。井楼に登った秀範は枡形の中の様子に変わりはなく、昨日同様二百名あまりの兵が詰めていることを信幸に伝える。
信幸は先鋒大将の後藤基次に
「本日は火攻めをいたしましょう。あの高麗門の前に柴木を積んで火をかけてくだされ。」
と命じた。
基次は百名の兵に柴木を持って黒門前に積んでくるように指示した。当然城内の狭間からは、それを阻止するため激しい銃撃が行われる。仲間が次々と討たれる中、後藤兵は怯まずに次々と門前に寄せて少しづつ柴木を積んでいった。柴木が積まれてくると門兵たちは、火がつけられてはたまらぬと、門を開いて柴木を回収しようとする。
「それ! 柴木を回収しろ ! 」
十数名の門兵が躍り出て柴木に手を伸ばした。
「鉄砲隊、討て~! 」
そうはさせじと、すぐさま後藤鉄砲隊が門兵を討ちぬいてしまった。そのため柴木は回収されることはなかった。やがて多くの柴木が門前に積まれたのを見計らって、今度は火矢が柴木めがけて射かけられる。そのうちぶすぶすと白い煙を立ち上がらせ、ちろちろと火が出始めた。やがて火は大きくなっていき門を焼きだした。半刻ほどで強固であった黒門は焼け落ちてぽっかりと大きな穴を晒した。
門を焼き落とした後藤隊はすぐにでも門内に突入したかったのであるが、鉄砲兵が枡形内に折しいてこちらに筒先を向けている。その数は増援がなされたのか三百余りである。迂闊に飛びこむことはできなかった。後藤鉄砲隊は敵の三倍ほどの千丁を擁しているが、門の間口が狭く手前は橋の上であり、前面には五十を一列として配置するしかなかった。基次は枡形内に対して四段の計二百の鉄砲を向き合わせて対峙させた。しばらくは双方とも散発的な銃撃が行われたが、決め手に欠き壕着状態になった。井楼の上でも櫓門に対して友好な手を打てずにいた。
籠城している石川康長は、家康に出した使いの者が帰ってこないので苛立っていた。現在はよく持ちこたえているが、高麗門は焼かれてしまい、不安を隠せなかった。また普請に夢中で豊臣方がこんなに早く攻めてくるなどとは考えていなかったので、兵糧の蓄えも少なかった。
【これは使いの者は真田に掴まったようだな。となると援軍は期待できぬな。うむ困った、真田が兵糧攻めに出れば、いずれこの城は枯れてしまうわ。煙硝の蓄えも底が見えておる。】
石川義康は困り果てていたがどうすることもできなかった。
信幸は諸将を集めて言った。
「これは慌てても仕方ありませぬな、じっくりと攻めましょうぞ。」
「は、じっくりでございますか。時をかければ徳川の援軍が来てしまうのではないですかな。」
と焦りを隠せない基次が答えた。
「援軍が来たら、上田に引き返せばよろしいでしょう。したが援軍は来ないのではないかと思いますぞ。」
この言葉に基次が顔色を変え、喰ってかかる。
「なぜでございましょうや。あまりにこちらに都合のよい考えではござらぬか? 徳川はここを失えば小諸に続いて松本を失いまする。面子をかけて援軍を送るのではないでしょうや。」
「いや、言葉が足りませなんだ。お気を悪くされたら許されよ。したが先の小諸も、この松本も徳川譜代の者ではありませぬ。それに伏見を落とすなど意気の上がる豊臣方が大阪で力をつけております。家康としては先の大戦のように大軍を持って雌雄を決したいと考えていると思われまする。その時、信濃の中の所領が多少豊臣に捕られたとて、本気で援軍を送るとは思えないのです。我らがこれより南下すれば、家康も黙ってはいないと思いますが……。」
基次は、しばらく信幸の言うことを一つ一つ考えて見るとその通りのように思えた。
「なるほど、そういわれますと仰る通りでございますなぁ。」
と基次は頭をかきながら素直に認めた。この辺の素直さが基次の良いところである。
理解したであろう基次に信幸はにこりと笑いかけた。
基次は利長から松本を落としたならば、所領にせよと言われていたので入れ込んでいたのであった。それを恥じた。そして信幸の器の大きさを感じたのであった。改めて考えて見ると仙石秀久を召し抱えるなどは大きな器がなければできないことである。基次は信幸をまじまじと見つめた。
信幸が基次にふいに尋ねる。
「基次殿、基次殿は旗本はおられますか? 」
「いや、ご存知の通りついこの間まで浪人でありました故、旗本などとんでもござませぬ。」
と基次が笑って答えた。
「そうでござったか。」
信幸は、そいうとその場を離れ、しばらくして一人の若者を引き連れてきた。
「基次殿。この森川隼人を旗本にしてはいただけませぬか。」
松本を治めることになる基次に、旗本の一人でもつけてあげたかったのである。
「なんと、それがしにでございますか? 」
「そうでございます。この森川も基次殿の下で働いてみたいと申しております。これ森川、挨拶せよ」
「は、手前は森川隼人と申します。先の大戦では幸村様の元におりました。後藤様の事は、よくお話しにお伺いしており是非に後藤様の旗本に加えていただければ幸いにございます。」
「おお、幸村殿の元におったのか。儂は粗忽者であるがよいのか? 」
と基次は自嘲気味に隼人に笑いかけた。
「よしなにお願いいたしまする。」
「そうか、あい分かった。…… 信幸殿、御好意感謝いたしまする。」
こうして森川隼人は後藤基次の最初の旗本になったのである。
「さて、基次殿、吝嗇な家康殿のこと城内に煙硝はさほどありますまい。」
信幸は松本城内にさほど煙硝が貯えられていないことを悟っていた。
「ここは激しく銃撃戦を展開し、敵の煙硝を減らしましょうや。」
「なるほど、敵に鉄砲がなくなれば、あとは簡単ですな。早速とりかかりましょう。」
そういうと鉄砲大将に一斉射撃を命じた。
「それ、あそこの門の中ですくみあがっておる輩たちに鉄玉を食らわせてやれ! 四半刻の間、打ち続けよ! 」
激しい銃撃戦が再開された。初めのうちは互角に打ち合っていたが、門内の鉄砲隊を守る板塀や竹束はぼろぼろになっていった。一人一人と目に見えて数を減らしていった。基次の兵も、打たれて負傷するものが増えてきた。意地のぶつかり合いである。
四半刻の撃ちあいが鎮まると、門内の兵は百人ほど減っていた。後藤隊も最前列の四十人はほぼ討たれたか傷を負っていた。