高校入学から体育祭
昭和の風景。女子はみんな聖子ちゃんカット。の時代です。
昭和57年の春、高校の入学式。
クラス分けされた教室の中は、
知らない同級生たちの笑い声と、新しい制服の匂いでむんと熱かった。
同じ中学の子たちは、もうとっくに島をつくっている。
輪になってしゃべっているグループ、窓際を占有して笑っているグループ。
そんな中で、鞄を抱えたまま突っ立っているのは、たぶんこの中で私だけだった。
本当は、こんなはずじゃなかった。
中3の1年間、私は進学校をめざして猛勉強していた。
眠くて目がかすんでも、参考書を手放さなかった。
仲の良い友達と一緒に、あの高校に入るんや、そればっかり考えていた。
願書を出す2日前、晩ごはん。
ちゃぶ台の向こうで母から高校の願書を出す話を聞いた父が、
唐突にこう言った。
「おい。受ける高校、変えろ」
「え?」
箸を持ったまま、固まる。
母は父のお代りをよそう手を止めて、ちらりと父の顔をうかがった。
「なんで。あの高校、ずっと行きたい言うてたやん。先生もええ言うてくれてるし」
震える声でそう言うと、父は面倒くさそうにこちらを見た。
「あかん。あの名前は嫌いや」
「名前?」
「おまえの受けようとしとる高校の名前な。
あれ、昔の部下のな、どうしても気に入らん奴の苗字なんや。
そんなもん、毎日呼ばれてたまるか」
「名前なんて毎日呼ばへんし。せっかくあんんだけ勉強したのに
今更変えられへん。大体なんで今頃いうねん」
「おまえが受ける高校の名前、知ったんは今や」
「お父さんが関心ないからやろ。」
「いちいち親に口答えすな。義務教育終わってんねんで。
受ける高校変えんのやったら、中卒で働けや。」
父はそう言って2はいめのごはんを口に入れはじめる。
母は口をはさまない。
昭和の家では、父の「嫌や」は、だいたい判決文みたいなものだった。
「受ける高校変えるか、中卒で働くか。
好きな方選んだらええで。以上や」
私は泣きながら、第一志望の高校を受験させてとお願いした。
電話で祖母に相談し、父への説得も試みてもらった。
けれど父の「嫌いな苗字」は、偏差値よりも、祖母の言葉よりも、ずっと強かった。
そうして私は、ランクを落としたこの高校に入学することになった。
その結果が、いま、ここ。
見知らぬ高校生の海の中で、私はひとりきりだった。
「……どの島に紛れ込もかな」
小さくつぶやいて、私は教室の中を見回した。
同じ中学の子たちは、だいたい顔見知り同士で固まっている。
私は、どのグループに話しかけようかと、物色するしかなかった。
そのときだ。
「おい、おまえ。引っ越ししたんとちゃうんかい」
ぶっきらぼうな声が、後ろから降ってきた。
振り返ると、そこには超がつくヤンキーが立っていた。
リーゼントに不自然に整えられた眉、鋭い目つき、着崩した制服。
背が高くて、ガタイもいい。
中学を出たばかりのはずなのに、もうどこか「大人の不良」とでも言いたくなる雰囲気だった。
「……ああ、河井くん」
私は少し遅れて名前を思い出した。
河井くんとは、中学では同じクラスになったことはない。
けれど、もっと前。小学5年から6年にかけての五か月間だけ、同じクラスだった。
私が小6の途中で、父の仕事の都合で引っ越すまでのあいだ。
「引っ越ししたけど、また戻ってきてん。
中学一緒やったで。私8組やったけど、きづかんかった?」
そう言うと、河井くんは一瞬、ふいっと目をそらした。
不機嫌そうに口をへの字にして、黙りこむ。
そして、吐き捨てるように言った。
「おまえみたいなブス。きづいたところで、すぐ忘れるわ」
……いきなり、ブスときたか。
胸の中で、思わずツッコミを入れる。
小学生の河井くんは、色白で、頬がうっすらバラ色の、紅顔の美少年だった。
はじめてみたときは、本当にびびった。
ほっそりとして、とても綺麗で切れ長の目をしていて、鼻筋もスッと通っていて
その下の唇は、ぽってりとやわらかそうで、
漫画でしか見たことのないような、本当に綺麗な子だったのだ。
まだ変声期前で、やわらかな高い声をしていて、いつもにこにこして優しそうな
子だった。
それがどうだろう。
再転入した中学で廊下を歩いているのを見かけたとき、私は思わず二度見した。
噂では、地元で有名な暴走族の旗持ちをしているらしい。
信じられなかったけれど、今日あらためて目の前に立たれると、妙に納得してしまう。
背はさらに伸びて、肩幅もがっしりしていて、歩くだけで周囲の空気がざわつくような、
おらおらオーラの持ち主になっていた。
小学校のときの、気弱そうな美少年のおもかげは、微塵もない。
言い返すのも、なんだか急に面倒くさくなって、私は黙ってその場を離れた。
◇
クラス替えが終わっても、私はなかなか自分の居場所を見つけられなかった。
最初に目をつけたのは、おとなしくて真面目そうな女子のグループだった。
休み時間、その輪の近くをうろうろして、タイミングを見計らって話しかける。
「佐野元春のファンなん?」
かばんにつけている、佐野元春の缶バッジを指さしていう。
「うん。……あ、ごめん。もう友だち来るから」
視線だけで「入ってこないで」と言われているようで、胸のあたりがじくじく痛んだ。
その後も接触を試みるが、結局そのグループには、あからさまに拒否されてしまう。
そのかわりに、ふとしたきっかけで仲よくなったのが、さちだった。
さちは、いわゆる「高校デビュー」組だ。
膝上15センチの短いスカート。
キンキラキンに染めたおかっぱ頭。
耳にはピアスがびっしり光っている。見た目は立派なヤンキーだ。
最初はちょっと怖かったが、話してみると拍子抜けするくらい真面目で、やさしい子だった。
「中学のとき、いじられキャラやってん。
なめられたくないから、まずは形から入ろうと思ってな。」
そういって耳元の髪をかきあげ、ギラギラしたピアスを見せた。
なめられたくないから、という自己申告に私は一気に好感を覚えた。
◇
9月。まだ暑さの残る頃、体育祭の準備が始まった。
さちは当然のような顔で、私に言う。
「よしこ、一緒に応援団やろ。うちひとりやったら浮くやん。つきあって」
「ええー……。うち、そういうの似合わんて」
「ええやん。1回くらい。思い出になるで」
押しの強さに負けて、私は結局、さちのおつきあいで応援団をすることになった。
応援団の衣装は2種類あった。
ひとつは、チームごとにデザインしたオリジナルの衣装。
当時のアイドル、聖子ちゃんが着そうな、ふりふりのスカートとノースリーブのシャツ。
もうひとつが、学ラン。
みんな、彼氏の学ランを借りて羽織るのが「お約束」らしい。
問題は、当然のことながら、私には彼氏などいないということだった。
「学ラン、どないしよ……」
私は家でも学校でも、何度もため息をついた。
さちは「彼おるから、彼の友だちに誰か貸してくれへんか頼んでみるわ」と言ってくれていた。
けれど、本当に借りられるのかどうか、不安は消えなかった。
私は裁縫がまったくできないので、オリジナル衣装のほうは、さちがほぼ全部作ってくれた。
ふりふりのスカートも、ちゃんとウエストに合わせてくれた。
「よしこ、細いなあ。うらやましいわ」
「そんなことないって」
そう言いながらも、私は完成した衣装を鏡の前でこっそり当ててみて、ちょっとだけうれしくなった。
問題はやっぱり、学ランだった。
体育祭まで、あと少し。
教室で配られたプリントをぼんやり眺めていると、私の机の上に、どさっと黒い布の塊が置かれた。
「おまえ、学ランいるんやろ。おれ、予備あるから、これ使い」
低い声がして顔を上げると、そこには河井くんが立っていた。
「えっ……」
机の上に広がったのは、深い黒色の学ランだった。
しかも背中には「天下無敵」と派手な刺繍がほどこされている。
「ええ? ありがとう。めっちゃ助かるわ」
思わず、素直に礼を言ってしまう。
河井くんは「ふん」と鼻を鳴らし、そのままくるりと背を向けた。
「……なんなんやろ」
ぽつんと残された机の上で、私は学ランの袖をそっとつまんだ。
◇
体育祭当日。
さちが作ってくれたふりふりのスカートを着て、その上から河井くんの学ランを羽織る。
本来のイメージでは、学ランの裾からのぞくフリフリと、
袖口からちょこんとのぞく手が可愛い、という狙いだった。
ところが。
「……長っ」
鏡の前に立った私は、思わずつぶやいた。
ヤンキー河井の学ランは、私のくるぶしまであった。
肩も落ちて、袖も手首どころか指先さえ出てこない。
どう見ても「学ランを羽織ったかわいい子」ではなく、
「子どもが学ランを背負っている」図だ。
しかも背中に「天下無敵」喧嘩売っとんのか。
・・・最悪だ。
「よしこ、似合ってるやん!」
さちはケラケラ笑いながら言うが、その目は明らかにおもしろがっている。
グラウンドに出ると、案の定、私はちょっとした話題の的になった。
「見て見て、あの子。学ランでけぇ」
「あれ、特攻服ちゃう?あれで踊るんかいな」
ひそひそ声と笑い声が、耳のあたりをかすめる。
それでも、私はそのまま乗り切ることにした。
どうせいまさら、誰かに学ランを借り直す時間もない。
だったら、いっそこの格好で堂々とやったろうやないか。
音楽が鳴り響き、応援団の順番が来る。
私は、長すぎる学ランの裾を蹴り上げながら、ふりふりのスカートをひらひらさせて、精一杯に踊った。
声が枯れるまで叫び、腕を振り上げて、チームを応援した。
途中で何度か、周囲からクスクス笑いが漏れた。
けれど、顔を上げるたびに、隣のさちが大きくうなずいてくれる。
「よしこ、いけるで!」
さちの口の動きだけで、それがわかる。
結果、私たちのチームは優勝した。
長すぎる学ランで、私はなぜか「必死で足掻くお笑い担当」みたいなポジションを獲得していた。
◇
翌日。
私は感謝をこめて、借りた学ランを手洗いした。
一晩しっかり干して、次の日の朝、アイロンまでかけた。
黒い布に、アイロンの熱がじゅっと伝わる。
香りのついた柔軟剤の匂いが、ふんわりと立ちのぼる。
本来は、クリーニングに出すべきと思ったが、
高校生にもなって月に1000円しかお小遣いを貰えないよしこに
その選択は無い。
「ここまでしたら、さすがに文句は言われへんやろ」
自分に言い聞かせて、よしこは学ランを紙袋に入れ、登校した。
休み時間、河井くんの席へと歩いていく。
彼のまわりには、いつものように男子たちが集まって騒いでいた。
「河井くん」
勇気を出して声をかけると、彼はちらりとこちらを見る。
「この前はありがとう。学ラン、めっちゃ助かったわ。
洗って、アイロンかけといたから」
そう言って紙袋を差し出すと、河井くんはそれを受け取り、ふん、とまた鼻を鳴らした。
「おまえの足が、皆の目に触れんでよかったわ」
「は?」
「そんな短いスカートはいて、顔ブスブスで、見た奴、後悔するからな」
そう言って、にやっと笑う。
一瞬、頭が真っ白になった。
親切に、一時でも感謝したことを、私は盛大に後悔した。
いや、私には親切ではないけど、私を見る人には親切なんかな。
いやいやいや、そんなはずはない。
うら若き乙女である私の足を見たい輩は、多いはずだ。きっと。たぶん。恐らく。
紙袋をぶらさげたまま立っていると、男子のひとりが
「河井、優しいなあ」とおもしろがるような声を出した。
「は? どこがやねん」
そう言いかけて、飲み込む。
口に出したところで、どうせ「ああ?」と睨まれて終わりだ。
私はくるりと背を向け、その場を離れた。
背中のあたりが、なんとなく熱かった。
そのときの私は、まだ知らなかった。
河井くんが、あんなふうに学ランを貸してくれた理由も。
そして、あの暴走族みたいな見た目の奥に、どんな記憶を抱えていたのかも。




