桜を運ぶたぬき
〜登場人物〜
たぬき(オス)
右耳が少し欠け、足に古い傷跡がある。
鵠沼次郎(60)
昔ながらの田舎の老人。穏やかな人柄で桜が大好きだった。
二年前に妻が他界している。
鵠沼春(10)
次郎の孫。
鵠沼三春(30)
鵠沼の娘。家族を支える優しい人。
鵠沼真二(30)
春の訪れを告げるように、桜が満開になったある日。
山道の脇に仕掛けられた罠に、たぬきが片足を挟まれていた。
まだ体が小さい。子どものたぬきだった。
痛みでうめきながらも、必死に身をよじっていたが、抜け出せない。
そこへ、散歩がてら山道を歩いていた次郎が通りかかった。
「おやおや、これは酷い。動くなよ、今助けてやるからな」
次郎は腰をかがめ、慎重に罠の金具を外した。
たぬきの右耳が齧られた跡があり、左足からは血が出ていた。
次郎は自分のハンカチを裂いて、傷口を優しく巻く。
その時、周囲は満開の桜に包まれていた。
淡いピンクの花びらが風に舞い、たぬきの灰色の毛にそっと落ちていく。
次郎はたぬきを抱き上げ、そのまま桜の木の下に座った。
「綺麗だなぁ・・・。」
痛みが引いてきたたぬきはじっと桜を見上げた。
次郎の目がキラキラと輝いている。
たぬきはその時知った。
"この人は、桜が好きなんだ。"
それから数年。
次郎は足腰が弱り、歩けなくなった。
家の中の畳の上で、窓から見える庭の桜を眺める日々が増えた。
山の麓とはいえ、生活が大変だろうと
家族は心配して一緒に住もうと提案したが、次郎は一人で暮らすと言って聞かなかった。
そんな次郎は、いつも穏やかに笑っていた。
ある春の朝。
カタンと台所から物音がした。
見ると、灰色の小さな影が床の隅にいた。
たぬきだ。
拾い集めて来たであろう桜の花びらを両手に抱えて立っている。
両手に抱えた桜の花びらがぽろぽろと落ち、畳の上に散らばっている。
「こらこら、どこから入って来たんだ?
散らかされると困るんだがな・・・」
たぬきは怪訝そうな顔をしている次郎を見ると、
しょんぼりと耳を伏せ、出口の方へトコトコと歩き出した。
そんなたぬきの姿に、なんだか自分が悪いことをしているように思えた。
それに、よく見ると見覚えのある特徴が。
「待て待て・・・もしかして、あの時のコなのか?」
車椅子から身を乗り出し、目を細めてたぬきを見つめる。
たぬきが振り返り、じっと次郎を見つめる。
右耳の欠けた跡。
足に巻かれている藤色のハンカチ。
間違いない。あの日、助けたたぬきだ。
「そうか・・・元気にしてたんだな。良かった、本当に良かった。」
たぬきは次郎の方へ近づくと花びらを次郎の前に差し出す。
次郎がそれを横にあるテーブルにそっと置いた。
そして、たぬきはそっと前足を伸ばし、次郎の膝に抱きついた。
次郎が頬に触れるとピッ!っと反応する。
「はは、すまん、冷たかったか?」
次郎の冷えた手を温めようと両手の上にペターッと横になる。
「ワシの為に来てくれたんだな。ありがとう。
温めてくれてるのか?優しいなぁ・・・。」
次郎は目を細め、たぬきの頭を優しく撫でた。
たぬきは心地良さそうに目を瞑るとそのまますやすやと寝息を立て始めた。
それから毎年春になると、たぬきはどこからともなく家に忍び込み、
桜の花びらを集めては来るようになった。
今日は、週に一度、春三たちが来る日だ。
「はは、こりゃ掃除が大変だなあ。リハビリしなきゃなぁ。」
ずっと諦めていた自分の足のことを次郎の口からリハビリと聞いて三春と春が笑う。
真二も隣で満足そうな笑みを浮かべている。
次郎は嬉しそうに礼を言った。
「ありがとうな。」
次郎が最期を迎えた日。
家族がいつものように会いに行くと、
次郎が静かな畳部屋に穏やかな表情で横たわっていた。
次郎の体の周りに無数の花びらが敷き詰められていた。
家族は、棺にその花びらを集めて入れた。
棺の中は美しい桜色に包まれる。
真っ白な次郎の頬に紅がさす。
両手も僅かに桜色が移っている。
手折りながら目を閉じて静かに眠っている次郎の顔は
幸せそうに微笑んでいた。
「たぬきさん、ありがとう。」
春の小さな声が静かに桜の中へ溶け込んで消えた。




