セッション1 零の覚悟
2026年1月4日 14時12分
BEGINNING Records 本社 最上階会議室雪が降り始めた午後。
ガラス張りの部屋に、7人だけ。再生されていたのは映像なし、音源のみ。
『雪が溶ける前に、ぎゅっと抱きしめて』──零が昨夜仕上げた最終マスター。最後のピアノが消えた瞬間、誰も言葉を発しなかった。出席者
・織田零(35歳・提案者)
・TAKU(54歳・Dzギタリスト・レーベル創業メンバー)
・神崎社長(63歳)
・A&R部長・高木
・宣伝部長・佐藤
・若手A&R・美咲
・法務・田中
TAKUが最初に口を開いた。
「……零、これが“まだ誰にも会ってない子”の音源だって?
バンドやステージ経験もなく?
俺、もう30年音楽やってるけど、こんなの初めてだ。」
零は静かに、でも確信を持って、
「だからこそ、今が一番大事なんです。
私はまだ彼女と一度も会っていません。
すべてDMと音源のやり取りだけ。
ある程度の情報はDMのやり取りで聞いています。」
社長の神崎が零をまっすぐにとらえ、
「で、お前の提案は?」
零は立ち上がり
「今日、この場で決めてほしいのは、たった一つだけです。
『もし彼女がデビューを望むなら、BEGINNINGは全力で受け入れる』
という、社としての意思だけ。
日程も、タイトルも、契約内容も、一切決めません。
デビューするかしないか、いつにするか、どんな名前でデビューするのか。
すべては彼女が“YES”と言ってから、私と二人で決めます。」
高木は困惑しながら、
「でも数字はもう……」
零が静かに遮る。
「数字があるからこそ、焦ったら終わりです。
彼女は今、広告代理店の普通の会社員です。
平日21時過ぎまで残業して、帰宅後に歌ってる。
その“日常”が、あの声の深さを作ってる。
ここで無理に引っ張り出したら、全部壊れます。」
佐藤が
「じゃあ、どうやって接触するんだ?」
零は笑みを込めて、
「今日以降、社内では彼女を“リン”とだけ呼んでください。
本名は私と弁護士以外、誰も知りません。
デビュー時のアーティスト名も、私とリンで二人で決めます。
それまで、誰にも決めさせません。」
TAKUはニヤリとして、
「徹底してるな。お前らしくて好きだよ。」
零が続ける。
「私が今日決めてほしいのは、次の三原則だけです。
リン本人が“デビューしたい”と言わない限り、絶対に会社として接触しない 。
もし本人が望んだ場合、デビューまでの期間、会社員を続ける権利を保障する 。
契約金ゼロ・印税最高率を約束する。
これさえ社として決めてくれれば、
私は今から初めて、彼女に“会いたい”と伝えます。」
神崎社長が目を細める。
「つまり、お前はまだスカウトすらしていない?」
零は小さく頷くき、
「ええ。 宿題は終わったけど、彼女はまだ“私の生徒”でしかない。
プロとして迎えるには、彼女自身の意志が必要です。」
TAKUが深く息を吐く。
「いい判断だ……俺は賛成するよ。
こんな才能を、強引に引っ張り出すなんて、音楽に対する冒涜だ。」
神崎社長はゆっくりと立ち上がる。
「決まりだ。
BEGINNINGとして、織田零の三原則を承認する。
リンがYESと言った瞬間から、全社を挙げて動く。
それまで、誰も手を出すな。
織田、お前が最初の接触者だ。」
零は深く一礼してた。
「ありがとうございます。」
会議終了 14時57分全員が退出した後、
零は一人残り、窓際でスマホを取り出した。雪が本格的に降り始めていた。
【@rainy_ear → リン】
「リン、こんにちは。織田零です。
ずっと隠しててごめん。
実は私は、BEGINNING Recordsの外部プロデューサーで、
R.Oとして裏で何百曲もヒットさせてきた人間です。今日、会社で君の話をした。
社長も、DzのTAKUさんも、全員が君の声に震えた。
『こんな歌い手はもう二度と現れない』って。
だから、もし……もしリン自身が“歌を仕事にしたい”って思う日が来たら、
BEGINNINGは全力で受け入れるって、今日決まった。
私はまだ、リンに何も強制したくない。
ただ、もう隠すのはやめようと思って。
だから、そろそろ会いたいな。
今週末か、来週のどこかで、30分だけでいいから、
お茶でもしませんか?
場所はリンが決めて。
人目が気になるなら、夜の公園でも、閉店後のカフェでも、どこでも行く。
返事が来るまで、ずっと待ってる。
“NO”でも全然構わないから、
リンの気持ちを、素直に教えてください。
今日もお仕事お疲れ様。
雪が降ってるから、帰りは気をつけてね。
──織田零」
送信完了
15時03分零はスマホを握ったまま、
降りしきる雪を見つめていた。
これで、すべてはリンの一言にかかっている。会うか、会わないか。
デビューするか、しないか。
歌を仕事にするか、このまま会社員のままか。
すべては、黒髪の歌姫「リン」が決める。




