セッション4 君がいない夜に
黒崎哲也と凛のレコーディング
立ち入り禁止の扉
午後2時45分
都内某所・LUXE所有プライベートスタジオ零は、BEGINNING本社の別室でモニターを見つめていた。
画面はLUXEスタジオのコントロールルームとブースを映している。
音声はクリアに届くが、零の声は一切届かない。
それが今日のルールだった。
黒崎哲也が直接ディレクションをする。
零の存在は「余計な緊張を生む」。
だから、零は立ち入り禁止。
インターホンでの発言も禁止。
ただ、黙って見ていることしかできない。
零はシャツの袖をまくり上げた。
肘をテーブルについて、画面を睨むように見つめる。
唇は固く結ばれ、瞳は冷たい。画面の向こうブースに凛が立っていた。
秋らしい軽やかな服装。
長い黒髪が肩に落ち、ヘッドフォンを耳にかけ、マイクの前に立つ。
いつもの凛。
だが、零の隣にいない凛。
コントロールルーム側。
黒崎哲也は黒のタートルネックに黒のジャケット。
エンジニアの横に座り、足を組み、腕を組む。
表情はいつもの無感情な完璧さ。
瞳だけが、鋭く凛を捉えている。
黒崎がインターホン越し、冷たく、
「凛、準備はいいか。
1テイク目からいく。感情は殺せ。完璧に。」
凛はマイクに向かって、小さく頷く、
「はい、黒崎さん。」
零の指が、テーブルの上でわずかに動いた。
握りしめた拳。
完璧の檻プレイバックが始まる。
黒崎の作曲したトラックが、スタジオを満たす。
重く冷たいシンセの低音。
機械的に正確なドラム。
ストリングスが空気を切り裂くように響く。
メロディは美しく、完璧で、感情を徹底的に排除した「光」そのもの。凛が歌い出す。
君がいない夜に この声は届くの?
完璧な闇の中で 私はまだ歌ってる
触れられない指先 凍りついた吐息
永遠の孤独に 名前を呼ぶだけ。
黒崎は再生を止め、ため息、
「ストップ。
凛、感情が多すぎる。
もっと冷たく。君の声は美しいが、魂が漏れている。
殺せ。」
凛、少し首を傾げて、
「……魂を殺すって、どうすればいいんですか?」零の瞳が、わずかに細められる。
黒崎が真顔で、
「想像しろ。
君の大切な人が、もう二度と戻らない夜を。
その人を呼ぶ声に、一切の希望を乗せるな。
絶望だけを、完璧に。」
凛、一瞬考えて、無邪気に、
「大切な人……零さんのことですか?
零さんがいない夜って想像したら、ちょっと泣きそうになっちゃいます。」
零の拳が、強く握られた。
黒崎は眉一つ動かさず、
「泣くな。
泣いたら完璧が崩れる。
零のことは考えるな。
ここでは、私の曲だ。」
凛は小さく笑って、
「でも、零さんのこと考えないで歌うの、難しいです。
いつも隣にいるのに、今日はカメラ越しで……
ちょっと寂しいかも。」
黒崎はわずかに額に青筋、
「寂しいと思うな。
寂しさも感情だ。殺せ。」
凛はマイクに近づき、囁くように、
「黒崎さん、感情を全部殺したら、
私、何も残らなくなっちゃいますよ?
それでもいいんですか?」
黒崎は一瞬、言葉に詰まり、咳払い。
「……残すのは、美しさだけだ。
魂は邪魔だ。」
凛はくすくす笑いながら、
「黒崎さん、さっきから『殺せ』ばっかり言ってる。
私、殺されちゃうんですか?」
黒崎は完全に真顔で、
「魂だけ殺す。
君自身は生かしておく。
……歌が欲しくて仕方ないからな。」
凛は目を丸くして、
「えっ? 今、素で言いました?
黒崎さん、私の歌、欲しいんですね?」
黒崎は慌てて表情を戻し、冷たく、
「誤解するな。
最高のクオリティが必要なだけだ。
個人的な感情は一切ない。」
凛はにこにこ、
「じゃあ、もう一回歌いますね。
今度は、黒崎さんが欲しいって思ってるくらいの、
完璧な冷たさで。」
零の唇の端に、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。
黒崎は無言でプレイバックを開始した。
凛は目を閉じ、深呼吸。
マイクに顔を近づけ、再び歌い出す。
君がいない夜に この声は届くの?
完璧な闇の中で 私はまだ歌ってる
触れられない指先 凍りついた吐息
永遠の孤独に 名前を呼ぶだけ
今度は違う。
感情を極限まで削ぎ落とした、氷のように美しいボーカル。
息遣いすら計算され、揺らぎがない。
黒崎の世界観に、凛が完全に“ログイン”した。
黒崎の瞳が、わずかに見開かれる。
だが、それでも最後のサビで、ほんの一瞬、凛の声に温かみが混じる。
微かで、誰にも気づかれないほど小さな、魂の欠片。
黒崎は無言で、ゆっくりと親指を立てる。
テイクOK。
凛はヘッドフォン外して、ガラス越しに手を振る。
「黒崎さん、どうでした?
魂、ちゃんと殺せました?」
黒崎はインターホン越し、微かに口元を緩め。
「……完璧だった。
次は、もっと殺してみろ。」
凛は笑顔で、
「でも、全部殺しちゃったら、黒崎さん、後で後悔するかもですよ?」
黒崎は目を逸らし、小声で、
「……少しは残しても、いいかもしれない。」
黒崎の信念レコーディングは続く。
テイクは10を超え、20に近づく。
黒崎は繰り返す。
「もっと冷たく」「感情を殺せ」「完璧に」。
だが、それは表向きの言葉。
黒崎の本当の信念は、もっと深い。
彼は知っている。
曲の本質に、完全に、完璧に“ログイン”すること。
作曲家自身が作り上げた世界観に、ボーカリストが100%没入し、その世界の住人として息をし、歌うこと。
それだけが、曲を最大限に引き出す。
売れるためではない。
ヒットメーカーとして成功したのは、結果にすぎない。
黒崎は、完璧な世界に完全にログインしたアーティストが、時にその世界を内側から変えてしまう瞬間を、誰よりも渇望していた。
白石美波を「永遠の聖女」に仕立て上げたのも、彼女が黒崎の世界に完全にログインしたから。
だが、美波は変えなかった。
完璧に留まった。しかし凛は違う。
黒崎の完璧な檻にログインしながら、
かすかに、だが確実に、魂を忍び込ませる。
それが、黒崎を震わせた。
最後のテイク午後8時を回る。
スタジオは静寂に包まれ、疲労が漂う。
黒崎が静かに、
「ラストテイクだ。
今までで一番、完璧に。」
凛は頷き、目を閉じる。
零の顔を思い浮かべる。
だが、それを押し殺す。
黒崎の世界に、完全にログインする。
プレイバック。
凛の声が響く。
君がいない夜に この声は届くの?
完璧な闇の中で 私はまだ歌ってる
触れられない指先 凍りついた吐息
永遠の孤独に 名前を呼ぶだけ 冷たく、美しく、完璧に。
だが、最後のアウトロで凛の声が、ほんの一瞬、震える。
届かないと知りながら、それでも呼ぶ、
魂の囁き。黒崎は無言で、立ち上がった。
エンジニアに合図。
テイクOK。
黒崎はインターホン越し、低く、
「……完璧だった。
いや……完璧を超えていた。」
凛は疲れた笑顔で、
「黒崎さん、満足しましたか?」
黒崎は一瞬、目を伏せ、
「……ああ。
君の歌は、私の世界を変えた。
少しだけ、だが。」
凛はくすりと笑う。
「少しでいいんです。
魂は、殺せないから。」
黒崎は、誰にも見せない微笑みを浮かべ。
ガラス越しの視線レコーディング終了。
凛はブースから出て、コントロールルームに入る。黒崎は凛に背を向け、モニターを見つめながら、
「今日は、ありがとう。
これで、このシングルは最高のものになる。」
凛は黒崎の横に立ち、静かに、
「黒崎さんの完璧な世界、楽しかったです。
また、遊びに来てもいいですか?」
黒崎は振り返らず、
「……いつでも、来い。」
凛は微笑み、スタジオを出る。
零は、BEGINNINGのモニター室で立ち上がっていた。
画面越しに、凛が歩いてくる。
零は心の中で、
「凛……よく、やった。」
夜の帰り道夜10時。
凛と零は、車でBEGINNINGに戻る。
凛は零の肩に寄りかかり、
「零さんの言う通り挑発的な態度で挑みました。
いつ怒られるかめちゃめちゃ怖かったですよぉ」
零は凛の髪を梳きながら、
「すごくよかったよ。
あの黒崎の声が戸惑っていたから」
凛は目を閉じて、
「黒崎さん、意外と面白い人だった。
『殺せ』ばっかり言ってたけど、
本当は、私の歌を生かすための演出だったんですね。」
零は静かに、
「ああ。
黒崎は、天才だ。
完璧とは、誤解されやすいがアーティストの本質を最大限に発揮させる黒崎の手法。
数々のアーティストが成功している。
だから、あれで人望は厚いんだ。」
凛は微笑む。
「私の魂は、誰にも殺せない。
零さんと一緒にいる限り。」
零は凛を抱き寄せた。車は夜の東京を走る。
「君がいない夜に」は、
もう、完成していた。
光と魂のしのぎ合いは、新たな可能性を生み出した。
君がいない夜に
【https://drive.google.com/file/d/1jZDlLUkoF_nQ7nTNcQhV105LUQS-Nseu/view?usp=drivesdk】




