セッション5 rainy_ear
新宿・ワンルーム6畳倉賀野凛は、YouTube Liveを終了させた瞬間、スマホを両手で包んだ。
画面にはまだ28人の視聴者が残したコメントが流れている。
最後に現れた一行が、胸を突き刺す。
@rainy_ear
「完璧だ。」
凛は、膝を抱えて床に座り込んだ。
白ワンピースの裾が畳に広がる。
黒髪ロングが肩から滑り落ちる。
涙がポロポロと落ちた。
誰かに「完璧」って言われたの、初めてだ。
渋谷区神南・タワーマンション最上階ペントハウス
「REI STUDIO」プライベートルーム織田零(35)は、5面の4Kモニターをすべて消した。
部屋は真っ暗。
窓の外、SHIBUYA SKYのライトが遠く瞬く。零は、黒のクロップドライダースを羽織ったまま、
ソファに深く沈み込む。
破れた黒スキニー、赤メッシュのショートカット、首のチョーカーは外していない。
完全なるパンクスタイル。
「……声質が変わった。いい感じに仕上がってる。」
低い女声が、静かに響く。
零は、リピート再生ボタンを押す。
「夜に駆ける炎」
が、最新のGenelecスピーカーから流れ出す。
零は目を閉じた。
10年前の自分を見ているようだ。
零は2015年、20歳のときにガールズバンド「AURORA」でデビュー直前だった。
事務所に曲をすべて差し替えられ、解散。
その傷を引きずりながら裏方に回り、
「R.O」名義で2020年以降だけでも
・女性ソロアーティストのデビュー曲 Spotify1億再生
・男性ロックバンドのバラード YouTube2億再生
・アイドルグループの夏曲 ストリーミングミリオン
を連発してきた。表に出ない。
顔も出さない。
名前も最小限。でも、
4か月前。
偶然入った深夜のYouTube Liveで、観客0人の黒髪ロングの女の子が「影の街角」を歌っていた。
その瞬間、零の中で何かが燃え上がった。
この子だ。
私が失った炎を、まだ持ってる。それから、
@rainy_earとして、
「宿題」を出し続けた。雨、風、海、朝焼け、電車の窓……
すべて、声の筋トレだった。
そして今。
「一週間で最高に燃える曲」
という、最難関の宿題。
凛は、見事に答えた。
零は、MacBookを開き直す。
Spotifyのリアルタイムデータを確認。
倉賀野凛(非公開アーティスト)
「夜に駆ける炎」
月間リスナー:1,842人(1時間前は87人)
TikTokハッシュタグ「#夜に駆ける炎」
使用動画数:1,283本(急上昇中)零は、小さく笑った。
「もう、始まってる。」
零は、XのDMを開く。
@rainy_ear→ @rin_kuragano
指がキーボードの上をさまよう。
「まだ会うのは早い。」
「でも、もうすぐだ。」
「次は――もっと難しい宿題を出す。」
でも、結局――
送信せずに、削除した。代わりに、たった一行だけ打つ。
「次は、誰かを泣かせる曲が聞きたい。」
送信。
既読はつかず。
零は、PCを閉じた。
「もっと化けてくれよ……倉賀野凛。」
零は立ち上がる。
壁に飾られたプラチナディスクを眺める。
自分の名前がどこにもない。
でも、その中に「夜に駆ける炎」は、まだ入っていない。
いつか、入れたい。
キミの名前で。
まだ、会わない。
でも、もうすぐだ。
新宿・ワンルーム凛は、スマホの通知を見た。
@rainy_ear
「次は、誰かを泣かせる曲が聞きたい。」
凛は微笑んだ。
また、宿題。
でも、嬉しい。
凛は、ギターを抱えて立ち上がる。
誰かを泣かせる曲。
私に、できるかな。
でも、胸の奥で、確かに炎は燃え続けていた。
しかし、運命の糸は、確実に絡まり始めている。




