セッション3 いつもそばにいる優しさ
部屋の明かりは、スタンドライト一本だけ。
オレンジの灯りが、床に長い影を落とす。凛は床に座り込んでいる。
テーブルの上に置かれたノートパソコンからは、零が今朝送ってきたデモが、ループ再生されている。
凛は、もう八時間、詞が書けない。
「街のネオンが……」
「君の影を……」
「もう優しさなんて……」
何度書いても、全部嘘になる。
零の曲が求める言葉が、どこにもない。
凛は頭を抱えた。
髪が乱れて、顔にかかっている。
「……零さん、ごめん…… 私、書けない……」
そのとき、ドアが静かにノックされた。
「……凛ちゃん、入るよ」
九条悠里だった。
黒のスーツに、髪を後ろで束ねたまま。
手には、温かいココアと、凛が好きなお菓子袋。
凛は慌てて涙を拭った。
でも、もう遅かった。悠里は無言で隣に座り込み、
「……悠里さん……」
「零から聞いたよ。
『凛が詞で苦しんでるから、そばにいてやってくれ』って」
凛は俯いた。
「……私、零さんの曲を、汚しちゃいそうで……」
悠里はココアを凛に差し出し、静かに言った。
「凛ちゃんは、零の曲を汚すことなんて、絶対にできないよ。
だって、凛ちゃんは零のすべてだから」
凛は震える手でココアを受け取った。
温かさが、指に染みる。デモがまたループで流れる。
悠里は画面をのぞき込み、凛が書いた走り書きを読んだ。
『壊れるまで抱きしめて』
『この体を焦がしてくれ』
『君がいればそれだけでいい』
「……これ、全部本心だよね?」
凛は小さく頷いた。
「でも……恥ずかしくて……
こんなこと、歌詞にしちゃダメだって……
ファンのみんなに、どう思われるか……」
悠里は微笑んだ。
「凛ちゃん。
零は、もう自分の命を削ってこの曲を作った。
凛ちゃんが恥ずかしいって思ってる気持ちも、
全部わかってる。
だからこそ、凛ちゃんにしか書けないって、
私に頼んできたの」
凛は唇を噛んだ。
「こんなに欲だらけの詞……
スキャンダルのあと、こんな曲、歌っていいのかな……」
悠里は凛の手をそっと握った。
「いいんだよ。
凛ちゃんは、もう十分我慢した。
普通の女の子でいたかったあの日の願いも、全部奪われた。
だったら、もう我慢しなくていい。
零に、全部ぶつけてごらん」
凛は目を閉じた。デモがまた流れる。
ギターが、16小節のソロで絶叫する。
まるで「私を抱きしめてくれ」と叫んでいるみたいに。
凛はペンを握った。悠里は黙って見守る。
凛は、最初は何も書けなかった。
ただ、零のデモを聴き続けた。
十分。
二十分。
三十分。そして、ふと、
凛の指が動いた。
街のネオンが滲んで見える夜
君の影をまだ追いかけてしまう
一行書いた瞬間、涙がぽろりと落ちた。でも、止まらなかった。
電話の向こう 君の声がして
今すぐ会いたくて 息ができない
悠里は、ただ横でコーラスで「うん、うん」と小さく頷き続ける。
もう優しさなんていらない
今すぐ君に 触れたい
凛の声が、震えながら漏れる。
自分で読み上げながら、歌いながら、泣きながら。
IN YOUR ARMS
壊れるまで抱きしめて
IN YOUR ARMS
この体を焦がしてくれ
悠里が、そっとハーモニーを重ねる。
12層には程遠いけど、
二人の声が重なった瞬間、
まるで奇跡が降りてきたみたいだった。
凛は一気に書き上げた。
最後の叫びも。書き終えたとき、
時計は朝の6時を回っていた。
凛は、、悠里に呟く。
「……できた」
悠里はそれを読んで、
「……凛ちゃん、これは……
零が死ぬよ」
といい微笑んだ。
凛は笑いながら、
「いいよ。私も、一緒に死ぬから」
と返す。
悠里は凛を抱きしめた。
「おめでとう、凛ちゃん。これで、完成だね」
凛は震える声で呟いた。
「……悠里さん、ありがとう
私、一人じゃ、絶対書けなかった」
悠里は凛の髪を撫でながら、優しく言った。
「凛ちゃんは、もう一人じゃないよ。
私たち全員が、凛ちゃんの背中にいる」
朝陽が昇ってきた。
カーテンの向こうが、白く染まる。
凛は零に詞を送信。
IN YOUR ARMS
壊れるまで抱きしめて
IN YOUR ARMS
今すぐ 君のものに……
外では、もう新しい一日が始まろうとしていた。




