セッション5 小さな成長
Studio ZERO・黒のアトリエ午後7:12。
零が凛の手を優しく引き、スタジオの最奥に連れて行った。
ドアのプレートには「黒のアトリエ」とだけ書かれている。
中は暗く、壁一面に黒い布地が吊るされ、裁縫台の上に針と糸が散らばっていた。
空気は静かで、少し埃っぽい。
零は柔らかく、
「凛、紹介するよ。
九条悠里さん。
君の衣装と、毎日を預ける人だよ」
悠里は背中を向けたまま作業をしていた。
黒のタートルネックに黒のスカート、左耳だけに小さなルビーのピアスが光る。
ゆっくりと椅子を回し、凛を見た。
顔は穏やかだったが、目は鋭さを持っていた。
悠里は優しく、でも静かに、
「はじめまして、凛ちゃん。
私は悠里。
よろしくね」
凛は零の袖を強く握りしめ、俯いたまま動けなかった。
ルビーレッドの瞳が、わずかに揺れる。
凛は小さな声で、ほとんど聞こえない。
「……はじめまして……
凛です……
よろしくお願いします……」
零が凛の肩に手を置き、悠里に目で合図する。
悠里は立ち上がり、凛の前にゆっくり近づき目線を合わせた。
悠里、
「怖がらなくていいよ。
私は、凛ちゃんの衣装を作ったり、
髪を結んだりするだけ。
あなたのペースでいいから」
凛はまだ顔を上げられなかった。
ただ、零の袖を握る手が、少しだけ緩んだ。
零は凛に耳打ち、
「悠里さんは、私の古い友達だよ。
信じて」
その日、凛は悠里に触れられず、ただ体のサイズを測られるだけだった。
コミュニケーションは、ほとんどなかった。
FNS歌謡祭のステージが終わり、
凛は楽屋で息を切らしていた。
黒コートの裾が汗で濡れている。
悠里が無言で近づき、ハンカチで裾を拭き始めた。
凛は驚いて、俯いたまま、
「……ありがとう……ございます……」
悠里は作業を続けながら、初めて質問。
「凛ちゃん、ステージはどうだった?」
凛は一瞬、零を探したが、零は外で電話中。
凛は小さく答えた。凛
「……怖かった……
でも、みなさんが支えてくれたから……歌えました……」
悠里は微笑み、裾を10cmぴったり調整して立ち上がった。
悠里は、
「よく頑張ったね。
次はもっと楽になるよ」
凛は初めて、悠里の顔を少しだけ見た。
ルビーのピアスが、自分と同じ赤い色をしているのに気づいた。
その3日後、凛が熱で倒れた。
38度を超え、ベッドから起き上がれない。
零が別のライブのリハで不在の中、悠里が凛の部屋に泊まり込んだ。
冷たいタオルを額に当て、おかゆを作ってスプーンで口元に運ぶ。
凛は朦朧としながら)
「……ごめんなさい…… 迷惑かけて……」
悠里は、
「迷惑じゃないよ。
凛ちゃんは、私の仕事だから」
夜中、凛が悪夢を見てうなされたとき、
悠里はそっと凛の手を握った。
翌朝、凛は熱が下がり、初めて悠里に「ありがとう」を笑顔で言った。
日常の小さな変化衣装合わせの日。
悠里が凛の髪をハーフアップに結び、
黒のベルベットリボンを付ける。
凛は鏡を見て、初めて自分から、
「悠里さん……
このリボン、ちょっと大きいかも……
もっと小さいのでいいですか……?」
悠里は無言で新しいリボンを取り出し、
凛の髪に結び直した。
悠里は、
「どう?」
凛は鏡に映る自分を見て、小さく微笑む。
「……これがいい……
ありがとう……ございます」
この日、凛は悠里の隣に自分から座った。
コミュニケーションが、少しずつ芽生え始めた。
作詞の始まり、苦しみのスタート零が!
「次も凛が自分で歌詞を書くんだよ」
と告げた日。
凛はパニックになり、黒のアトリエに逃げ込んだ。
悠里の足元に座り込んだ。
「私……うまく書けないかも……
悠里さん……どうしたら……」
悠里は裁縫の手を止めず、
ただ凛の頭をそっと撫でた。
「凛ちゃんが今感じてることは、全部本物。
言葉は、いつか出てくるよ」
凛は悠里に笑顔を見せた。
「凛ちゃん、今一番言いたいことは何?」
「……離れないで……
……みんな……」
悠里は
「それを書いてみて。
それが、凛ちゃんの歌詞よ」
凛は震える手で、
「HOLD ME Tonight」
と書いた。




