セッション4 きっと忘れない
凛の自宅
部屋の電気は消したまま。
窓は全開。
外はまだ蒸し暑い夜だった。凛は床に正座して、
膝の上にノートパソコンと、
小さなオーディオインターフェース、
そしてマイクを置いていた。
イヤホンで零の最終デモをループ再生しながら、
スマホのメモに何度も書きかけては消し、
書きかけては消しを繰り返していた。
画面には、消し跡だらけの文字が残っている。
「透明なままの君へ……」
「永遠に……」
「届くように……」
最後の1行が、どうしても決まらない。
凛は一度、イヤホンを外して、
深く息を吐いた。
「……零さん」
零の言葉が頭をよぎる。
「最後の1行は、凛が一番言いたいこと。
私が泣いたら正解。
でも凛は泣かないでね。約束だよ」
凛は目を閉じた。
21:44
スマホに零からLINE。
『凛、まだ起きてる?
無理しないでね』
凛
『起きてます
あと少しで決まりそうです』
零
『うん、ゆっくりでいいから』
23:12
凛は立ち上がって、
冷蔵庫から冷えた麦茶を飲み、窓辺に立った。
遠くで、誰かの花火がぽん、と小さく弾けた。
その音で、突然、胸の奥が開いた。
凛は慌てて床に戻り、スマホを握りしめて、一気に書き上げた。
23:58
歌詞、完成。凛は涙を堪えて、マイクの前に座り直した。
「仮歌、入れます」
小さな声で呟いて、
再生ボタンを押した。
イントロのアルペジオが鳴り始める。凛は目を閉じたまま、
マイクに向かって、静かに歌い始めた。
街の灯がにじんで見える夜は
君の声が とりあえず覚えて
過ぎた時間は戻れないと知って
昨日歩き続けるよ
風が見えるあのメロディー
胸の奥で響き続ける
透明なままの君へ
私はまだ約束を信じている
言わない言葉を風に乗せて
もう一度その日の約束を抱いて歩いてゆくよ
Shine on me…forever
リバーブを大きめにかけ、
まるで教会の奥で歌っているような響きにしていた。
Bセクションでは、ほとんどささやきに近い声で。
そっと目を閉じてみれば
君の笑顔がまだここにある…
涼しい風が頬をなでて
“don’t believe” って聞こえた気がしたそして最後のコーラス。
凛は、キーアップして、
全力で、でも優しく、歌い上げた。
透明なままの君へ
私はまだ約束を信じている
永遠に色褪せない想いを胸に刻んで歌い続ける
どこにいても君に届くように
Shine on me…透明なままの君へ…永遠に最後の
「永遠に」の後、凛はマイクから顔を離し、静かに息を吐いた。父親を思いだし少し笑顔が浮かぶ。
涙は、一滴も出なかった。
03:17
仮歌をWAVで書き出し、
零に送信。
『零さん
歌詞完成しました
仮歌も入れてみました
泣きませんでした
約束、守れました
添付します』
送信してから、凛はスマホを胸に抱き、
床に横になった。
5分後、電話がかかってきた。
零の声は、明らかに泣いていた。
「……凛? 今、聴いた……」
凛は微笑みながら答えた。
「零さん、おはようございます」
「もう……声が出ない……
最後の『透明なままの君へ…永遠に』で、
完全にやられた……」
「零さん、泣いちゃったんですか?」
零は笑い泣き声で、
「泣いた……大泣きした……
でも凛は泣かなかったんだね……偉い……」
凛は天井を見上げたまま、
静かに言った。
「はい。
約束、守れました」
「……次はわたしの番ね」
「はい」
「明日……いや、今日の午後、
スタジオでマスティングとアレンジ入れる」
「はい。よろしくお願いします」
「……凛、ありがとう
世界が、絶対に忘れられなくなるよ」
「私も、絶対に忘れません」
電話を切ったあと、凛は窓を開け放ち、夜明け前の空に向かって、小さく、でも確かに歌った。
「Shine on me…透明なままの君へ…永遠に」
風に乗って、その声は夜空に溶けていった。




