セッション3 零とイズミ
零がバンドを解散したのは、二十歳の冬だった。表向きは「方向性の違い」。
実際は、零がもうステージに立つ気力を失っていたからだ。
最後のライブの後、零はギターをケースにしまい、それきり表舞台から姿を消した。
誰にも言わずに、裏方へ。作曲家・編曲家として、ひっそりと活動を始めた。最初は小さなインディーズの仕事。
次に、少しずつ名前が売れ始め、テレビドラマの挿入歌、アイドルのカップリング曲、演歌歌手の隠れた名曲……。
零の書くメロディは、どこか切なくて、どこか温かくて、聴いた人の胸の奥にそっと灯りをともすようなものだった。
そんなある日、突然の電話だった。
「零ちゃん? 私、イズミ」
Zephyrのイズミ。当時すでにミリオンを連発し、日本中で知らない人はいない存在。
その人が、零の携帯に直接かけてきた。
「シングル一曲、お願いできないかな。私が歌うやつ」
零は受話器を握りしめたまま、言葉を失った。
トップミュージックからの正式オファー。
断る理由なんて、どこにもなかった。それから零は、寝る間も惜しんで曲を作った。
夜通しピアノに向かい、ギターを抱え、何十回もデモを録り直し、自分の心臓の音まで録音して、それをループさせてみたり。
「イズミさんが歌うなら、こんな景色が見える曲じゃなきゃダメだ」
そう自分に言い聞かせて、削り、削り、削り抜いた。
完成した曲は、タイトルもまだなかった。零は緊張しながら、スタジオで再生ボタンを押した。静かなストリングスが鳴り始め、風のようなギターのアルペジオが重なり、そして、零が一番大切にした、胸の奥がきゅっと締まるようなメロディが流れ出す。
イズミは、目を閉じて最後まで聴ききった。
そして、ゆっくりと目を開けて、微笑んだ。
「……これだわ」
その一言で、すべてが決まった。
イズミが書いた詞は、まさに爆発だった。
「揺れる想い」「負けないで」「この涙 星になれ」
誰もが知る、あの名曲の数々が乗った。
発売から三ヶ月でミリオン。
音楽番組のオンエアが流れるたび、街中で歌が聴こえてきた。
そして、零の名前は一気にトップミュージシャンの列へと押し上げられた。
それからの数年間、零はイズミのそばにいた。
レコーディング、ツアー、テレビ出演。
表向きは「ギタリスト兼アレンジャー」だったけれど、実際は、ほとんど専属だった。
イズミは零を、まるで妹のように可愛がった。
楽屋で二人きりのときだけ見せる、普段は決して人に見せない、あどけない笑顔。
「零ちゃん、今日のおにぎり、私の分まで食べちゃったでしょ?」
「食べてないです」
「うそつき~」
って、舌を出して笑う姿。打ち上げで酔っ払って、
「ねえ零ちゃん、私って美人?」
って急に真剣な顔で聞いてきて、
零が
「はい、美人です」って答えると、
「やったー!」って子どもみたいに喜ぶ姿。
そんな時間が、零にとって何よりの宝物だった。
でも、ある日突然。イズミは倒れた。病名は告げられなかった。
ただ、もうステージに立てないとだけ。それから一年あまり。
零は、毎日のように病院に通った。
最後に会った日、
イズミはベッドの上で、いつものように笑った。
「零ちゃん、私の分まで、ちゃんと歌ってね」
「……私が歌うんですか?」
「ううん。誰かを、ちゃんと輝かせてあげて」
その言葉が、最後になった。
葬儀の日、零は誰にも泣き顔を見せなかった。
ただ、一人になってから、何度も何度も思い出しては、
胸が張り裂けそうになった。
でも、ふとした瞬間に、
あの笑顔が、
あのユーモアが、
あの、誰にも見せなかったあどけなさが、
零の心に灯りをともす。
プロって、こういうことなんだ。
誰かを輝かせるために、自分のすべてを捧げることなんだ。
だから私は、立ち止まれない。
それから零は、誰よりも曲を書き、誰よりも人を育て、誰よりも高く、遠くまで届く音楽を作り続けた。
今、零は日本で最も売れるヒットメーカーの一人だ。
でも、心の奥に、いつもあの約束がある。
「誰かを、ちゃんと輝かせてあげて」
リン。
あの子の声は、イズミが最後に残した言葉に、どこか似ている。
震えるほどに純粋で、聴いた人の心を、確かに変える力がある。
だから零は決めた。
リンを、必ず。イズミがいた世界まで、連れていく。
東京ドームの5万5千人の前で、WIZARDの魔法を、ちゃんと届ける。
「約束だよ、リン」
零はスタジオの窓の外、夜空を見上げて呟いた。
「私、イズミさんの分まで、ちゃんとやるから」
星が一つ、瞬いた。
まるで、遠くから微笑んでいるように。




