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景虎  作者: 三峰三郎
1/6

景虎 1

 鮫ヶ尾城東一ノ丸曲輪から、無数の松明の灯が眼下に見下ろせた。

 絶望の灯りだった。


(三千ばかりか)


 堀江宗親(ほりえむねちか)は、敵兵の掲げる松明の数を横目で概算しながら、本丸へと足を運ぶ。


「景虎様、堀江宗親にございます」


 襖の前で呼び掛けると、隔てた向こうから微かに衣擦れの音がした。

 宗親はそっと襖を開ける。

 縁から月光が差し込み、その一間をぼんやりと照らし出していた。

 手に盃を持った青年が、半月を仰ぎ見ている。

 筋の通った高い鼻梁、目尻の上がった大きな瞳、薄く形の整った唇。それらが小さな顔に均等に配されている。三国一の美男子と称される男がそこに座していた。

 月見酒をする姿は、一枚の屏風絵の如くである。


「何用か」


 盃を干した景虎は、手酌で器を満たす。

 こちらを見向きもしない。


「およそ三千の敵兵が、城下に押し寄せております。もはや、これまでかと」


 投降しては、と暗に仄めかしたつもりであった。

 景虎は表情を崩さない。

 宗親はすでに景虎と生死を共にする覚悟を決めていた。

 しかし一方で、まだ二十六の景虎に死んで欲しくない、という想いもまた、あった。

 それに、関東に一大勢力を誇る北条氏政の弟である景虎には、敵方にとっても政治的に利用価値のある人物に違いなかった。

 宗親は、景虎にここで命を終わらせてほしくはなかった。

 それは、憐みであり同情でもあった。


「滑稽」


 口元から盃を離すと、景虎は呟いた。


「は……」


 思わず、聞き返す。


「己の人生のことよ。まるで傀儡人形のような一生であった」


 盃を持つ手を膝の上に置くと、はじめてこちらを振り返った。

 宗親は、思わず息を呑んだ。

 景虎の顔は青白く、生気がなかった。

 死相とはこのような面のことを言うのだろう。

 宗親はそう思いつつも、一方で、儚い美しさもその顔から感じられた。


「終わったと決まったわけではございませぬ」


 宗親は絞り出すように言った。


「いや、最期くらい己で決めたい」


 景虎の死は、宗親の死をも意味した。

 深い間柄というわけではない。

 現在の境遇に至ったのは、成り行きとしか言いようがなかった。

 これも運命かと、半ば諦めの境地に宗親は立っている。

 景虎の一言で、自身の命運も決まったのである。


「宗親、おぬしもどうだ」


 景虎は小姓を呼ぶと、盃を宗親にも与えるよう命じた。 

 盃を受け取った己の手が、微かに震えていた。

 宗親は覚悟したにも関わらず、これから起きるであろうことに恐れを抱いている己を知った。

 一息に飲み干すと、景虎の表情を窺った。

 気力の萎えた、感情の籠らない微笑みを浮かべていた。


 上杉景虎。

 前上杉家当主、謙信の養子であり、北条氏政の弟でもあった。

 もう一人の謙信の養子である景勝と、謙信亡きあとの上杉家跡目継承を廻って争い、いままさにその命を散らそうとしていた。

 宗親は、武田家との国境付近に位置する、鮫ヶ尾城の城主という立場であった。

 そのことから景虎側に味方した武田の軍勢を恐れ、宗親もこれに倣ったのである。この判断が命運を分けた。悔いはなかった。


「傀儡人形とは、どういった……」


 宗親は尋ねた。しかし、ある程度、その意味を解していた。 

 これが景虎と面と向かって話のできる最後の機会だと思い、尋ねずにはいられなかったのである。

 死を共にする者が、どのような人物かもっと深く知りたかった。

 景虎は黙したまま、再び盃を口にした。喉仏が静かに上下する。

 景虎は視線を天に浮かぶ上弦の月に向けた。そして、一つ溜息を吐くと、未練を残すまいとするように語り始めた。


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