第37話
その言葉は、僕には痛いほどわかる。
小学校で心に傷を負い不登校になったとき、担任の先生は何度も家庭訪問にきて励ましてくれたけど、頑張って登校しようとは思えなかった。
中学校で女子を前にすると固まって何も言えなくなる僕は、「キモイ」とか「邪魔」とか言われ貶められていたとき、見返すために努力しようと思えなかった。
暗闇の中を一人歩いているような状態で、何かに抗うなんて無理な話だ。
「僕は思うんだけど、手に入れたいものが頑張れば手の届くところにあると思えないと、誰だって頑張れないんじゃないかな。」
僕の言葉が胸に落ちないのだろう。カリンさんは下を向いて黙ったままだった。
「だから、僕はカリンさんにフラワー・フラグメントの仲間達と会ってほしい。それで、ここを自分の居場所にしたいって思えたら、少しだけでいいから頑張ってみてほしいな。」
返事のないまま、歩みを進めるうちに、ホームへと到着した。
大通りから一本入っただけでも、夜の道は暗く寂しい。
それでも、ホームの灯りや漏れ聞こえる楽しそうな声、漂うリンゴの甘い香りで、心に温かみが広がっていくのを感じた。
扉を開けると、すぐにニーナが駆けよってきた。
「おかえりにゃ!もうパイを焼き始めているにゃ。」
「遅くなってごめんね。突然なんだけど、みんなに紹介したい人がいるんだ。」
僕の声がリビングに響くと、みんなが手を止めて集まってきた。
「さあ、カリンさん入って。」
促され、オドオドしながらカリンさんがホームに足を踏み入れた。
「こちら、カリンさん。今日の夕食に招待したくて連れてきちゃったんだ。みんなに断りもしないでごめんね。」
「あの、突然お邪魔してすいません。迷惑でしたらすぐに帰りますので…。」
所在なさげにカリンさんが頭を下げた。
「何を言っておるのじゃ。ユウのお客さんなら歓迎なのじゃ。」
「そうですよ、ゆっくりしていってください。」
「君は運がいいな、今日の夕食は世界初のリンゴのパイだぞ。」
夕食がアップルパイというのは微妙な気もするけど…。
「背が高いにゃ!新しい仲間になるにゃ?」
「それについては夕食の後で話すつもりだから、まずはご馳走を楽しもうよ。」
「そうじゃな、もう待ちきれないのじゃ!」
トリスの視線が、漬けたリンゴを取り出した後の残り汁を捉えていた。
パイよりそっちが本命か…。
ワインに砂糖とリンゴ果汁か、甘そうだけど女子が好きそうではあるね。
「もう焼き上がるから、ユウさんとカリンさんは席に座って待っててくださいね。」
メルディの言葉に従い、僕はカリンさんが座れるように椅子を引いてあげると、申し訳なさそうにしつつも座ってくれた。
他の面々は、オーブンを開けてパイを取り出す瞬間を見逃すまいと、メルディの後ろに密集していた。
子供みたいで可愛いな。そこにアーシアさんが加わっているのが可笑しくて、つい笑ってしまった。
6等分に切り分けられたアップルパイが木皿に乗せられ、運ばれてくる。
見た目はアップルパイだな…。作り方は僕の想像によるものだから味が心配なんだよなぁ。
「うまそうにゃ!」
「いい香りなのじゃ!」
アーシアさんが深呼吸しているのは何なのだろう。初のデザートパイに緊張しているのかな…。
「それじゃあ、冷めないうちにいただきましょう。」
メルディの言葉で、みんながパイに手を伸ばす。
「これは…、素晴らしい。王に献上すれば褒美を賜るレベルでは…。」
「美味しいです!お酒とデザートは相性がいいんですね。」
「魚のパイが敗北したにゃ…。」
「ワインの風味が効いてて最高なのじゃ。」
みんな感動しているから、味に問題はなさそうだ。
僕も続いて口にしてみると、前世の記憶のアップルパイとは別物だとは思ったけど、これはこれで美味しい。
食感の残るワイン漬けのリンゴスライスがいいアクセントになっていて、ワインの風味も大人の味を演出している。それを追いかけるようにやってくるリンゴジャムの濃厚な甘さが、これがデザートであることをこれでもかと主張する。
これはお店をだしたら人気でるかもと思いつつ、隣に座るカリンさんを見ると目が合った。
「あの、本当に私もいただいていいのでしょうか?」
「勿論だよ。みんなで食べたほうが楽しいんだから遠慮しないで。」
迷いつつも手に取って、カリンさんがアップルパイを口にする。
「うまくできたと思うんですけど、どうですか?」
「美味しいです…。」
メルディに答えたカリンさんは、今にも泣きだしそうな顔なのに、笑みが混在していた。
「どれ、もったいないし、残り汁は我がいただくのじゃ。」
いい雰囲気だったのに、空気を読まずトリスがワイン漬けの瓶に手を伸ばす。
それを阻止するようにメルディも瓶を掴んだ。
「私も飲んでみたかったんです。独り占めはダメですよ!」
「アチシも気になっていたにゃ!」
アーシアさんも頷いている。
「うぅ、みんなでわけるのじゃ…。」
残り汁のワインは、正直なところ僕には甘すぎた。でも、みんなは甘いお酒に感動したようで、大盛り上がりだ。
「なんじゃ、これは!うますぎるのじゃ!」
「これは罪な味だな…。」
「こんなに美味しいお酒があるなんて…。絶対、また作りましょう!」
「魚の塩焼きを食べながら飲みたいにゃ!」
その組み合わせ、合わなさそうだけど…。
そんな賑やかな食卓を眺めながら、カリンさんの頬を涙が一筋流れ落ち、慌てて袖で拭っていた。




