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 泣き顔を見られたく無くて人気のない方向を選びながら歩き続けると、いつの間にか見覚えのない場所にいた。辺りを見回すと薄暗く、高い建物に囲まれている。正確な位置はわからないが、どうやら、どこかの校舎裏のようだ。ろくに景色も見ないまま歩いていたから、普段は来ない場所に来てしまったのだろう。


 ズビ、と鼻を鳴らしながら、ぐちゃぐちゃになってしまった顔面をハンカチで拭う。ハンカチを丁寧にたたみ直してポケットにしまうと、なんだか少しだけ、落ち着いた。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。部屋に帰らなくては。


 ロイの部屋にノートや文房具を置いてきてしまったことに気づいたけれど、今から取りに戻る気にはなれなかった。

 歩いていればとりあえず知っている場所に出るだろう、と思い、ふらふらと足を踏み出す。少し移動したところで、微かに人の声が聞こえてきた。何人かの男子生徒が会話をしているようだ。

 建物の角を曲がると、少し離れたところに五人でしゃがみ込んでいる男子生徒の姿が見えた。彼らは私が普段接している同級生に比べて体が大きく、少し雰囲気も違った。また、日ごろ学校内で見かける顔でもなかったので、上級生なのかもしれないと推測する。


 そこで、ふと思い出した。ロイに、「上級生が使う校舎の裏は、素行不良の生徒の溜まり場になっているから近づかないように」と言われていたことを。

 幸い、彼らはまだこちらに気づいていない様子だった。こっそり引き返そうと右足をわずかに後ろに引くと、その時、彼らのうちの一人が何気なくこちらに目線をやった。

 はっきりと目が合ってしまう。こうなっては引き返すのもまずい様に思えて、一瞬迷ってから、さりげなく通り過ぎようと足を踏み出した。


「『魅了持ち』?」


 呟くように発せられた言葉。ゆっくりと声の方を向くと、どこか面白がる様な瞳と視線がかち合う。


「だよね? その髪、目立つから。すぐわかる」


 うっすらとした笑みを浮かべながら指差したのは、アリシアのピンクブロンド。「魅了持ち」に多いとされている髪色だった。

 かの有名な、王子をたぶらかした平民の「魅了持ち」も桃色の髪をしていたと聞く。


「ええ、と……」


 どう答えていいか迷い口ごもると、彼らは目配せをしてゆっくりとこちらに歩いてきた。壁を背にして、アリシアを囲むように立った彼らと対峙すると、彼らの体格がいいこともあり、追い込まれた様な気持ちになる。自然と焦りが生まれた。

 なんとかすり抜けて逃げられないかと視線を彷徨わせるが、正面にいた男子生徒に腕を掴まれてしまい、完全に身動きができなくなってしまった。


「は……離してください」


 声が震える。何が起こっているのかうまく把握できなかったけれど、いい状況ではないことは確かだった。


「『離してください』なんて、言っちゃってさ」


 腕を掴んでいる男は、甲高い声でアリシアの口真似をしてみせた。そして、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。

 腕を振り解けないかと密かに試してみたが、相手の力が強くて少しも動かせない。


「魅了持ちなんだから、いつも男に媚びてんだろ? そんなにつれなくすんなよ。俺らとも、仲良くしようぜ」

「そんな……誤解です。私、媚びたりなんてしたことありません。お願いです、離して」


 萎縮してしまい掠れた声しか出ない中、それでも必死に訴えたけれど、彼らはまともに取り合おうとしなかった。相変わらず、馬鹿にした様な薄い笑みを浮かべながらこちらを見下ろしていた。

 一体、どうしてこんな目に遭うんだろう。何も悪いことなんてしていないはずなのに、この様に生まれたというそれだけで、他人に警戒され、蔑まれ、尊厳を傷つけられる。

 掴まれた腕が痛くて、再びじわりと涙が溢れた。


 今、全力で叫べば人は来てくれるのだろうか?


 ここまで来る途中、人とすれ違った記憶はない。とはいえ、泣きながら歩いていたので周囲の様子なんてろくに見てはいなかったのだ。もしかしたら気づかなかっただけで、近くに人がいる可能性もある。

 一か八か、と、思い切り息を吸い込む。鋭い悲鳴が喉から漏れる、まさにその時だった。


「何をしてるんですか」


 よく知っている声が聞こえ、息を止めた。


 ——助かった?


 ついさっきまでは顔を合わせたくなかった相手だけれど、こういう状況になってしまっては話が違う。縋るように、声が聞こえた方に顔を向けた。


「ロイくん……!」


 そこには、アリシアが頭に思い描いた通りの人物の姿があった。こちらに向かって早足で歩いてくる彼は、よく見ると額に汗が滲んでおり、息が切れていた。もしかして、アリシアを探してくれていたのだろうか。

 嬉しいと思うと同時に、不安だった。ロイが来てくれたとはいえ、アリシアを囲んでいる男子生徒は五人で、しかも全員彼よりも体格がいい。どうやってここから逃げ出すことができるだろう。

 案の定、男子生徒たちは彼の登場に怖気付くでもなく、余裕の笑みを浮かべていた。


「何をしているんですか、と聞いています。彼女を離してください」


 厳しい口調で再度繰り返す。

 アリシアの腕を掴んでいるリーダー格の生徒が、馬鹿にしたように笑った。


「何だ、ヒーロー気取りか? ああわかった、お前もこの女の魅了にやられたんだろう。俺らの邪魔をしないなら、交ぜてやってもいいぞ」

「ふざけるな」


 空気がびり、と震えた。

 アリシアは何か不穏なものを感じて体を硬くしたが、男子生徒たちは変わらずヘラヘラとしている。その姿を一瞥し、ロイがゆっくりと右手を掲げる。やがてその手がじわりと光を放ち始めた。

 ——魔法を使おうとしているのだ。


 それを見てようやく、男子生徒たちは慌てた様子を見せた。


「まさか、冗談だろ? こんなところで魔法を使うなんて」

「女子生徒に暴行しようとしておいて、学校のルールには従順なんですね。生憎ですが、あなた方がこのまま彼女に危害を加えるつもりであれば、それを防ぐために手段を選ぶつもりはありません」


 ここまで彼らが魔法に対して怯むのは、魔法の圧倒的な力に肉体で抵抗することは不可能だから。そして攻撃魔法は未熟な魔法使いが使用すればコントロール不能に陥るリスクが極めて高く、また、一度でも魔法の暴走による事故を起こせば、生涯にわたって魔法の使用を禁じられてしまうからだ。

 つまり、ロイがここで攻撃魔法を使えば、男子生徒たちは魔法で抵抗するというわけにもいかず、一方的に攻撃を受けるしかなくなる。その上、ロイの魔法の暴走に巻き込まれるリスクさえある。


「正気か……? 退学になるぞ、お前」

「ええ、そうなりたくはありません。ですから、さあ。彼女を離してください」


 ロイの右手は、いまや眩しいほどに白く光り輝いていた。アリシアは見たことのない魔法だったが、これを喰らえば無事では済まないだろうということは想像がついた。

 彼らも同じように考えたようで、先ほどまでの舐めた態度からは考えられないくらい素早くアリシアの腕を離し、「頭おかしいんじゃねえの」と言い捨てて、さっさと校舎裏の奥へと消えていった。

 その様子を見届けて、ようやくロイは右手を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。


「……助けてくれて、ありがとう。でも、よかったの? あんな風に魔法を使ったりして」

「あれはハッタリだよ。直撃しても目潰しにしかならない。アリシア、何もされなかった?」

「うん、腕を掴まれたくらい」


 アリシアが自分の腕を見ると、掴まれたところが赤くなっていた。それを見て、ロイが悔やむように目を伏せた。


「ごめん、僕がもっと早く追いかけていれば」

「ううん、平気」


 会話が途切れた。お互いに探り合うような沈黙の後、やがてロイが切り出した。


「一度、僕の部屋に戻らない?アリシアの荷物も置いたままだし」

「そうだね」


 アリシアは頷いた。

 それから、二人とも言葉を発することなく、黙って男子寮まで歩いた。

 ロイの部屋の前まで来ると、彼が扉を開いて「どうぞ」と中へ促す。


「お邪魔します」


 中に入り、私物を手に取ろうとしたが、そのまえにロイがこう切り出した。


「話がしたいんだ。少し、時間をもらえるかな」

「……うん」


 脈が速くなるのを感じた。

 きっとこれからずっと避け続けることはできない。どんなことを言われるとしても。

 アリシアが促されて椅子に腰掛けると、ロイは、静かに話し始めた。




 ――君の監視を命じられていたのは、事実だ。理事長は……父は、君が問題を起こして学校の評判が落ちることを恐れていた。だから僕に君を見張らせた。

 だけど、こんなことを言っても信じることは難しいだろうけど、僕は監視のために君のそばにいたわけじゃない。父からは、君に懐柔され取り込まれるリスクを避けるため、少し距離を開けるように言われていた。それでも君の友人として誰よりも近くにいたのは、僕自身の意思だ。


 多分、最初は君に対してある種の同類意識みたいなものがあったのかもしれない。僕は家の跡取りとして、幼いころから厳しい教育を受けてきた。自分の人生が自分以外のところで決められてしまう理不尽さを君の境遇に重ね合わせて、勝手に共感して、勝手に同情していたんだ。だから、「魅了持ち」としてこれから苦労するであろう君を助けたいと思った。


 でも、友人としてそばで過ごしているうちにわかった。君は僕みたいに環境を恨んで腐っているばかりじゃなく、目標を持って努力している。そんな君がとても眩しかった。


 覚えてるかな。僕がどうしてそんなに熱心に勉強するのかって聞いた時のこと。魔力がなければ差別されることもなかったのに、とは思わないのかって聞いた時のこと。無神経な質問だったと思う、ごめんね。

 でも君はこう答えたんだ、自分が今日常生活をおくれてるのは魔法のおかげなんだって。その首輪を開発した人間がいたからこそ自分は脅威と見做されず人間として生きていくことが許されるんだ、だから自分も魔法を学んで、より多くの人が、より人間らしく、生きていける仕組みを作りたいんだって。


 僕は……自分が恥ずかしかった。勝手に自分と重ねて哀れんでいたけど、君は僕が足元にも及ばないくらい立派な人だとわかったから。

 でも君は魔法に関しては初心者で、幼い頃から教育を受けていた僕の方が魔法の知識や技術においては上だ。

 だから、学園の勉強に関してなら君を支えられると思った。せめて君の役に立ちたかったんだ。

 僕は君を尊敬していた……一人の友人として。


 父に君の監視を命じられたことについて、君に話すべきかもしれないと何度も考えた。でも言えなかった。君に不信感を抱かれたり、距離を置かれたりするのが怖かったんだ。

 でも結局、このような形で君に伝わってしまって、傷つけてしまった。

 本当にごめん。




 彼は話す間、一度もアリシアの目を見なかった。やや俯き加減に地面の一点をじっと見つめ続けていた。

 もしも今、彼の瞳を覗くことができれば、そこに本心が映し出されているのではないか。そんな気がして彼の目線がこちらを向くのをしばらく待っていたけれど、決して目が合うことはなくて、アリシアは息を吐いた。


「……それじゃ、理事長に言われて嫌々仲良くしていたわけじゃないって思っていい? 私といて、少しでも楽しいと思ってくれてたって」


 ロイはほんの少し黙った後、目を伏せたままで口を開いた。


「僕は学園に入るまで、親しい友達ってあまりいなかったから。君と過ごすのは新鮮で……戸惑うことも多かったけど、楽しかった。……だからこそ関係性が壊れてしまうことが怖かったんだ」

「……そっか」


 これまでの日々すべてが虚構だったわけではないんだ。よかった。そう思って安堵した。

 彼の言葉に嘘があるようには感じなかった。今まで学園生活を共に過ごしてきた彼を信じたい気持ちもある。けれど、何か重要な部分に触れていないような違和感があった。

 少しだけ迷ってから、アリシアはこう口にした。


「自分を弄んでいたのか、って言ったのは?」


 弾かれたように彼は顔を上げた。

 ようやく正面から見ることができた彼の瞳は、焦りと羞恥と絶望が混じり合ったような色をしていた。


「……それは」


 固まったように動きを止めた後、一瞬目線を彷徨わせた。


「本気じゃなかったんだ、ただ拒まれたのが恥ずかしくて、混乱して。酷いことを言ってしまった。一方的に迫って拒絶されたら逆ギレして、最低だったと思う。言い訳のしようもない」


 彼はもう一度「本当にごめん」と呟くと、項垂れたように下を向いてしまった。

 重苦しい空気が漂う中、アリシアはごくりと唾を飲んだ。


「ロイくんは……私のことが好きなの?」


 口に出した瞬間顔がカッと熱くなり、心臓が痛いくらいに激しく暴れ出した。

 彼からどんな答えが返ってくるのか怖くて仕方ないのに、沈黙が続くことも苦しくてたまらない。どうにかなりそうだった。ああ、早く何か言って。目を閉じて祈るような数秒。


「……そうだよ」


 小さく呟くようなロイの声が耳に届いて、ぱちり、と目を開く。彼は顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。

 その表情を見た瞬間、自分から切り出した話にもかかわらずどうしてか頭が真っ白になってしまって、咄嗟に意味をなす言葉が出てこなかった。


「え、と」

「逆に、そうじゃなかったらなんだと思ったの? 今までの全部」


 その口調になんとなく恨めしげな響きを感じ取って、思わず目を泳がせた。


「そんなの。わかんないよ……昨日までは、そうなのかなって思ってたけど。でも、私のこと監視してるとか なんか、全部わからなくなっちゃったんだもん」


 アリシアがそう言うと、ロイは「ごめん」ともう一度謝った。


「好きだよ。君を傷つけて……どの口がって思われるかもしれないけど、でも、好きだ。ずっと前から」


 真っ赤な顔で、アリシアの方を見ながら言い切った彼と再び視線が絡まる。おそらくアリシアの顔も彼に負けず赤く染まっていただろう。

 彼のその瞳に真剣さを帯びた光と焦がれるような熱を見た瞬間、胸からぶわり、と温かいものが溢れてくるのを感じた。涙で目の前がじわりとぼやけ、言葉が思わず口から零れ出た。


「私も好きだよ……」


 涙で滲んだ視界の中、彼の顔もくしゃりと歪んで、まるで今にも泣き出しそうに見えた。

 何かをこらえるようなわずかに震える声で、こう聞いてきた。


「本当に? 君のことを傷つけたのに……それでも好きでいてくれる?」

「うん。それでも……やっぱり好き」


 そう答えた後、なぜだか急に不安でたまらなくなって、逆に聞き返した。


「ロイくんこそ、私は『魅了持ち』なのに、嫌じゃないの? 好きだって言ってくれたけど、その気持ちが魅了魔法の効果かもしれないって、不安になったりはしない?」

「そんなわけない」


 アリシアの問いかけに対して、ロイはそう言い切った。


「アリシアがつけているその首輪は、現代魔法技術の結晶だ。幾度もの実験で実証されている。その首輪をつけている限り、魅了魔法は発動しない」

「それは、そうなんだけど」

「ありえない」


 ロイはもう一度きっぱりと否定した。そして、こう続ける。


「もし、どうしてもアリシアが不安なら、魅了を防ぐ魔道具をつけてもいい」

「え、そんなものがあるの?」

「一応、ある。魅了持ちが魔道具をつけることが義務付けられているこの国ではほとんど需要がないものだけど」


 アリシアは何度か瞬きをした後、「……そこまでしなくていいよ」と小さく笑った。

 ロイは椅子から立ち上がると、アリシアの前に跪いた。そっと彼女の手を取り、熱を帯びた眼差しで見つめる。


「アリシア。君のことが、本当に好きだ……信じて欲しい」


 うん、ごめんね。そうつぶやいて、アリシアは彼の手を握り返す。

 部屋の窓から差し込んだ夕日が、二人を柔らかに照らし出す。このときの二人の様子をもしも誰かが見ていたなら、恋人同士のロマンチックな逢瀬だと思ったに違いない。思いが通じた恋人たちの、幸せな光景。

 実際、アリシアは幸せだった。彼は本当に自分を想っているのだと、そう感じられた。それは「魅了持ち」の彼女にとっては、願いようもなかった奇跡。


 だけど、とアリシアは思った。


 ──私が本当は、あなたが思うような健気で前向きな女の子なんかじゃないんだって、そう知っても、あなたはまだ私を好きでいてくれるのかな。


 生まれた環境を恨まず努力してるところを尊敬している、って。そう言ってくれたけど、自分の境遇を恨んだことなんて、数え切れないくらいある。私はなに一つ悪いことなんかしていないのに、どうしてこんな扱いを受けなきゃいけないのか、理不尽だって。

「魅了持ち」を理由にいじめてきた人たちに復讐して痛めつけてやりたいって思ったことさえある。「魅了」なんて使わなくても私は十分あなたたちを苦しめることができるんだって、思い知らせてやりたかった。


 私がこんな人間なんだって知ったらどう思われるだろう。失望されちゃうかな、やっぱり。


 手のひらから伝わる彼の体温を感じながら、そんなことをただぼんやりと考えていた。



 ◇



 あのことがあってから、一週間。二人の関係は、特に変化していなかった。……少なくとも、傍目には。


「あの上級生たちだけど、退学になりそうだ。過去にも色々と問題を起こしていたからね。これ以上放置している訳にもいかないと考えたんだろう」

「そう、なんだ」


 彼らは暴力的に振る舞うことに慣れている雰囲気だった。きっと、過去にも同じような被害に遭った生徒がいたのだろう。


「問題行動を起こす生徒の存在は、学園側としては隠しておきたかっただろうけど。だが卒業後に犯罪でも起こされればさらに大きな不祥事につながる可能性がある。それを避けたかったんだろう」


 ロイは呆れたようにため息をついた。

 学園を卒業して魔法を使う資格を得た元生徒が問題を起こせば、資格を与えた学園側にも責任が問われることになる。それは確かに学園としては是が非でも避けたい事態なのだろう。


「自分の評価、家の評判、それと事業が順調かどうか」


 ロイは指を一つずつ伸ばしながら、うんざりしたようにため息をついた。


「あの人にとって重要なのはそれだけだよ。生徒の安全とか、将来とか、そんなことは二の次なんだ」


 実際のところ、アリシアは理事長――ロイの父親と面識があるわけではない。だから父親にいい印象を持っていない彼の言葉がどこまで真実であるのかはわからなかった。けれど、彼の語る父親の人物像が実態とさほど離れていないのだろうということは、あの日聞いてしまった理事長室での会話から想像がついた。


 ロイの父親は周囲からの評判を非常に気にする人だ。おそらく自分の息子が「魅了持ち」と交際、まして結婚することなど認めないだろう。


 ――もしも、この重く忌まわしい首輪から解き放たれる時が来たなら。


 首元のひやりとした金属に手を触れながら、ぼんやりと夢想する。

 そうしたら、知らない人たちに好奇の目を向けられることもない。通りすがりに嫌な言葉をかけられたりもしない。

 堂々とロイと一緒にいられる。少なくとも、今よりは。


 ずっと「魅了持ち」だから恋愛なんかできないと思っていた。でも、彼はアリシアを望んでくれた。それならアリシアも、彼と共にある未来を簡単に諦めたくはなかった。


 いつか、きっと。




「どうかした?」


 ロイに声をかけられ、ふと我に返った。

 心ここに在らずな様子だった私が気に掛かったのだろう。


「ううん、なんでも」


 素早く周囲に誰もいないことを確認して、触れるだけの口付けをしてから反応をうかがうと、彼は頬を染めながらも困ったような顔をしていた。


「いつ、そんな誤魔化し方を覚えたの」

「……心配しないで。ただ、ずっとロイくんと一緒にいたいなって、そう思ってたの」


 そう言って笑いかけると、彼も困ったように微笑み返してくれる。


「それは……僕も同じ気持ちだよ」


 ずっと先の未来でも、隣にあなたの姿があってほしいから。だから……そのためには、これからいっぱい、いっぱい頑張らないと。

 魅了魔法なんて使えないけれど。でも、あなたを繋ぎ止めて置けるように。ずっとそばにいられるように。


 そんな決意と、少しの祈りを込めて、アリシアは彼の手をそっと握る。

 すると、その手が力強く握り返されたことに、苦しくなるほどの幸福感が胸を満たした。

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