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3

 あの日ロイの部屋でキスをしてから、二人はさして会話もないままにそそくさと解散することになった。

 翌日顔を合わせた時の、気恥ずかしさからくるほんの少しだけぎこちない雰囲気は、すぐに霧散した。元に戻ったというわけではなくて、以前よりも距離感が近く、親密になった。


 ふとした時に手を繋いできたり、髪に触れてきたりと、接触に躊躇しなくなった。元々距離が近いと感じることはあったが、それに輪をかけて近い。そして誤解のしようもないほどに、彼の仕草や表情が甘いのだ。そう、あの日から。


「アリシアの髪は、綺麗な桃色だね。珍しくて、目を惹きつけられる」


 熱を帯びた瞳を向けられ、そんな風に優しく髪に触れられると、あの時のことを思い出してドキドキしてしまう。極力、妙に意識した反応にならないように、普通に振る舞うようにしたいのに、それがすごく難しいことに感じる。

 質が悪いのは、ロイはそういうアリシアの反応を楽しんでいる節があることだ。

 彼の意外な意地悪さにむむっとなりながらも、そういう初めて見た一面を知るたびにどんどん惹かれていく自分を感じていた。  


「じゃあ実技の授業があるからそろそろいくね」

「うん、また後で」


 去っていく後ろ姿を見送り、しばしぼんやりと立ち尽くす。

 ここ最近、完全に惚けているというのか、どうしようもなく気が緩んだり、いろいろなことが疎かになっている自覚はあった。ついこの間も授業に数分遅刻してしまったし、課題に名前を書き忘れて突き返されたりもした。

「恋愛で身を持ち崩す」なんて、物語で読んだことはあっても本当にそんなことが起こりうるのかと疑問に思っていたくらいなのに、今では理解できてしまう。そんな自分が恐ろしい。


 だって――恋愛なんて、望むべくもないと思っていたのだ。

 魅了持ちである自分は誰かから恋愛感情としての好意を向けられることはないし、だから自分も他人を好きになることはない。そう思っていた。

 それなのにあんな風にキスをされて、優しく触れられて、甘い言葉を囁かれて。舞い上がらない方がおかしい。はっきりと言葉にはしていなくても、きっと彼はアリシアに恋愛的な好意を抱いていて、そしてそれはアリシアも。それが奇跡のように思えた。

 恋愛に溺れて自分が自分じゃなくなるのは恐ろしいことだけれど……今はまだもう少しだけ、この夢のような日々に浸っていたかった。




 この時、恋に浮かれたアリシアは忘れていたのだ。

 生涯、周囲に警戒され続ける存在としての、自分の立場を。これまで受けてきた、諸々の理不尽な扱いを。

 ――世間が「魅了持ち」に対して、どのような眼差しを向けているかということを。



 ◇



 その日の昼食は女友達と食べるつもりだったけれど、みんなで食堂に向かう途中、ふと提出物の締め切りが迫っていたことに気づいた。

 食堂に行く前に提出を済ませてしまおう。そう思い、みんなと一旦別れて職員室のすぐそばにあるレポートの提出場所に向かった。

 職員室に続く廊下を歩いている途中、校舎の中でも異質な雰囲気を放つ、大きく重厚な木の扉に差し掛かった。


 ――ここ、なんの部屋だっただろう?


 おそらく普段から前を通り過ぎているはずだが、あえて注目したことはなかった。扉の上に「理事長室」と表札がかかっていることに気づき、扉が立派なことに納得する。

 理事長は学園の経営を担うトップであり、教育の長である学園長と並ぶ学園の責任者。また、理事長が学園の出資者であり学園長の雇い主でもあるため、学園の最高権力者であるともいえる。

 他の企業の運営などもしているらしくあまり学校にいることは多くないが、理事長のための部屋であれば周囲から浮くほどに立派でも合点がいく。今は扉しか見えないが、部屋の中もさぞかし豪華なのだろう。


 通り過ぎようとしたその時、理事長室の中から声が聞こえてきた。珍しく中に人がいるようだ。

 特に気に留めずそのまま歩き去ろうとしたが、ふと、よく知っている声が聞こえた気がして、アリシアは扉の方を向いた。すると、少しだけ隙間が空いていることに気づく。

 閉め忘れたのだろうか思いながら、何の気なしに扉に近づく。

 その瞬間、アリシアは中から聞こえてきた言葉によってぴたりと動きを止めた。


「どうなんだ、あの魅了持ちは」


 どこか剣呑な印象を受ける、中年男性の低い声。アリシアは理事長の声など覚えてはいなかったが、その声から感じる高い地位にある人特有の威圧感から、彼がこの部屋の主人であろうと直感した。

「魅了持ち」と、声の主はそう言った。この学校で魅了持ちは自分しかいない。

 つまり、ここ理事長室で、アリシアについてなんらかの話がされているのだろう。しかし、一体なんの話なのか予想もつかなかった。

 そして、次に聞こえてきた若い男の声に、アリシアの心臓は嫌な音を立てる。


「特に問題は起こしていませんし、変わった様子もありません。以前報告した通りです」


 ロイの声だった。だが普段アリシアと話す時とは違う、事務的かつ冷たい口調。それはアリシアの知らない彼の姿だった。

 盗み聞きなどすべきではないのに、足がその場に張り付いたように動かなかった。聞きたくない。そう思いながらも、アリシアの耳は二人の会話を勝手に捉えてしまう。


「随分と、親密にしていると聞いているが」

「あなたが監視のためそばにいるよう命じたんでしょう。命令を遂行しているだけの僕になんの文句があるんです」


 彼らが何について、どう話しているのか。この会話にはどういう意味があるのか。理解できないし、理解したくもなかった。頭の中が真っ白に靄がかったようでうまく思考できず、ただ、どんどんと手足の先が冷たくなっていく。


「命令を遂行しているだけ、ね。本当にそうならいいが」

「それ以外に何があるというんです」

「ふん。お前があの魅了持ちに籠絡されたという可能性もある」


「魅了持ち」と再び呼ばれ、心臓がドクリ、と嫌な跳ね方をする。

 男は理事長の言葉を冷たく鼻で笑った。


「はっ、そんなわけがないでしょう。あなたの指示さえなければ近づきもしませんよ。そもそも魅了魔法は封じられているというのに、どこに好意を抱く要素があるというんです?」


 それを聞いた男は「そうか」と興味なさげに答えた。


「それならいい。今後も監視は続けるように」


 会話が終わりそうな気配を察し、アリシアはハッとした。自分がここにいることに気づかれてはまずい。震える足で逃げるようにその場を立ち去った。


「あ、課題……」

 思わず、職員室とは反対方向に来てしまった。今から課題を出しに行くとロイと鉢合わせてしまうかもしれない。そう思い、アリシアは直接食堂に向かうことに決めた。




 ぼんやりと宙を眺めながら、スプーンを機械的に口に運ぶ。先ほどの衝撃のせいか、料理の味がしない。


「アリシア、こぼれてるこぼれてる!」


 昼食を一緒に食べていた友達に指摘されて、料理が全く口に入っていなかったことに気づく。

 そうか、だから味がしなかったのか。料理がほとんど残ったお皿を見つめる。そして今度こそ確実に料理を食べ進めていった。


 ――なんだか、考えすぎて疲れてしまった。授業が終わったらすぐに寝てしまおう。寝付けるかわからないけれど。

 そこまで考えて、今日は放課後ロイの部屋に行く約束をしていたのを思い出す。つまり、ロイに会わなくてはいけないのだ。そう気づいて愕然とした。


 魅了持ち。監視。指示。


 昼食を食べ終わって友達と別れた後も、不快な言葉達が頭を埋め尽くして、どうにも整理がつけられなかった。

 ただ、先ほど聞いた会話と、これまでロイと過ごした記憶を交互に反芻する中で、ふと思い出したことがあった。


 以前、アリシアが男子生徒と話していた時のことだ。ロイがさりげなく割り込んできて、会話を止めてしまった。

 あの時は意味が分からず、嫉妬したのだと後から打ち明けられて浮かれていた。馬鹿みたいだ。

 ロイはアリシアが魅了をつかわないか警戒し、監視していた。だから男子生徒を守ろうとして、アリシアから遠ざけたのだろう。思い返せば、アリシアが女友達を作った時だって、彼はいい顔をしていなかった。

 どうして今まで疑いもしなかったのだろう? こんなにわかりやすかったのに、どうして。


 授業にはまるで身が入らなかったけれど、アリシアの気持ちとは関係無く、無情にも時間は過ぎていく。そして、やがて授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。

 教師が重そうな教材を携えてゆっくりと教室から立ち去ると、それに続くように生徒達もずらずらと列をなして廊下への扉をくぐってゆく。

 アリシアはぼんやりと、その光景を眺めていた。


 そんな中、人の流れとは逆にアリシアの方へと向かってくる人影に気づき、心臓が嫌な音を立てた。彼の姿を見てこんな感情になるなんて、少し前までは想像もできなかった。だって、今までだったら、その艶やかな金色の髪が視界に入っただけで、心がふわりと浮き上がっていたに違いないのに。


 アリシアと目が合った瞬間、ロイは眩しいほどのキラキラした笑みを浮かべ、右手を軽く上げて見せた。


「アリシア。迎えに来たよ」


 アリシアも笑い返し、手を振って見せる。

 ぎこちない笑みであるように自分では感じたけれど、彼は気にならなかったようで、機嫌良さげにしていた。


「こっちの授業は早く終わったんだ」

「……そっか、ありがとう」

「待ち合わせとかしてなかったなと思って。行き違いになったら困るから」


 ロイは微笑んだ。アリシアに会えたことがとても嬉しい、とでも言うように。

 でもさっき聞いてしまった会話が事実なら……この表情も、アリシアを監視するための演技に過ぎないと言うのだろうか。

 信じられない。そう思いながらも、アリシアは、なんだか、心臓の奥が冷えるような心地がした。



 ◇



 ロイの部屋には本が大量にあるけれど、それを除くと基本的にものは多くなく、かつ整頓されていて、小物類で雑然としたアリシアの部屋とは対照的だった。

 これまでに何度か訪れているけれど、最初に入った時は、この場所で彼が普段生活しているのだと考えるだけでドキドキして仕方なかったのを覚えている。


 今もアリシアの心臓は大きく音を立てていたが、過去とは原因が全く異なることは明白だった。


「ねえ、2人で勉強するなら図書館でもいいんじゃない?わざわざ部屋でしなくても」


 ロイ相手ににどのような態度をとっていいのか分からず、どうしようもなく息が詰まる。密室で二人きりと言うのは辛かった。

 2人で過ごすことには変わりなくても、他の人もいる場所であれば少しはマシのような気がした。

 けれど、アリシアの意見はさらりと却下されてしまう。


「図書館は遊んでいる人たちもいてうるさいし、集中できない。部屋の方が静かでいいよ」

「う、うん……」

「それに」


 ロイは、さらりとアリシアの髪を撫でた。


「……2人きりになりたかったし」


 耳元でささやかれ、一瞬ですっと体温が下がったような気がした。思わず身を引いてから恐る恐る見上げると、ロイはアリシアが自分から離れたことに不満そうな顔していた。

 とっさに「ごめん、びっくりしちゃって」と取り繕うも、ロイは納得していないようだった。アリシアの本心を探るように目を眇める。普段穏やかな彼のそうした表情は妙な威圧感があって、アリシアは息をのんだ。


「アリシア。どうして、僕のことを拒絶するの」


 拒絶、なんて。アリシアは一瞬言葉を失った。


「……そんなつもりじゃ。ただ、こう言うのって、好きな人同士がすることだから」

「どういうこと」


 ロイの今まで聞いたことがないような低い声に、アリシアはびくりと体を震わせた。いつも一緒にいて、よく知っていたはずの彼のことが、とても怖かった。今すぐにでも逃げ出したいような気持ちになる。

 彼はアリシアを正面から見据えて、責めるように問うた。


「アリシアは、僕のことが好きじゃなかったの。つまり、今まで僕のことを弄んでいたってこと?」


 アリシアは、理不尽な言い分に茫然とした。


 ——弄ぶだなんて! どうしてそんな、そんな……。


 その時、彼と理事長との会話が脳裏に蘇った。

 彼は、こう言っていた。理事長の命令がなければ、アリシアになんて近づかない。アリシアに好意を抱く要素なんてない。

 確かに、そう言っていたのだ。


「……私のことを好きじゃなかったのは、あなたの方でしょ」


 俯いたアリシアの口から、自然とそんな言葉がこぼれた。


「理事長に言われて、監視のために一緒に居ただけのくせに。どうしてあなたの方がそんな……傷ついたみたいな顔するの。おかしいよ」


 監視、と。アリシアがそう口にした瞬間、彼の目が大きく見開かれた。

 最初、そこにあるのは純粋な驚きだった。そして、じわじわと焦りと絶望の表情に変わっていく。

 まさか、アリシアに知られているなんて思いもしなかったのだろう。実際、今日ロイと理事長の会話を偶然聞くまで、アリシアは監視されているなんて微塵も察することなく、彼のことを馬鹿みたいに信用していたのだ。


「どうして……」


 ロイが呆然としたように呟く。さっきまでアリシアをを責め立てていたのが嘘みたいだった。

 言い訳もしないんだ。じわりと目の奥が熱くなり、それを隠すように顔を背けた。


「さっき……理事長と話してたでしょ。聞こえちゃった、から」

「ち、違う……」

「何が違うの。違わないじゃない! 何も! もう放っておいて……友達のふりなんてしなくたって、監視くらいできるでしょう!」


 アリシアはそう言い捨てると、立ち上がって部屋から飛び出した。きっと、声が震えていることにロイも気付いただろう。みっともない。

 早く彼の部屋からから離れたくて駆け出すと、堪えていた涙がぶわりと溢れ出した。


 ──今までそばにいてくれたのも、優しくしてくれたのも全部、私を懐柔して監視をしやすくするためだったんだ。


 だけど、アリシアが魅了魔法を望んだわけでもないのに。偶然に生まれつき備わっていただけなのに、悪い事なんて何もしていないのに。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか。


 ──魅了魔法が悪だというなら、自分の目的のために平気で人の気持ちを弄ぶ、あなたは一体なんなの。

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