学友との出会い
どこから現れたのか。
なぜクラゲなのか。
というか宙を飛ぶこの物体は本当にクラゲなのか。
ナマリの頭のなかは疑問符だらけ。
聞きたいことが渋滞しすぎているナマリに、シキが「うーん、と」と首をひねる。
「天妖は、平たく言うと天気に干渉できるアヤカシっす。珍しいんすよ。そんで、このタクトは契約者と天妖を繋ぐものっすね。修行を積めば、意のままに天妖を操れる優れものっす!」
聞きたいことはまだまだあった。何から聞くべきか、とナマリが悩んではいるうちに、ふと気づく。
「なんか、急に雲が増えてきたな。天鬼の動きもおかしい……」
「んん。ほんとっすね。東側の空は雲一つない快晴なのに、西の空は真っ黒っす」
ナマリたちの頭上にはうすい雲がかかっていた。
陽射しをやわらげる程度の雲だ。
それが、みるみるうちに快晴と黒雲に飲み込まれていく。
同時に黒雲が発生した西の空めがけて数多の天鬼が飛ぶ。
西の空に吸い寄せられるように、あるいは東の空から逃れるように。
おかげで空は二つの天気でくっきりと分かれていた。
その異常さに、ナマリの背筋がぞっとする。
「こんなに急激に天気が変わるなんて……まさか、村で起きたようなことがまた!?」
「あー、はいはい。大丈夫ですよ~。落ち着いて見ていてください。ほら」
慌ててニビとカスミのいるアベ邸へ戻ろうとするナマリの肩を、アベがそっと叩いた。
そしてその手で示した先の鳥居に、明るい髪色をした青年が姿を現す。
「わあ、町中にこんなところがあるとはね!」
学び舎を見上げて素直に驚いてみせる青年は、ナマリよりいくらか年上だろう。
立派な仕立ての襟付きシャツと袴をはいていることから、ずいぶんと裕福な暮らしをしているだろうことも見て撮れる。
山向こうの国の装いであるシャツを着こなした彼は爽やかな笑顔を浮かべて、大股でナマリたちのそばへ。
「君たち、この学校の人かな?」
言いながら青年はナマリの正面に立った。
「ああ、まあ。とは言っても今入学が決まったばかりだから、関係者の一歩手前というかなんというか」
「そうか! 君もか!」
ぱああ、と表情を明るくした青年が鉛に顔を寄せる。
「僕はハレワタリ=カイトだよ。家に気象指揮官を育てる学び舎の案内が届いてね。入学のための適正試験があるというから受けにきたのだけど」
距離感はやや近いが、人懐こい笑顔に悪い気はしない。
曇りのない笑顔がまるで太陽みたいなやつだな――そう思いながら、ナマリも名乗る。
「ナマリだ。試験を受けるまでも無さそうだけどな。あんたの頭上は驚くほどの快晴だ」
晴れ男というやつなのだろう。
見るからに強い能力を持つであろう彼は帝都でも有名らしい。
遠巻きに見ている貫頭衣の人々がさざめくように話す声が聞こえてくる。
「ハレワタリ家のご嫡男さまだ」
「帝国随一の弓の腕を持つハレワタリ将軍のご子息が、この新しい学び舎にご入学を?」
どうやらずいぶんと立派な家柄らしい。
気づいて、ナマリはすこし考える。
「どうやらあんたは偉い人らしい。ええと、俺はすみに寄って頭を下げていたほうがいいだろうか?」
国の端にある村へは、身分のある者など来ない。
そんな相手への対応をナマリはよく知らないため、老人たちから聞きかじった貴族への礼儀を思い出しつつ問うたのだが。
「はは! 構わないよ。むしろ改められては困ってしまう。君と僕は学友になるのだろうから」
「そうそう。できたばかりの学び舎の、学生第一号たちになるんだから、仲良くしてね~」
ひょっこり顔を出したアベが言って、懐から取りだした新たなタクトをカイトの手に乗せた。
そしてナマリの時と同様、呪文めいた言葉をカイトに復唱させると。
「うわ!?」
「まぶしっす!」
目を開けていられないほどの光がタクトから放たれ、あたりを照らす。
驚き、とっさに身を伏せたナマリの肩をクラゲがつつく。
ナマリが顔をあげるのと同じくして、身を庇っていたカイトも光を見上げた。
強い光だった。
快晴のもとでなお強く輝く光でありながら、見つめる人の目を焼くことはない。
太陽のように煌々と輝きながらも熱は持たず、ただひたすらに明るい光のその真ん中に、ひときわ輝く球体があった。
眩い光の球はまるで卵のようで、カイトの見つめる前でパリリと音を立ててひび割れる。
もうこれ以上は無いだろうと思えるほど強い光の球の割れ目から、さらなる光をこぼしながら現れたのは。
「……カラス?」
「くぁ!」
カイトの手のなかに降り立ち、元気に鳴いたのは純白のカラス。
羽ばたきのごとにかすかな燐光をこぼす翼は一点のシミもなく、まろやかな曲線を描くクチバシは最上級の陶器のごときしとやかな白。
触れるのをためらうほどに白一色で形作られた容姿のなかで、濃い赤色の瞳だけが特別な宝玉のように煌めいている。
「海産物じゃないのか」
「白いカラスなんて珍しいね」
ナマリとカイトがのんきに言う横で、シキが叫んだ。
「ヤタガラスっす!!!」
狐の耳を震わせぱっちりした目を大きく見開いた彼女の様子に、ナマリとカイトは顔を見合わせる。
「珍しいカラスなのかな? 確かに、白いのは初めて見るけど」
「どうだろう、生まれつき色を持たないカラスもいるとは聞いたことあるけど。でもまあ、少なくとも俺の時より光が強かったのはわかる」
疑問を口にするカイトも、それに応えるナマリも落ち着いたものだ。
「なななな、なんでそんなにのんびりしてるんすか!」
信じられない! とばかりに声を震わせたシキは、助けを求めるかのようにアベに向けて叫んだ。
どういうことっすか、と言いたげな視線を受けてアベは困ったように笑う。
「うーん、白いだけで普通のカラスと思われてるんじゃないですかねえ、これは」
「普通の……カラス!? いやいやいやいや! よぅく見てくださいっす、脚の数が違うっすよ!?」
シキの訴えに、ナマリとカイトは白いカラスの身体に目をやり「ああ」と納得の声を上げた。
「ほんとだ脚が多い」
「三本あるね」
のほほんと頷き合う二人のひどく軽い反応に、シキはいよいよ頬に朱をのぼらせる。
「それだけっすか! 言うことはそれだけっすか!? 三本脚のカラスと言えば神話で有名な、かのヤタガラスっす。神代のころ、あのアマテラスオオミカミの御遣いとして道案内を務めたのは帝国民ならどなたでもご存知のはずっすよねえ!?」
「あー、アマテラスの名は知っているよ」
「お日様の神さまだったっけ?」
「そうそう。世界を照らす神さまだよね」
神と聞いてもなおゆるい反応のナマリとカイトを見限って、シキはぐりんとアベに顔を向けた。
「ねえ、ご主人!!」
「まあねえ。彼の力が強いことは噂に聞いていたけど、ここまでとは驚いたねえ」
アベが、なかばシキの勢いに押されるように同意する。
「ですよねえ!なのにこの反応! どう思われるっすか!」
「うーん。そこはほら、若者の神代ばなれが叫ばれて久しいからね~。仕方のないことかもしれないよ」
一方、若者たちは『神話』と聞いてなんとなく有難みを感じていた。
「そんなにすごいのか」
「くぁ!」
ナマリが白いカラスを見つめれば、カラスのほうでもまんざらでもなさそうに胸を張る。
「なんだかうれしいな。俺のところに来てくれてありがとう」
言って、カイトが喉元を指でくすぐるとカラスはうれしげに目を細めた。
ナマリはカイトを真似てクラゲを撫でたが、ぷるりと傘を震わせる動きが喜びからなのか不機嫌からなのか、判別はつかない。
神話か……俺の相棒もそんなすごい奴だったら良いのに――羨望と期待に、鉛は黙ってクラゲを撫で続ける。
ふれあい広場のようなまったりとした雰囲気が広がりかけたとき。ぽつ、と頬に雨粒がひとつ。
「雨?」
見上げれば、真上に広がる快晴にじわじわと黒雲が迫っていた。
ということはーー。
鳥居の向こうに視線をやったナマリだったが、にぎやかな街並みが広がるばかりで人の姿は見当たらない。
いや、雨が降っていた。
先ほどまで晴れていたはずの地面はすっかり濡れ、色を変えている。
にぎやかだと感じた街並みも、突然の雨に道を急ぐ人々がざわめいているのだ。
不思議なことに鳥居のこちら側には降っていない。
ときおり、風に流された雨粒が落ちてくる程度。
近づいてるもうひとりは、雨を降らせる能力者なのだなーー勘付いたナマリの耳がふと、雨とは違う音をひろう。
「しくしくしく」
効果音が物理的に聞こえて来る。
「しくしく、しくしくしく……」
いかにも悲しげに泣いていますよ、と言わんばかりの効果音は、女性の声で発せられていた。
それも、恐らく若い女性。
気づいて、ナマリがはじめに思ったのは「関わり合いになると面倒くさそうだ」ということ。
たぶん、雨女が泣いているのだろう。
けれど真っ先に駆けつけるのはなんだか面倒に巻き込まれそうである。聞こえなかったふりをしようか、とナマリが思ったとき。
「誰か泣いてるの?」
耳聡く聞きつけたカイトが、カラスとの戯れをやめてナマリの横に並ぶ。
彼の誰何の声は、見えない女性にも聞こえたのだろう。
「うっ! ぐすっ」
若い女性の声はいよいよはっきりと、わたし涙に暮れていますと主張する。
「カイト、関わり合いにならないほうが」
良いんじゃないか。ナマリが言うよりはやく、カイトはさっそうと歩き出す。
学び舎と外界との境目に辿り着いた彼は、濡れるのも構わず迷いなく鳥居をくぐる。
「濡れるよ」
仕方なく駆け寄ったナマリの頭上にクラゲがふわりと着いてきた。
おかげで雨粒から守られたナマリは、クラゲに視線を向ける。
言葉はなくとも、考えていることが伝わったのか。
クラゲがむにょりと体を広げ、ナマリとカイトの上で傘のように広がった。
「ありがとう、ナマリくん。そこの君も!」
にこりと笑ってお礼を口にしたカイトが、鳥居の影に声をかける。
「そんなところに居たら濡れてしまう。こっちへおいでよ」