アマツチ学園
いちゃつく夫婦を置いて、シキに弟妹の眠る部屋に案内されたナマリはぐっすりと眠った。
自覚のない疲労がたまっていたのだろう。
夢も見ずにぐっすりと寝て、翌朝。
ナマリは真新しい着物を身につけて、アベの屋敷の庭に立っていた。これもまたムギが用意してくれていた物らしい。
気象指揮官の適性を調べるため、学び舎に向かうといったら「うちのシキが案内するのにみすぼらしい格好で行かれたら困ります」と差し出してきたのだ。
アベがこっそり「十代なかばの男の子と聞いて、悩んでいたんですよ。難しい年頃だから気に入らないと着てくれないのでは、なんて」とささやくものだから、こんな立派なもの受け取れないとも言えずに受け取ってしまった。
着飾ったナマリが出かけると察したのだろう。
いっしょに行くと駄々をこねていたニビとカスミは、屋敷に用意されていた玩具であっさり「るすばんする!」「まってる~」と手を振った。
ムギがせっせと探し集めたものだと聞いて、ますます頭があがらない。
などとゆったり構えていられたのは、アベが「お先に学び舎へ行っています。後ほど会いましょ~」と出かけるたあと。ムギと手を繋いだ双子に見送られるまで。
帝都の中にあるという学び舎へ向かうと庭に連れられたナマリは、屋敷の塀に向かって建てられた赤い鳥居を前に立ち尽くす。
「鳥居というのは境界を繋ぐものなんっす」
「はあ」
「鳥居に限らず玄関やトンネルをくぐるとか橋を渡る、何なら道に引いた線を乗り越えるってのも境界を越える行為ってことで、力のある秘術士なら移動手段に使えるんっすよ」
「はあ」
説明とも言えないような説明を聞かされて、ナマリか返せるのは気の抜けた返事くらいのもの。
頭のなかには疑問符が増えるばかり。
けれども、たしかに昨日も謎の鳥居をぬぐりぬけてアベ邸へやってきた。
ならば出ていくにも鳥居を通るのが道理なのかもしれない。
じゃあ屋敷にあるあの立派な門はなんなのだろうーーそんな疑問はそっと胸にしまって、ナマリはシキの背に続いて鳥居をくぐる。
くぐったと思った瞬間には、ナマリは帝都の雑踏のなかにいた。
振り向けばアベ邸はすでになく、代わりに鳥居の向こうに広がるのは朝の帝都のにぎわい。
ナマリが歩いたのはほんの一歩。
境界を繋ぐとはこういうことか――驚きを通り越していっそ穏やかな気持ちになったナマリは、自身の目を信じて騒ぐことなく現実を受け入れた。
鳥居の先にあったのは、煉瓦造りの建物。
木造が多い帝都のなかでとびきり背が高く、目立っている。
鳥居から続く参道がまっすぐ続く先にあることから、きっとあれが学び舎なのだろう。
ぱらぱらと見受けられる白い服をまとった者たちは、学生だろうか。
「驚いてますか? 驚いてるっすよね! あれなるがナマリさんがこれから入学する予定の、アマツチ学園っす!」
「ああ、驚いた。ずいぶんと背が高い建物なのだな……」
敷地はアベの屋敷より狭いくらいだが、とにかく建物が高い。
縦に並ぶ窓を数えると、その数五つ。
窓の数がそのまま階数ならば、五階建てということになる。
ナマリは馬に乗った覚えもなければ道を歩いた記憶もない。
ただ一歩、鳥居をくぐっただけで、静かな屋敷の庭からにぎわいを見せる街頭に立っているのである。
納得のいかない説明であっても「そういうものなのだ」とナマリは理解することにした。
いちいち考えていては、頭がついていかないと諦めたということでもある。
ただただ目の前の建物の高さに驚いて見上げていると、すぐそばで笑いさざめく声がした。
「いやだな、あんなに学び舎をまじまじと見上げて。ずいぶん田舎から来た子なんだろうね」
「着ているものこそ立派だけれど髪はボサボサだし、きっとどこかの田舎の小金持ちの子だろうよ」
くすくすくす。
笑い合う声に目を向ければ、そこにはナマリとそう歳の変わらない少年三人組がいる。
そろって身につけているのは頭巾のついた白い貫頭衣。
今はおろしている頭巾をかぶれば、てるてる坊主によく似ているだろうーーそんなことを思いながらナマリが彼らを眺めていると。
「ねえ君」
少年たちが寄ってきた。
「悪いことは言わないからさ、現実を突きつけられて泣く前に家に帰りなよ」
「現実?」
何のことだろう。
首をかしげたナマリに、もうひとりの少年がくすりと笑う。いやな笑い方だ。
「おおかた君も田舎で晴れ男か雨男なんて言われて、帝都の学び舎に入れるんじゃないかと思って来たんだろうけど」
「お前みたいなやつはどっさり来たけどな。適性なしと言われて泣いて帰るやつもどっさりいたさ!」
残りの二人がナマリを囲むように言ってくる。
シキがむむむと頬をふくれさせて眉を寄せているのをそっと背後にかばい、ナマリは三人を見回した。
「つまりここに残っているあんたたちは、適性があったということだ。すごいな。参考までに、どんな適性があるのか教えてもらえないか」
田舎で生まれ育ったのは事実。
適性が無い可能性があるのも事実。
泣いて帰る場所はもう無いけれど、それを伝える必要はないだろう。
ただこれから適性を調べるにあたって、知っておいた方が良いことがあるなら聞きたいと思ったのだ。
それだけの意図であったのだが、なぜか三人組は顔色を変えた。
「お、まえ! 生意気だぞ!」
「人を馬鹿にして……!」
「わざわざそんなことを聞いてくるなんて。性格が悪い!」
口々にさわぐ彼らに、ナマリはふたたび首をかしげてしまう。
そんなナマリの着物のたもとを引いてシキがささやく。
「あの、あの彼らが着てる服はですね。適性がなくはない人用の服なんす」
「?」
「えっと、なんのお天気に関与できるかわからないけれど、やる気はじゅうぶんある方達でして」
「それは、つまり?」
「……つまり、ええと学生、の候補者さんです」
適性を確かめたうえでの、学生の候補者。
「それはつまり、学生じゃないってことか」
そう言った瞬間、かっと三人組の顔が赤くなるのが見えて、それでようやくナマリは彼らの立ち位置が望ましくないものであることに気がついた。
彼らがそろってナマリに詰め寄ろうとした、その時。
「あらららら~。正直は美徳ですけどね~。歯に衣着せぬ、ではいらぬいさかいを起こしますよう」
三人組とナマリとの間にふわりと現れたのは、アベだった。
「アベ……先生」
「はいはい。先生ですよ~。先生が仲裁しても良いんですけど、別の方法もあるんです。はい」
アベが取り出したのは細長い木の棒だ。
ちょうどナマリのひじから指先くらいの長さのその棒を胸の前に差し出されて、ナマリがとっさに受け取ると。
「ナマリ君、僕の真似をして」
「真似?」
問いには答えずアベが口を開く。
「『託祈制天統棍に名を刻む』」
「託祈制天統棍に名を刻む」
訳がわからないままナマリは復唱した。そうすべきだと、アベの目が言っていたから。
「『我が名はナマリ』」
「我が名はナマリ」
「『天を統べる者なり!』」
「天を統べる者なり」
鉛が言い終えた瞬間、棒から閃光が生まれる。
なんだこれは、と驚くナマリの顔の前で、放たれた閃光がきゅるきゅると渦を描く。
そして光の中から生まれたのは、一匹のクラゲ。
灰色がかかった半透明の体に斑点模様がぽつぽつと描かれた、ちいさなクラゲだ。
ナマリの顔の前に浮かび上がったクラゲは、傘を収縮させて棒の周りをくるくる回る。
「そんな、あんな田舎者が……!」
「タクトに認められるなんて」
「嘘だ、うそだぁ!」
騒ぐ三人組にも、どよめく周囲の貫頭衣を着た者たちにも構う余裕もないほど驚くナマリの前で、アベがにっこりうれしそうに笑った。
「やあやあやあ! さすがはうちのシキが見込んだだけのことはあるね~。おめでとうナマリくん! 君はタクトに認められた!」
両腕を広げ芝居がかったしぐさで言うアベに、ナマリはぱちくり。
「タクト?」
「そうっす。その棒のことを正式には託祈制天統棍と呼ぶんすけど」
「たくき……?」
「長いのでタクトって呼んでるっす!」
正式名称が覚えられそうにない。
混乱のさなかにいるナマリにわかるのはそれだけだ。
呆然とするばかりのナマリのそば、クラゲがふよよんと半透明の体を揺らして横切った。