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秘術士とその奥方

「秘術士……? アベ、さま?」

「はいはい、アベですよ~。アベ先生って呼んでくださーい」


 ひらりひらりと手のひらを振ってみせる男、アベは控えめに言って不審だ。

 見慣れない白い狩衣、年齢不詳の顔は青年にも壮年にも見える。

 そして『先生』呼びをねだってくるのはなぜなのか。


 そもそも秘術士とは何なのか。村では見たことがない。

 幻獣民という話に聞いたことしかない者や、紙を生き物のように動かす使役術を扱う者を指すのだろうか。


 わからないことと言えば、そもそもナマリは鳥居の道を歩いていたはずなのに、いつの間にこの屋敷に出たのだろう。

 それ以前にシキたちとはぐれて鳥居の前に立っていたのも、瞬きの間に起きた不可思議だ。


 鳥居をくぐっている間はずっと淡く陽が射していたはずなのに、いつの間に暮れてしまったのかもわからない。


 不審なことばかりだが、まずは礼を述べるべきだろうと、ナマリは姿勢を正す。


「俺は国のはずれの村のナマリと言います。土砂で村がつぶされてしまったのをシキや使役札たちに助けられました。どちらもあなたが主人と聞いています。この度は、ありがとうございました」


 深く、深く頭が下がる。

 下げようと思って下げたわけではない。

 言いながら、助けられた様々なことを思いだすうちに自然とナマリの頭は深く下がっていた。


 頭を下げ続けるナマリの肩へ、そっと置かれたのは暖かい手。

 うながされるままに顔をあげると、笑顔のアベがナマリの頭をなでてくる。

 

「あの……?」

「どういたしまして。ですが、あなたは怒って良いんですよ」


 ぐりぐりわしゃわしゃ。遠慮のないなでっぷりに髪の毛を乱され、ナマリは戸惑うばかり。

 どういう意味か、と問うより前にアベが続ける。


「助けが間に合わなかったことに腹を立てて良いのです。なぜ皆を助けてくれなかったのかと、怒りをぶつけて良いのですよ」


 やさしい声だった。

 あたたかい手とやさしい声の主がどんな顔をして言っているのだろうとナマリが顔をあげれば、アベはやわらかく微笑んでいる。

 けれど、その瞳が強い後悔を抱いているように見えた。


 だからナマリにはわかった。

 この人は悪人じゃない。ずいぶんと不審ではあるけれど、きっと大丈夫。

 なにより、ここまで連れてきてくれたシキが主人と慕う相手なのだから。


「村が無くなったのは、ひどい風雨を連れてきた天鬼のせいです」

「でも、僕は天鬼が荒れると予言を得ていて」


 なおも責任を負おうとするアベに、ナマリは首を横に振った。


「あの天鬼も今までに見たことがないくらい荒れていた。あんなの、わかっていても止めようがない」


 目の前で見たのだからわかる。

 あれは正しく天災。

 もしもシキが間に合っていたとして、村を捨てて逃げなければ助からなかっただろう。

 そして天鬼をぼんやりとしか見ることのできない村人たちが、差し迫る危機を正しく受け止められたかといえば、きっとそれは無理だったはずだ。


「ここへ来るまでの道中、何度も考えました。でも、何度考えても村のみんなを助けることはできなかった。よそから来たシキが言っても、信じてもらうまでに時間がかかりすぎてた。村に住んでる俺が言っても、子どもの話で簡単に捨てられるほど村への思い入れが浅い人はいなかったから」


 何度も、何度も考えた。

 穏やかでにぎやかな旅の途中、夜が来るたび何度も何度も村を救う手だてがあったのではないかと、考えた。

 けれど、駄目だったのだ。


「俺が子どもじゃなかったら何か違ったのかもしれない。俺がもっとちゃんと天鬼を見られたら。俺に何か、みんなを信じさせることができるような何かがあったなら……」

 

 憶測をいくら並べても、いまのナマリが何もできなかったことに変わりはない。

 その場にいながら何もできなかったナマリには、帝都から助けの手を伸ばしてくれた相手を恨むことも、憎むこともできなかった。


「……そうですね。ここで僕が君の感情をねだるのは、あまりに大人気ない。わかりました」


 アベはひとりうなずいて、にっこり笑う。

 先ほどまでの硬さなどみじんも感じさせない、にっこりにこにこの笑顔でナマリの頭をわしゃわしゃとかきまぜる。


「だったら僕は君に知識を与えましょう。シキから聞いてますよ、なんでも気象指揮官の適合者だとか」 

「あの、その辺の話がいまいちよくわかってなくて」

「おやあ、シキはくわしく説明してくれませんでしたか?」

「ぎくぅっ」


 ここまで軒下で静かにしていたシキが、大袈裟に肩を揺らした。

 狐耳とふさふさの尻尾ぴんと立ちあがり、彼女の心境を表している。


「シキ……君にはひと通り説明をしたはずなんですがねぇ」

「わ、わははは~」


 笑ってごまかそうとするシキに、アベはやれやれと首を振った。


「どんな学び舎わからないのに、よく入学してくれましたねえ。ありがとうございます」

「……正直に言えば、在学中の衣食住の保証に惹かれて入学したんです」


 馬鹿正直に言うことかと悩んだが、アベは命を助けてくれた恩人だ。

 不必要な嘘はつきたくなかった。

 

「そうでしたか、そうでしたか。でしたら、さっそくあなたの気象適正を確認していきましょうかね~」


 言って、アベがナマリの手を取ったとき。


「うちのひとに触らんといて!」


 鈴を鳴らすような音とともに飛び出してきたのは妖艶な美女。

 彼女また幻獣民なのだろう。

 小麦色の頭部に突き出した狐の耳とふさふさの長い尾が、威嚇するようにぴんと立てられている。


 今の今まで誰もいなかったはずの空間に彼女がどうやって現れたのか、ナマリにはまったくわからなかった。

 けれど、ひいふうみいと数えた尾が全部で九本あるのを認めて静かに目を閉じる。

 

 いつだったか、村で猟師をしている年寄りが話していた。

 尾が二本以上ある獣はふつうの獣じゃない。人の手に負えると思わないほうがいい。できれば気づかれる前に立ち去れ。気づかれた場合は、怒らせないようにーー。


 ナマリはゆっくりとまぶたを持ち上げると、美女に笑いかける。


「アベ先生の奥さまですか? はじめまして、今日から先生にお世話になるナマリです」


 女性はアベを「うちのひと」と呼んでいた。ならばすくなくともアベへの好意を肯定するのは間違ってないはず――笑顔の下でナマリは必死に思考する。

 敵対するのはよくない相手のはず。九尾の美女に牙を剥かれているこの場面をどうにか切り抜けなければ。

 そう考えた結果、初対面の相手に対して当たり障りのない言葉を口にした。


 正直なところ、ナマリはけっこう混乱していたのだ。


 内心はどうあれ、笑顔のナマリに毒気を抜かれたのか、眦を吊り上げていた美女は口の端からこぼしていた炎をおさめて頬を染める。


「嫌やわ~、奥さまやなんて。やっぱり言わんくてもわかってしまう?」

「それはもう」

「やあん、恥ずかしいわあ~。うちらがラブラブ夫婦に見えるなんて! あんた、見る目あるわ~」

「ありがとうございます」


 ふたりのやり取りを見て笑い声をあげたのはアベだ。


「ははは! 突然現れたムギさんを見て、僕の奥さんだと納得するんですか~。君、凡庸な見た目をしてなかなか肝が据わっていますねえ。悪くないですよ~」

「ヒトヒラさま、褒めるんならうちだけにして!」


 ナマリを誉めるアベに九尾が頬をむくれさせる。


「ほらほら、ムギさんそんな顔しないでください。僕の好きな美人さんのお顔を見せてくださいな~。この子はムギさんが選んでくれた子ども服を着ている子らのお兄さんですよ」


 アベが九尾の頬を撫でれば、美女は吊り目を途端にとろけさせる。

 ぽぽぽ、と白い頬を染めた様はそれはそれは麗しい。豊満な身体を安倍にすり寄せるだけで飽き足らず、豊かな九本の尾まで絡めた彼女はうっとりと目を細めている。


「あぁ、あの子らの……」


 とろけた顔でつぶやいた言葉を耳にして、ナマリは弟妹たちの服を用意したのがこの九尾の女性だと知った。


「ニビとカスミの服、ありがとうございます。ふたりともあんなにきれいな服を着たのははじめてだって、喜んでました」


 シキがどう伝えたのか、ぴったりの服を送ってくれた相手にナマリは頭を下げる。

 両親を無くして悲しむふたりが、無邪気に喜ぶ笑顔を見られたことが兄としてうれしかった気持ちがそうさせた。


「……ふぅん。なら良かったわ」


 そっぽを向いたムギだが、その尾はそわそわと揺れている。

 アベはそんな九尾を見て、微笑ましそうに笑った。


「良かったですねえ、ムギさん。贈り相手の子どもたちが喜んでくれるかどうかたくさん悩んで、送った後もシキから『大きさぴったりです!』としか連絡がないものだから、そわそわしてましたもんね~」

「な! なんでばらしちゃうの!」


 顔を赤くしたムギにくっついて、アベがにこにこと笑っている。

 いちゃいちゃしている。

 

 見ているこちらが恥ずかしくなるくらいのいちゃいちゃっぷり。だが、不愉快ではない。


「ふふふ、仲良しっしょ」

「ああ。仲が良いのは良いことだな」


 とん、と肩をぶつけてきたシキにナマリはすんなりうなずいた。

 事実、じゃれ合うふたりを見ているのは悪い気持ちではない。


 ナマリの父と母も仲の良い夫婦だった。

 寄り添うアベとムギの姿は、両親の姿を思い出させてくれる。


「父さんと母さんも、死者の世界で仲良くしているだろうか」


 思わずつぶやいた言葉に、シキはすこしの沈黙をはさんで。


「そっすね。きっと、そうっすよ」


 こつんとぶつけられた肩からやさしい熱が伝わって、ナマリを温めてくれた。

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