ご主人なる相手
外から見て巨大な街は、内に入ってなお巨大だった。
遠ざかっていく荷車の気のいい男に別れを告げて、ナマリは改めて帝都を眺める。
「本当に、広いな」
「ひといっぱい!」
「すごいすごい!」
住人すべてと親戚のようなちいさな村で生まれ育った兄妹三人は、そろって目を丸くした。
まず、道が広い。
牛が引く大きさの荷車が四台、行き来できる広さの道が街の入り口からずっと真っ直ぐ、見えなくなるほど先へと続いている。
一定間隔で左右に広がる道また、同じように広々としている。
遠くから見た時に升目のように見えたのはこの道だったのかと、ナマリは関心するばかり。
「んふふ~。皆さんわくわくしてくださってるようで何よりっす」
誇らしげに胸を張ったシキの左右の腕をニビとカスミがそれぞれつかむ。
「あれなに?」
「あっちはなに?」
「おわわ! おちいさい人たち、バラバラの方向に引っ張らないでくださいっす! 自分、ちぎれちゃうっすよ!」
シキの腕をつかんだまま、思い思いの方向へ進もうとするふたご。
慌てるシキの腕からそれぞれの手をそっと外して、ナマリはニビとカスミを腕に抱えた。
「慌てなくてもこれからしばらくは帝都で暮らすんだ。気になる場所はまた今度行けばいい。それよりも、まずはシキのご主人にお礼を言わないとだろ。ここまで旅をするのに、たくさん助けてもらったんだ」
旅に必要な衣服や食料など、すべてシキの懐を経由して融通してもらった。
それだけでなく、土砂に埋もれた村人たちの捜索や墓づくりもナマリと幼い弟妹たちだけでは、どれだけ時間を要したことか。
村を救おうと、使役札をシキに持たせてくれたことへの礼も言わなくてはならない。
「おれい!」
「ありがとする~」
ナマリが言えば、ニビとカスミはすんなりと好奇心を手放してナマリの頭にしがみつく。ふたりとも、幼いなりに助けられてここまで来たことがなんとなくわかっているのだろう。
「いいんすか? 帝都は初めてっすよね。ひとつふたつ店をのぞいてから行ったって、怒るようなご主人じゃないっすよ」
「これは俺たちの気持ちの問題だから。それに、たぶんふたりともかなり疲れてるはずだ。興奮して眠気に気づいてないようだけど、早めに休ませないと体調崩すかもしれないから」
「ニビげんきだよ!」
「カスミもげんき、げんき!」
にこにこ笑う幼児たちだが、ここまでの道のりの長さはシキにもわかっている。
付き合いが長くないせいで顔色から体調の変化まで読み取ることはできないが、兄であるナマリが言うことを信じるくらいには、互いの距離が近くなっていた。
シキは元気だと主張する幼児たちの頭をなでなで。
「おちいさい人たちからお礼されたら、ご主人たち大喜びするっすよ!」
言って、先に立って歩き出す。
「それじゃ、帝都見物はまた今度にして。まずはご主人のところに案内するっす」
***
人ごみをすり抜けるように進むシキを追いかけた先で、ナマリたちを出迎えたのはしんと静まり返った空間だった。
先ほどまでの喧騒はどこへいってしまったのか。
気づけばあたりに音はなく、あれほどたくさんいた人の姿も見当たらなくなっていた。
「ここは……本当に、帝都の中心部なのか?」
問いかける声を思わずひそめてしまう、そんな静謐な空気があたりを支配している。
ニビとカスミも場の持つ神聖さに気圧されたのだろう。口をつぐんだまま、ナマリにひしと抱きついていた。
それを見て、シキが「怖く無いっすよ~」と笑顔でふたりの手を引く。
「そうっす。中心部は国の中枢っすから、誰でも自由に行き来はできないんすよ」
「それは、俺たちが入ってしまって良いのか……?」
戸惑いながらあたりを見渡したナマリは、建物がどれも高い塀にぐるりと囲まれているのに気がつく。
ひとつひとつの塀が長くて気づかなかったが、どうやらそれぞれが異なる屋敷を囲っているらしい。
囲われた内側の敷地は、村の一番広い畑がすっぽり入ってしまうだろう。
「本当にすごいな。こんなところに暮らしている人が俺たちを助けてくれたのか……」
ふしぎな気持ちにひたって、すぐそばの屋敷をまじまじと見ていたナマリが先に進む三人を振り向いたとき。
そこには誰もいなかった。
代わりにあるのは、朱色の鳥居が何十、何百と連なる非現実的な光景。
「うん?」
見渡すけれど、シキは見当たらない。ニビとカスミも見つからない。
それどころか先ほどまで建ち並んでいたはずの家々さえ見当たらない。
ナマリは知らぬうちに、若葉が生い茂る庭に立っていた。
やわらかい緑に囲まれた鳥居はいくつあるのだろう。限りなくずっと続いているようで、行きつく先は見えない。
「ここは、どこだ?」
問いかけに答える声はなく、ただ淡い若葉が生い茂るなかに鳥居が続くばかり。
幼い弟妹が見たら歓声をあげるだろうか。それとも、不思議な異界感に兄の後ろに隠れるだろうか。
家族のことを思い出して、すこし気の軽くなったナマリは独り言つ。
「行けばわかるか」
ニビとカスミにはシキがついている。
ナマリは瞬きの間に迷子になってしまったようだが、どのみち生まれ育った村を無くした身だ。
いまさら多少迷ったところで、そこが帝都であろうがなかろうが、大差ない。
それならば見慣れぬ景色を散策するのも悪くはないだろう。
山のさわやかな空気を吸い込んで気持ちを切り替えると、ナマリは鳥居をくぐった。
朱色、朱色、朱色。
はじめは物珍しく見回していた千本鳥居の朱色の波は、今や目にうるさいほど。
すこし目を休めたくて足元を見つめて歩くナマリの視界に、そうはさせるかとばかりに鳥居の朱は映り込み続ける。
合間に見えるはずの木々の緑は色あせて、陰影すらあやふやになる強烈な鳥居の朱色が視界を塗りつぶしていく。
どれほど上っただろう。
さほど歩いていないような気もして振り向いたナマリの背後には、数えきれないほどの鳥居が連なっていた。
けっこう進んだみたいだ――ならば鳥居と草木以外の何か見えてきただろうかと顔をあげたナマリは、進む先が重なる鳥居に塗りつぶされているのを見てとって「ああ」と声をもらした。
折り重なる朱色が乱れ咲く彼岸花のようだ、とナマリが思ったのは逃避だ。
いや、ナマリ自身知らぬ間に、思考までも朱色に染まっていたのだろう。
揺らぐ意識のなか、ようやく見えた鳥居の終わりをくぐろうとしたとき、ぐらりと傾いだナマリの肩を支えたのは、大人の手だった。
「あらら、ここで転ぶと人の形が失くなりますよ~」
「え?」
揺れた意識に聞きなれない声、予期せぬ状況にまたたいたナマリが顔をあげたときには、大きな家屋が目の前に建っていた。
苔むしたかやぶき屋根の向こう、立ち上る白い煙は湯気だろうか。
歴史を感じさせる板壁の横には不揃いの薪が山と積まれている。
いつの間に陽が暮れたのか、ひんやりとした風がナマリの頬を撫でて言った。
突然目の前に現れた屋敷にナマリは驚き、あたりを見回す。
背後にあるはずの鳥居は無く、代わりにあったのは立派な門。
夕闇に佇む門の向こうに踏み固められた通りが広がっていた。
「え、あれ? 俺、いつの間に鳥居を抜けたんだ」
「おめでとうございます~」
疑問に返ってきたのは気の抜ける寿ぎの言葉と、ぺちぺちというやる気のない拍手。
ナマリの真横には白い狩衣を身に着けた年齢不詳の男が立って、両手のひらを打ち鳴らしていた。
「やぁ、素質の有る子は鳥居をくぐれないわけないと思ってましたけど。危ないところでしたね、君。狭間に溶けてしまうとこでしたよ~」
不審だ――男の恰好といい物言いといい、明らかに不審な人のそれで、ナマリは警戒心を抱く。
狩衣を着た人間など見たことが無い。
恐らく高貴な身分の者なのだろう。口調はずいぶんと砕けているが、それすらもナマリの反応を伺うためかもしれない。
これは初手を間違えてはいけないやつだ――ナマリは慎重に、表向きは余所行きの笑顔を心がけて言葉を選ぶ。
「えっと、支えてもらってありがとうございます? あの、この家の方ですか。人をたずねて歩いていたのですが、道に迷ってしまったようで」
謙虚さと適度な警戒心とをもって接するナマリに、狩衣姿の男は細い目をきゅっと吊り上げて笑みを深める。
「ちゃんと感謝できる子は歓迎しますよ~。ようこそ、我が屋敷へ~」
「いえ、俺の尋ね先はここでは……」
にこにこにっこり笑顔を添えて、ゆるやかに広げられた男の手のひらが示した屋敷に目をやって、ナマリは驚いた。
「あ。シキ」
「ナマリさん! ご無事で何よりっす」
うれしそうに笑ったシキが尻尾をぱたぱた、駆け寄ってくる。
「ニビとカスミは?」
シキのそばに幼い弟妹の姿が見つけられなくて問えば、安心させるような笑顔が返って来た。
「おちいさい人たちはねんねしてます。ナマリさんが戻るまで待つと言っていたのですけど、やっぱり疲れていたみたいで」
「そうか……ありがとう」
「お礼ならご主人にどうぞっす!」
言って、シキが手のひらで示したのは狩衣の男。
「ご主人? あなたが、シキの?」
「あ、申し遅れましたね~。僕、シキの主人で秘術士のアベ=ヒトヒラと申します~」