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怒りと悲しみと喜びを込めて

 熱のこもった思いの余韻が静寂を打った、そこへ。


「あっは!」


 こらえきれない、とばかりに響いたのはノーギルの笑い声だ。


「実に稚拙、実に低俗、実に滑稽! まったく根拠のない論説とも言えない妄言、所詮はあなたの思い込みでしかありません」

「本当にそう思うか?」


 ナマリはタクトを構えた。

 爆発しそうな感情を胸に、けれど頭は不思議と凪いでいる。

 静けさに包まれた頭のなかで、ナマリの軸になっているのは悲しみだった。

 けれどナマリは意識して、胸で暴れ狂う怒りに身を委ねる。


「思い込みでも構わない。俺は正しさを求めて白黒つけるより、誰も傷つかない灰色を選ぶような人間だ。でもこれだけははっきり言える、お前はクズだ」


 吐き捨てるように言ったとき、ナマリのタクトにクラゲが絡みつく。

 その瞬間、タクトの先が光りを宿した。


「俺ときららと、あんたに嬲られた魔女と黒猫の思いをこの神器に込めて!」


 叫びに呼応してタクトの光りがぐんと強くなる。その光りに呑まれたきららがぐにゃりと形を変えた。


「なんじゃ!?」

「ああ、なんと不可思議な光景でありましょう!」


 オリジンとノーギルが声をあげるなか、あたりをまばゆく照らし出していた光はナマリの手のなかに収束していく。

 そして現れたのは淡く輝く神秘的な傘。


 月光を浴びた傘に七色の光を躍らせながらナマリはとん、と地を蹴った。

 ふわん、と浮き上がった身体は風に乗るように宙を飛び、傘に支えられてノーギルの元へ着地する。


「あんたを許せないっていう思いを集めて形にしたものだ、と言ってあんたに伝わるか?」

「雨傘でございますね。こちらの国のわがさ? と呼ぶべきでしょうか。このような形態を取るのはクラゲの形状ゆえなのでしょうか。以前、実験していた雷を操る子どもの連れている獣が形態を変えるのを見たことはありませんが、トリガーはその杖でしょうか? あるいはあなたが特殊な力をお持ちである? ああ、やはりわたくしはあなたのことを研究したい!」


 ナマリの問いかけはノーギルに届かなかった。

 不可思議な光をまとった半透明の傘を前に、ノーギルは目をきらめかせて前のめりになる。

 触れたい、確かめたい、と言わんばかりの彼へナマリはずいと傘を差しかける。

 どこまでも人の心を理解できないノーギルが、いっそ哀れだった。


「お望みの異能だ、堪能してくれ」

「本当、に……?」

「あしたてんきになあれ」


 幼い響きをまとった言葉がナマリの口からこぼれると同時、きらり、傘の表面を走った七色の光がノーギルの眼球を撫でた。

 途端、彼の膝がかくりと折れる。

 力の抜けたノーギルの身体はそのままどさりと倒れ伏す。


 洞窟の地面はむき出しの岩だ。

 受け身もなしに身体を打ち付ければけっこうな痛みと衝撃が走るはずだが、ノーギルはうめき声をあげるどころか身動ぎひとつしないまま沈黙している。


 明らかに様子のおかしいノーギルに対して、ナマリは取り乱しもせず静かに傘を差しかけ続けた。

 月明りのなか、淡く発光する傘を手に佇むナマリの背中はひどく物憂げで、話しかけられることが躊躇われる。

 だまって見つめていたオリジンは、赤い唇をしめらせてからそっと声をかける。


「そなた、何をしたのじゃ」


 ナマリの言葉に何かしらの力が込められていたことは彼女にもわかっていた。

 ただその言葉に宿る力が誰かを傷つけるような意思を宿しているようにはおもえなかったのだ。


 くるり、振り向いたナマリはオリジンの顔を見て困ったように笑う。

 怒りを吐き出したナマリの胸は、おだやかな悲しみに包まれていた。


「なんて顔をしてるんだ、あんたは。命は取ってないよ、それは俺がしていいことじゃないだろ」

「ならばなぜそやつはひっくり返っておる? 生命の源がぐんと弱まっておるようじゃが」


 オリジンはほっとしながらも困惑気味にナマリのそばへ近づいていく。

 ノーギルの顔を覗き込んだ彼女は、呆けたように虚空を見つめる男の目を行き過ぎていく虹色を見た。

 そして、オリジンの人間よりも優れた耳がとらえたのはかすかな音。


「雨、か……?」


 不思議そうにつぶやいて見上げた先にあるのは夜空に浮かぶ月。

 その周囲にきらめく星々を散りばめた空に、雨を降らせる雲の姿はかけらもない。


 だというのに、オリジンの耳にはサァサァと降り続く雨の音が聞こえているのだ。

 それも、発生源はどうやらノーギルのあたり。

 首をかしげるオリジンが傘の下に入ってしまわないよう、マナリは彼女の肩をつつく。


「きららだよ。きららとタクトが合体してるから、天妖神器って呼ぶべきか? 目には見えないけど、いま傘の下では雨が降ってるんだ」

「傘の下で雨、とは」

「おかしいよな。でも、この雨は誰にでも浴びせていいもんじゃない。記憶を洗い流す雨だから」

「記憶、を?」


 サァサァと雨の音が降る。

 そこには確かに、見えない雨が降っているようだ。


「俺もはじめてだから感覚でしかないけど。願いを込めたんだ。あいつが、ノーギルがもたらしたことがみんな無くなって、晴れやかな明日が来ますようにって。そしたら、きららが雨を降らせてくれた。この傘から降る雨は、こいつの記憶も知識も全部きれいに洗い流してるんだ。陰惨な記憶も、おぞましい知識も、残酷な経験も、たぶん、こいつを形作ってきた人格までも、全部を洗い流す雨」

「それは、おぬし……」


 オリジンが絶句するなか、ナマリは彼女に背を向けた。

 倒れたままのノーギルをじっと見下ろし、ナマリはつぶやくように言う。


「流れた雨はまた雲になるように、洗い流したこいつの中身はきららが集めてくれてるよ。先生に渡せば、きっとじゅうぶんな証拠にしてくれる。こいつはちゃんと裁かれる」

「そうか。それは、うむ、良いのじゃが、しかし」

 

 言い募ろうとするオリジンが何を言いたいのか。わかっていながら、ナマリは彼女の言葉をさえぎった。

「ごめん、オリジン。あんたの邪魔はしないって約束したのに破ってしまった」


 サァサァと降り注ぐ雨は目に映らない。

 不可視の雨を降らせながら、ナマリはオリジンを振り向いた。


「実質、ノーギルという男は死んだ。俺が殺した。なあ、これであんたの憎悪を終わりにできないか? こんな程度じゃ気持ちは晴れないかもしれないけど、あんたには希望を持って」

「おろかだな」


 ナマリの言葉を遮り、オリジンはナマリを抱きしめた。


「愚かな人間じゃ、ほんに。ほんの瞬き程度の生しか歩んでおらぬくせに、わしを諭し導こうとするなどと。こやつの悪行が引き継がれる可能性が潰えたならば、あの子もきっと晴れやかな気持ちで逝けるじゃろう」


 愚か、愚かと言いながらもオリジンの顔は笑っていた。

 彼女の目元ににじむ雫に気づいて、ナマリはほっと肩の力を抜く。


「それなんだけどな」


 ぱたん、と閉じた傘が淡く光り、きららがタクトからゆるりと離れる。

 ナマリとオリジンの頭上に浮かび上がったクラゲが触手をより集めたその中に、ちいさな光がぽつんと生まれた。

 ぴく、とオリジンの鼻がひくつく。

 

 ちいさな光がぐうっと強さを増しながらゆるりゆるりと降ってくる。

 オリジンが広げた両手のひらに着いた途端、光がぱちんとはじけてそこに現れたのは小さな黒猫だった。


「そなた、猫ちゃん? いや、この気配は……ルーンか!?」

「おりじん」


 舌足らずな幼い声は猫の口からこぼれる。


「そなた、生きておったのか……!? いや、しかし確かにあの子の肉体は滅び、気配は途絶えてしもうたが……」


 驚きに目を見開いたオリジンの声は震えていた。

 子猫は「んなぁ」と鳴いて、始祖の手のひらに頭をすりつける。

 美少女と子猫のふれあい。

 それ以上に、引き離されていたふたつの魂が再び出会えた奇跡に、ナマリ知らず微笑んだ。


「猫には九つの命があるらしい。ルーンの身体は助けられなかったけど、魂だけでも守ろうと黒猫が身代わりになったんだろう。俺たちに魔女のことを教えてくれた猫の思念が、これが最後だ、って。痛いも苦しいも全部、自分が持って行くから、魔女の魂をオリジンに届けてくれって、伝えてきたんだ」

「そうか、そうか……あの黒猫め」


 オリジンはほたほたと涙を流す。

 熱い雫が子猫の頭へぽつん、ぽつん。

 はじけた雫を不思議そうに見上げた子猫は、おぼつかない四肢でオリジンの胸をのぼり、彼女の頬をざらりと舐めた。


「ふ、はは! くすぐったいぞ、ルーン!」

「まるで子猫だな。魔女の意識はあるんだろう、喋らないのか?」


 身を屈めたナマリが子猫の顔を覗き込むと、ほんのり吊り上がった目が驚いたように大きくなる。

 ぴんと伸びた尾をなだめるようにオリジンが撫でおろす。


「九つ目の命に生まれ直したところなのであろう、喋れずとも構わん。生きて、再びこの魂と触れ合えただけでもう、もう……」


 子猫の腹に顔を埋めるオリジンの声は湿っていた。

 つぶやきのようにささやかれる感謝と恨みごとはきっと、さっさと逝ってしまった黒猫へのものだろう。

 オリジンの言葉の抑えきれない感情の揺れを知りながらも、ナマリは聞こえないふりをして、自身の天妖をなで労った。

 そのとき。


「あ――――! やっと見つけましたよ~!」


 場違いに弾んだ声が洞窟のなかに響き渡る。

 空から降って来た声の出どころを求めて顔をあげたナマリは、知った相手の姿を見つけて肩の力を抜いた。


「ああ、先生。こんばんは」

「はい、こんばんは」


 ナマリの師、アベはにっこりと返しながら降りてくる。

 巨大な紙飛行機めいた白い乗り物は彼の式神のひとりなのか、あるいは術のひとつなのか。

 まったく不思議なことだ、と思うナマリの前へアベがひらりと着地する。

 するりと縮んだ紙飛行機はひとりでにアベの着物のあわせへ飛び込んだ。


「って! こんばんはありませんよ、ナマリくん! なんで勝手に抜け出しちゃうんですか、君たちを守るために張った結界なのだから、外に出たら意味が無いでしょう!」

「いえ、もう大丈夫です」

「大丈夫じゃありませんよ! 外にはあなたたちを良いように使おうと待ち構えてる悪い大人が……『もう』?」


 叱らねば、今日はきっちりと叱らねば! 意気込んでやってきたアベは、ナマリのさらりとした一言に首をかしげた。


「はい。その悪い大人はそこに」


 そこ、と言いつつナマリが指さした先には、地に倒れ伏すノーギルがいる。

 きららも真似をしているのか、触手であっちあっちとノーギルを示す。

 目を丸くしたアベは示されるままに視線を向け、そこに憎き敵の姿を見つけてぱちぱちと瞬く。


「そして、その悪い大人の記憶とかもろもろはここに」


 ここ、と言ってナマリが手のひらを広げて上に向けると、すかさずやってきたきららが、傘のなかからころりと珠を出した。

 ガラス玉めいた珠のなかには、ノーギルから流れ出た記憶や想いが暗雲のように渦を巻いている。

 一見すると地味な土産物のようなその珠がなんなのか、アベはひと目で見抜いたらしい。

 ぱかんと口を開け動きを止めた。


「すみません。でも許せなかったので」


 謝罪を口にするナマリの目に後悔が無いのを見て、アベは深く深くため息をつく。


「わかりました。いやもう、何もかもわけわからないですけど、わかりました。あとのことは大人が何とかするので、ナマリくんは気にしなくていいですよ。どうやら命はあるようなので、以降はしかるべきところに突き出して人の法で裁いてもらいましょう」

「ありがとうございます、先生」


 何もわからないけれどなんとかする。

 アベの言葉に自身を守ろうとしてくれる思いを感じて、ナマリは胸に暖かいものが湧くのを感じた。

 アベは「そういう素直なところがあるから口うるさく言えなくてずるいんですよね~、君は。良い子かと思えば結界から抜け出して敵の元に行くなんて暴挙に出る癖に、まったくもう」とぶつぶつ文句をこぼす。


 そうしながらも珠を仕舞ったアベは、懐に突っ込んだ手に一枚の紙をつまんでいた。


「ナマリくん、はい」

「何ですか」


 差し出された紙きれを手のひらに乗せてナマリは首をかしげる。

 アベが寄こしたのは人をかたどった白い紙。

 以前、連絡用にと渡されたそれとよく似ている紙を見下ろしてナマリは考えた。


 連絡をするように促されているのだろうか。

 しかしアベと出会った今、連絡を取るべき場所は思い浮かばない。

 屋敷に飛ばしたところで誰もいない。


 ニビとカスミの元へ飛ばしたとして、今ごろはまだ寝ているだろう。

 カイトはオリジンの力で朝まで目を覚まさないため、飛ばされた式神が彼の周りをうろうろ回ることになる。


 他に思い当たることもなく黙り込んだナマリに、アベはふふっと笑って何かを取り出した。

 細長い、小麦色の毛。

 見覚えのあるその色にナマリが目を見開くなか、アベは器用に毛を人形に結えて、言った。


「名を、呼んであげてください」


 ただそれだけ。

 けれどそれだけで、ナマリは察した。

 手のひらにおさまるちいさな紙片をそっと包み込むようにして、呼ぶ。


「シキ」


 ナマリの吐息が紙片を揺らし、そして白い紙が舞いあがる。

 月光をきらりとはじき返したかと思えば、その光が一気に膨れ上がる。

 目を焼く光ではない、優しい月明かりが闇を祓い、りんと空気を清めていく。そして。


「ナマリさん」


 光のなかから現れたシキがナマリの腕のなかに舞い降りる。


「ただいま戻りました!」 


 やわらかく受け止めたナマリと額を合わせ、シキはにぱっと笑う。


「お帰り、シキ」


 返すナマリもまた、笑顔で彼女を抱きしめた。


「いっしょに帰ろう。みんなのところへ」

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