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オリジンの怒り

 ナマリを置いて飛びだしたオリジンは、洞窟のなかを突き進んでいた。

 途絶えていたはずのルーンの気配が彼女を呼んでいたのだ。


「ルーン、死んだのではなかったのか。肉体を切り刻まれ、魂さえもあやつの手のうちに握られ、ついには滅ぼされたものと思っておったのに……ルーン、ルーン!」


 心の求めるままに闇を駆けたオリジンは、瞬く間に洞窟の最奥へとたどり着いた。

 そこで彼女を迎えたのは、人の姿をしていながら身の内に天鬼を宿した異形。


 入れ物と化した人物は環善会の会長であり、相容れぬはずのふたつを繋ぐために使われているのがルーンの身体の欠片。

 もはや彼女の形を残していない状態でありながら、なおも利用されている愛しい人の存在を察して、オリジンは激怒した。


「今すぐ、闇に葬り去ってくれるわ……!」


 背中に突き立つ幾本もの黒い骨の怨嗟に突き動かされてか、あるいはノーギルの指示があるのか。

 牙を剥かんとする化け物を消し去ろうと闇を膨れ上がらせた瞬間、濃さを増したルーンの気配にオリジンは思わず動きを止めた。


「おやおや、うまく混ぜたつもりだったのですが、わかりましたか? さすがは化け物のなかでも始祖と呼ばれるだけの知能をお持ちです」


 遠く、洞窟の奥で笑うノーギルにオリジンは湧き上がる怒りをねじ伏せながら問う。


「きさま……ルーンを、あの子の魂をこの男に埋め込んだのか。天気を操る妖を留めるために……!」


 睨み据えるオリジンの視線を受けて、ノーギルはゆるく首を振る。


「いいえ。そのやり方ではひとの身が保たないと、過去の実験から判明しています。ですので、このたびは力を繋ぎ止めた空間に被験者を置くことで染めてみました。魂の有無については検証中ですのでお答えしかねるのですが、あの魔女のパーツを埋め込んだのは操作性を持たせるためでございます」


 ぽい、とノーギルが無造作に放ったのは古びたスーツケース。

 落ちた衝撃で開いたスーツケースのなかはどす黒く染まっていた。


 それだけではない。

 吸い切れないほどの血が固まり層を成すスーツケースの内側には、無数の引っかき傷が残されていた。

 そこに刻まれた悲痛な願いはあまりにも鮮明に焼き付けられていて、夜の闇にも包み隠せない想いの残渣をオリジンは拾ってしまう。


『助けて』

『痛い』

『もう死なせて』


 オリジンは思わず眉を寄せて耳を塞いだ。

 そうしたところで思念を防げるわけはないが、そうせずにいられないほどに刻み込まれた思いは悲痛だった。


 スーツケースはノーギルが何年も愛用しているもの。

 非情な研究者は実験体の欲しい部位を切り取ってはスーツケースに詰めて持ち歩いていた。

 すなわち、刻まれた思念は彼の実験の犠牲者たちが最後に残した無念の声だ。

 そして、そのなかにはオリジンが愛した魔女の想いも刻まれていた。


『痛いのはきらい』


「……っ」


 拾い上げてしまった魔女の想いが、いつかの彼女の声と重なってオリジンの胸を深くえぐる。

 不可視の傷のあまりの痛みに、オリジンは耐えきれず胸を押さえて唸り声をあげた。

 涙をこぼさなかったのは強すぎる怒りが湧き上がっていたため。


「おや、お加減が悪いのでしょうか? 始祖さまにはわたくしの実験の検証を手伝っていただこうと思っておりましたが」


 困りましたね、と笑顔を貼り付けた顔で言うノーギルには、刻まれた思いのかけらすらも伝わってはいない。

 彼は超常の力を研究する身でありながら、超常を察知する力を何一つ持っていない。


 見えず、聞こえず、感じることすらできないのだ。

 素養のかけらすら無い身では、神器級の道具を持ったところでガラクタにしかならない。

 それゆえに、ノーギルは超常の力を理解したいと願うのである。


「……懲りぬ男よな。国で殺しすぎて味方を失ったというのに、異国に渡ってまでも同じことを繰り返すか」

「同じではありませんよ。実験の結果を持って考察をし、そのうえで次の実験を行っておりますから」


 素養すら持たないゆえにノーギルはオリジンを恐れなかった。ゆえにノーギルの識欲は際限がなかった。

 実験のため、と称して彼が殺めた人の数はオリジンでさえ把握できていない。

 けれど、彼のそばで行方を絶った人は多く、それを見逃すほど彼の国は愚かではなかった。


「国は許したぞ。わしがそなたを滅したとて黙認する、と」

「なんとまあ、嘆かわしいことでありましょう。人の社会に化け物の介入を許すなど!」

「そなたがすでに人の社会から外されておる証左よ。そなたは殺しすぎたのじゃ」


 オリジンの声にかすかな憐れみがにじんでいたのは、彼女の長い生のなかで見てきた人の枠に収まり切れなかった者たちの姿が過ぎったからだ。

 けれどノーギルはそんな憐れみなど知ったことかとばかりに、首をかしげる。


「わたくしは誰も殺してなどいませんよ。実験の経過で堪え切れず命を落とす方々がいることは非常に残念に思っておりますが、新たな知を得るために尊い犠牲はつきものでございますから」


 あまりにも白々しいその物言いに、オリジンは抑えが効かなかった。

 彼女の足元に落ちる黒々とした影がいっそう濃さを増して岩を砕き、形を成した影の下に生まれた影がまた実態を得る。

 そして生まれた影が落とした影を糧に、新たなる影が湧き上がるという連鎖が起きたのは、一瞬のこと。

 見る間にオリジンの周囲は闇よりもなお深い黒に埋め尽くされた。

 絶望的なまでの力を前にして、ノーギルは目を輝かせる。


「ああっ、なんと素晴らしいお力でしょう! あなたのお体に収まるとは到底思えないほどの質量はいったいどこから現れるのでしょうか。超常を映す目がわたくしにあれば、何か見えたのでしょうか?」


 見えない者の目にも映るほどの質量を闇が持つ、そんなあり得ない現象を目撃したノーギルは怯えるどころか歓喜に打ち震えた。

 我が身を抱き、興奮に赤く染まった顔で熱い吐息とともに欲望をあらわにする。

 その喜びようは異様なほど。


「ああ、知りたい……! 貴女の身体を隅々まで調べ尽くして、その力の在り処を確かめたいものです!」

「この……っ」


 オリジンは湧き上がる怒りのままに怒鳴ろうとして、けれどあまりに巨大な感情に声を詰まらせた。

 もっとも、怒鳴りつけたところで反省のかけらもないノーギルに響く言葉など見つけられなかっただろう。

 怒りに打ち震えるオリジンをよそに、ノーギルはひどく楽し気に目を輝かせる。


「もっと、もっと見せてくださいあなたの力を。どうぞわたくしの実験の集大成と踊って、見せてください!」


 ***



 洞窟の天井からぱらぱらと小石や土がこぼれ落ちてくる。

 岩壁伝いに届いた振動に眉を寄せながら、ナマリは奥へ奥へと駆けていた。


「きらら、俺が走るから明かりを頼む!」


 ともすれば追い抜いてしまいそうになるクラゲにナマリが腕を差し出す。

 発光しながら宙を泳いでいたきららは、主の腕に触手を絡めて傘をゆるりと広げた。

 クラゲを巻き付けた腕を前に、ナマリはいっそう速度を上げる。

 ドォン!


「音が近いな……」


 つぶやく声もビリビリと震える大気に揺らされ、かき消されてしまう。

 落ちてくる物の中にはもはや小石とは呼べないこぶし大の石が混ざり始めていた。


「武器のひとつもあればよかったけど、持ってる物はこれひとつきりか」


 準備不足に歯噛みしながらナマリが取りだしたのはタクトだ。

 繊細と言えるほどには細く、武器にするには長さが足りない。


 せいぜい不意打ちで投げつける程度には使えるか。

 走りながら思案したナマリが取り出しやすい位置にしまい直そうとしたとき、大きな破壊音と衝撃、そして舞散らされた小石が降って来た。


「っオリジン!」


 狭い通路を駆け抜け、大きな空洞に飛び込んだナマリは思わず叫んだ。

 肥えた男から放たれた紫電がオリジンの華奢な身体めがけて駆けて行く。

 文字通り光の速さで迫る雷光を避けられるはずもなく、彼女の華奢な身体はナマリの目に黒い影となって焼き付いた。


 そして光が四散したとき、オリジンの身体もまた焼け焦げて崩れ落ちる、と思われたが。

 ぐらりと傾いだオリジンは、踏み出した右足でだんっと力強く地面を踏みつけた。

 その身を鎧うようにまとわりついていた影が、ぼろりと崩れて闇に消える。


「これがそなたの研究とやらの集大成と申すか? 手ぬるいわっ」


 嘲笑と同時、オリジンの落とした影がどぷりと湧き上がり矢のように地を這う。

 目指す先は戦いの場から距離を置いて立つノーギルだ。


 彼の周囲にはどうやって運び込んだのか、大小さまざまな器具が並べられている。

 それらの器具を動かすためなのだろう、巨大な機械がうなりをあげ、そこから伸びる照明が暗いはずの洞窟のなかを白々しいほどに明るく照らし出している。


「ははは、始祖さまはわたくしに構ってもらいたいのですか? 残念ながら、化け物の相手はごめん被りますね。わたくしは研究専門なので!」


 爽やかに笑ったノーギルが火炎瓶を放り投げた。

 その動作に合わせて肥えた男が「オオオォォォ!」としゃがれた雄たけびをあげる。

 呼応するように起きた突風が炎を巻き上げて空気を焼き焦がし、オリジンの生んだ影を焼き消した。

 しかしオリジンは慌てない。


「ふん、こしゃくな」


 鼻を鳴らした彼女はかかとで地面を踏み鳴らす。

 コンコンコン。

 鳴らした数だけゆらゆらゆらと黒い影が立ち上り、燃えながら迫り来る瓶に次々飛びかかる。


 光に照らされ消えるはずの影が瓶を炎ごと飲み込むと、残されたのはゆらめく濃い闇ばかり。


「闇とは光に照らされていない箇所のこと。であるならば、炎に照らされてあなたの影は消えるのが本来のあるべき姿です。しかしながらあなたの影は炎を吸収し、深い闇を落とし続けるのですから摩訶不思議でございます! ああ、本当に不思議で神秘的で、解き明かしたくてたまりません!」


 感動に打ち震えるノーギルは、火炎瓶を投げつけた人物とはとても思えない。


「光量を増やしてはいかがでしょう。影が掻き消える、あるいは濃さを増しより強力になるのでしょうか。ああ、光源を複数にした場合はいかがでしょう。影の数は増えるのでしょうか。そうであるならばひとつひとつの影の強度は? 振るう力に影響はあるのでしょうか?」


 早口で言いながら、ノーギルは次々と思い浮かぶ要素を手元のノートに書きつけていく。

 欲望にまみれた彼の目はぎらぎらと輝き、オリジンだけを映していた。

 瞬きすら忘れたままノーギルが複数の火炎瓶に火をつけ、宙に放つ。


「さあ、実験を続けましょう!」


 彼の声が引き金になるのか、虚ろな目をした肥えた男が身じろいだ。

 その周囲に渦巻く真っ黒な天鬼が見えないナマリではない。


「きらら、晴らしてくれ!」


 オリジンに向けて風が巻き起こされるより先、叫んだ声に応えてクラゲがふわんと宙を舞い、伸ばした触手が男に向かう。

 正しくは男の身に縫い留められた天鬼たちの元へ、だ。


 幾本もの触手が絡みついたのは天鬼を戒める黒い人骨。

 会長の背中に突き立つそれらをずるりと引き抜けば、怒り狂った天鬼が我を忘れて空洞じゅうを暴れまわる。

 火炎瓶の口で燃えていた炎は荒ぶる風に吹き消され、くすぶる瓶は地に落ちて割れた。


 荒れ狂う天鬼が掠めるたび、会長の肉に切り傷が走り暴風になぶられよろける。

 けれど身の内から天鬼を溢れさせた会長は、逃げる様子もなく人形のように立ち続けていた。


「あああ、あ、貴様っなんてことを! わたくしと始祖との崇高なる実験の場を荒らすなど、なんという許されざる行為をっ!!」


 絶叫したのはノーギルだった。けれどナマリの興味は彼にない。


「オリジン、怪我はないか!?」


 振り返ったナマリに問われて、オリジンは怒りも忘れてぱちりと瞬く。


「ナマリよ。逃げたのではなかったか」

「正直、俺じゃあ足手まといだとは思ったけど伝えなきゃいけないことがあって……でも、ゆっくり話しができそうもないな」


 前を向いたナマリは、殺意のこもった視線に射抜かれてため息をひとつ。

 ノーギルがぶつぶつと呪詛めいた言葉を吐きながらナマリをにらみつけていた。

 その足元には黒く染まった人骨が山と積まれている。


 彼には見えていないのだろうが、ナマリにはそこでもがく天鬼たちの姿がありありと見えていた。


「ちょっとあの人に静かにしてもらおう」


 言って、暴風のただなかに鉛は一歩を踏み出した。

 その背にオリジンが待ったをかける。


「黙らせるならばわしの闇でひと呑みにしてくれるわ! そやつはわしの最愛を弄んだ。とうてい許せることではないッ! そなたは怪我をせぬよう、部屋のすみへ……」

「オリジン、見ててくれ」


 振り向かないまま告げて、ナマリは手にしたタクトをするりと持ち上げた。

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