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雷の子

 ナマリにしばしの別れを告げたオリジンが向かったのは学舎の敷地から離れた森のなか。

 手頃な枝を見つけた彼女はちょこりと腰掛け、黒い翼をたたむ。


「ほっほぅ……?」


 元音を聞きつけて木のうろからもそもそと顔を出したのは、寝ぼけ眼のふくろうだ。


「おお、起こしてすまんな。しばしそなたの止まり木を貸しておくれ」


 オリジンがささやくと、ふくろうは「ほぅ」と目を丸くした。

 しばらくはきょときょとと首をかしげて体をしぼませふくらませしていたけれど、オリジンが枝に腰かけて静かにしているのを見ると、うろにもそもそと引っ込んでいく。

 それきり森の中はふたたび静かになって、聞こえるのは梢のさざめく音ばかり。


「……静かな、良い森じゃ」


 日はまだ暮れない。

 けれどもどこか夜に似た静けさを感じさせる森に、オリジンは目を細めて幹に身体を預けた。

 夜の闇は彼女の生まれ故郷だ。

 濃い闇が凝り、人の恐怖心によって育てあげられた彼女は世に謳われる吸血鬼のように陽光を恐れはしない。

 けれども、力を発揮できるのはやはり夜である。

 国をまたいででも成さねばならぬと定めた事にあたるためには、全力を出せる状況こそが望ましい。

 オリジンは時が来るまでしばしの休息を、と目を閉じた。


 まどろみのなか、オリジンが見るのは夢ではなく過ぎ去りし日々の記憶。

 人に在らざる彼女を人らしく居させてくれる、愛おしい思い出たち。

 歴史にも記されていないほど遠く、けれど確かにあった時間を繰り返し、繰り返しなぞる休息の時は、不意にある箇所でひび割れる。


「××××、×××××××」


 記憶のなか、聞いたはずの声をオリジンはなぞれなかった。

 確かに聞いたその声を忘れたわけではない。

 確かにそばにあったその姿を思い出したくないわけではない。

 大切な思い出のひとつが欠けるに至った出来事があまりにも鮮明にオリジンの記憶に焼きついているために、彼女自身が思い出してはならないと戒めたのだ。


 記憶をなぞれば抑えきれない憤怒が湧き上がる。

 湧き上がった感情が世界に影響を及ぼすことを、及ぼした影響で人びとが苦しむことを記憶の中のその人は望まないと知っているからこそ、オリジンは記憶を胸の奥のさらにその奥の、深い闇の底に沈めたのだ。

 許すまじ、許すまじ。

 その想いだけを繰り返し繰り返し噛みしめて、やがて闇が世界を優しく包むころ。


 起き出したオリジンは「くあぁ」と伸びをした。


「さぁて、盗まれた我が最愛を取り返しに行くとしようかの」


 つぶやく声は夜風に巻かれて消え、抜けるように白い肌は不思議なほど闇に馴染む。

 彼女がすこし気を許せばその姿をとろりと包んで隠してくれるやさしい闇に身を任せ、オリジンは背中の翼を広げた。


「邪魔したの」


 うろで身じろぐふくろうに声をかけ、彼女は音もなく闇をかけて姿を消す。

 後にはそよ風のひとつも残されておらず、ただいつも通りの夜が森を包み込むのだった。


 ***


 ここ数日、修行に繰り出していたカイトとルネだが今日はアベの屋敷でのんびりとしていた。

 アベが早朝から呼び出しを受けたとかで、神域へとつながる鳥居が使えないためだ。

 

 ナマリが屋敷にいるとたびたび遊びに顔を出すニビとカスミは、本日はお出かけしている。

 ムギが「古い化け物の匂いがして落ち着かん」と言ってふたりを連れていったのだ。帝都の店をあちこち見てまわり、どこそこの甘味屋へ行こうと盛り上がっていたから、帰りはきっと遅くなるのだろう。

 おかげでナマリは心置きなく学生として座っていられた。


 慣れてきた一室に座り、ナマリは手元の紙束をカイトとルネに差し出す。

 片手に余るほどの束となっているのは、あちらこちらから届けられた感謝の手紙だ。


「ふたりのおかげで、ここ数年荒れていた全体の流れがかなり落ち着いてるみたいだ。予想ではこのまま流れに任せれば急激な変化はないはず。だから数日間様子を見て、そのあとは随時、必要なところに必要な対応をしていく感じでいけるんじゃないかと」

「それはうれしいな」

「あたしはちょっと残念かも。カイトくんとお出かけできなくなっちゃうんだもん」


 わいわいと賑やかに過ごしていたところ、シキが部屋に勢いよく飛び込んできた。

 慌てた様子の彼女は険しい顔で叫ぶように言う。


「報告っす、動きがあったっす! 雷の子、補足したんでみなさん出動をお願いするっす!」


 その声を待っていたかのようにずん、と強い揺れが襲った。

 一瞬遅れて屋敷がびりびりと振動する。


「わっ、わっ!」

「なになになになに!」

「なんだ!?」


 カイトとルネが動揺するなか、素早く立ち上がったナマリはシキの隣をすり抜け、縁側から庭へと飛び降りる。

 そのつま先をかすめて、地を穿ったのは雷撃だ。


「あハッ! 見ィつけたァ!」


 はしゃいだ声に顔をあげたナマリは、空に浮かぶ人物を見つけて目を見開いた。


「お前、あのときの雷の!」


 穏やかなひとときは消し飛び、ナマリたちのあいだに緊張感が走る。


 宙に立っていたのは数日前、ナマリとカイトに向けて雷を放ったフードの人物だ。

 その足下にあるアベ家の門が大きく壊れていた。雷を受けたのか、崩れ落ちた柱のあちこちから煙が上がっている。


 肩に乗る雷獣が威嚇するように毛を逆立てると強い風が吹き荒れる。

 雷獣の放つ雷に誘われたように、山の端に散っていた天鬼が建物の真上にぞろぞろと集まり、みるみるうちに陽光は姿を消した。

 ぐっと気温が下がり暗い雲の中で雷光がばちばちと唸りをあげる。


「な、なんでここに入れたっすか! この空間はご主人の護符を持ってるか、許可を得た者じゃないと入れないように作ってあるのに!」


 ナマリの背に隠れて叫ぶシキの声に答えたのは、フードの人物ではなかった。


「護符というのはこちらのことでございましょうか?」


 いつの間に現れたのか、打ち破られた門の内側に佇む男がひとり。

 長身痩躯を落ち着いた洋装に身を包み、その顔に穏やかな微笑を浮かべた男だ。

 笑顔があまりにも凡庸であるからこそ、紫電の駆け巡る現状との乖離がはげしく、男の異様さが際立って見える。


 そんな男が「こちら」と言いながら懐から取り出したのは、鳥居が描かれた紙切れ。

 カイトとルネがアベから渡されたものとよく似ている。


「なるほど、鍵となるのはこの紙そのものでしたか。許可を得た当人も必要なのかと考えていましたが、勘繰り過ぎたようです」


 シキの言葉にふむと頷いた男は、縁側に出てきたカイトたちに目を向けると、にこりと笑う。


「はじめまして、私はノーギル・ルソーと申します。どなたか私のモルモットになりたい方はいらっしゃいませんか?」


 穏やかな笑みだというのに、その目に捉えられたナマリの背中にぞ、と悪寒が走ったのはなぜなのか。

 訳もわからないまま、ナマリはタクトをにぎり呼び出したクラゲを空に放った。


「きららッ!」


 呼び声に呼応してきららが傘を広げる。そこへ降ったのは雷の雨。

 バチバチバチッ。

 弾けた雷光が暴れまわる下でルネがへたり込み、カイトが顔を青ざめさせた。

 焼け焦げた土と草の臭いが立ち登り、恐怖をくすぐる。


「おやおや、躾けのなっていないモルモットで申し訳ありません。ほら、きちんと当てて意識を刈り取って差し上げなさい。暴れられては困るのです。私は荒事など向かない研究者なのですから」


 おっとりと笑うノーギルの言葉でフードに人物が身を震わせた。


「あ……あァ、ごめんなさい、ごめんなさい! もっと、もっとォ、もーっと雷ィ! 雷降らせてよォ!」


 謝罪を口にしながら雷獣をわしづかみ、がくがくと揺さぶる。

 雷獣は「ギャゥ! ギャッ」と鳴きながらも、その手の主に牙を剥くことはしない。


「契約主が天妖になんて事するっすか! その手を離せっす!」


 叫んで傘の下を飛び出したシキはまるで体重を感じさせない動きで跳び上がり、フードの人物の腕にしがみついた。

 振り払おうと揉み合うなか、空から降った雷の一筋がシキを撃つ。


「ぎゃっ!」

「シキっ!」


 ナマリは雷が轟くなか駆け出した。

 恐怖を感じる余裕もなく、ただシキを受け止めなければ、という思いに突き動かされるままその場に走り込む。

 黒煙の筋を宙に残しながら落ちてきたシキの体が地面に激突する前に、ナマリは両腕を広げて彼女を抱き止めた。

 腕のなか、人ならざる者特有の重みのなさがナマリが不安をあおる。


「ナマリ、さま……あの子、入学予定者っす……指揮官候補なのに、連絡とれなくって……シデンちゃ、んを止めて、あげて……」


 シキはうめくように告げ、ナマリの腕の中でぼろりと崩れ去った。


「シキちゃん!?」

「うそ! し、死んじゃったの?」


 カイトとルネのあげた悲鳴に、ナマリは静かに首を横に振る。


「いや……シキは実体を持たない幻獣民だから、死にはしない、と思う」


 否定を口にしながらもナマリの表情は硬い。

 噛み締めた唇に血を滲ませ、握りしめた拳をゆっくりと開いた。


 受け止めたはずのシキの重みはそこになく、ほんのちいさな焼け焦げた紙片が形を無くして風に消えた。

 きっと無事だと信じたい。

 けれど今、それを確かめる術はない。


 それをひどく残念に思いながら、ナマリは空っぽの手の平をにぎりしめた。

 腹の底がぐつりと沸くのを感じるけれど、不思議とナマリの表情は凪いでいる。


 途中、ノーギルと絡んだ視線を無視してナマリが見据えたのは空。

 シキともみ合い、被っていたフードを背中に落とし、その下に隠れていた素顔をさらした紫電だ。


「ねえ、シキちゃんが言ってたけどあの子も同級生なの? なんで、なんであたしたちを攻撃してくるの!」


 ルネが声をあげるけれど、シデンは反応しない。

 細い首に巻かれた包帯の痛々しさもあらわに、どこか遠くを見つめて彼女はつぶやく。


「雷、雷出さなキャ……」


 うつろな目をしたシデンが発した声はうわごとのようでひどく危うい。

 カイトはその頭上に渦巻く暗雲を払おうとしているのだろう、天を指さして、八咫烏を放った。


「ヤタ、雲を散らして!」

「クアッ……ァアッ!」


 飛び立った八咫烏だったが、吹きつけた風とともにやってきた天鬼に打たれて吹き飛ばされる。


「雲が、散らない! ヤタ、ヤタ! 雲を散らして、雷を消すんだよ!」


 必死の呼びかけに応えようと、太陽の遣いは体勢を立て直し羽ばたいた。その翼から生まれた風が雲をかき乱す、けれど。


「やだァ!」


 シデンの拒絶ひとつ。

 呼応するように降った雷に打たれて、八咫烏は声もなく姿を消した。乱れた雲も瞬く間に元通り。


「ははは。薬がよく効いているようですね。たがの外れた人間に、理性を持って挑んで適うはずがありません」


 ひとり、場違いに楽し気なノーギルの笑い声が暗雲の下に響く。


「そんな……」


 愕然とつぶやいたカイトは八咫烏の消えたあたりを見つめてふらふらと後ずさった。

 ルネのその背後で青ざめ「やだ、こわいよぉ」と涙をにじませている。


「雷、雷をもっと。もっと!」


 求められるまま力を振るう雷獣が苦し気に力を振り絞りながら、けれど気づかわし気に自身の主を見上げて「グゥ」と鳴く。

 しかしシデンの視線は宙をさまよい、己の天妖に向きはしない。


「雷、出さないと……じゃないとボクのォ、ボクの価値なくなっちゃうゥゥ!」


 叫んだ少女を目がけて、ナマリは駆けた。

 心得たように進む先へ移動したきららの傘を踏み台に、さらに空へ。


「もうやめろ」

「!?」


 突如、目の前に現れたナマリに驚く程度の理性は残されていたらしい。

 自分ひとりきりだと信じていた空で人と鉢合わせたシデンはきょとりと瞬いた。

 けれど、ナマリの手が自分に向けて伸ばされていると気づくと、怯えたように震えてまぶたをぎゅっと閉じる。


「い、ヤダッ!」


 バチンッ!

 落雷がナマリを襲う。

 無防備なその身が雷光のなか、黒く浮かびあがったのを目にしてカイトとルネは息を呑み、ノーギルは興味深げに目を細める。

 誰もが空を見上げるなか、ナマリは落下するでもなく焦げるでもなく、自身を守ったクラゲの傘にぽよんと受け止められる。

 そして自身へと雷を放った相手に手を伸ばした。


「降りよう、ここは寂しすぎる」


 再び伸ばされた手を見つめるシデンに、怯えは無い。

 彼女の見開かれた目を見返してナマリは笑う。


「自己紹介がまだだったな。ナマリだ。あんたと同じのアマツチ学園に入ったばかり。十六になる」

「あ……」


 ぱちり、ぱちり。

 瞬きを繰り返したシデンは慌てたようにフードを被り直し、視線をうろつかせた。

 そうして、差し出されたままの手をおずおずと握る。


「シ、デン……トドロキ、シデン。十七歳。ボクのほうが年上、だ」


 幼子と言っても通じるほど小柄な身体と、愛らしい声でそう告げたシデンに「え」と声を上げたのはナマリだけではなかった。

 けれどゆっくり驚いている暇は無かった。


「あ……」


 ふら、と傾いたシデンの身体をナマリが抱き止める。

 腕のなか、くったりと力の抜けた彼女の肩の上で毛を逆立てていた雷獣は、ナマリに噛みつこうとしたのだろ。

 大きく開いた口が食らいつく前に「ガウ!」と鳴き声を残してその姿が消えた。


「きらら、下ろしてくれ」


 クラゲは言われるままふわふわと地上に降りていく。

 ふよん、と地についたその傘から降りたナマリに、ルネが泣きながらも顔をあげる。


「ナマリくん、その子……」   

「大丈夫、気絶してるだけだ」


 シデンは青ざめた顔をさらしていたが、うすい胸は規則正しく上下している。

 ほっと息をついたルネが涙をぬぐったとき。


「おやおやおや。サンプルを増やそうと思って来ましたが、モルモットに逃げられてしまいましたか。まあ、それはもう充分実験をしたので、構いませんけれどね」


 思わぬほどの近さで聞こえたノーギルの声に、ルネはびくりと身体をすくませた。

 その首筋にひたりと押し当てられたのは、鋭い注射の針。


「お前、なにをする気だ!」

「ギャウウゥッ!」


 鉛が叫ぶのと同時、ルネに巻き付いていた青龍が吠えた。

 ためらいもなく跳びかかった青龍の牙が、注射器ごと悪意を粉砕する。

 そのままノーギルに食らいつこうとする青龍をするりと避けて、長身の研究者は鳥居のそばへ歩を進めた。


「少し血をもらおうと思っただけなのですが、嫌われたものでございます」


 肩をすくめた彼は、にらみつけるナマリの視線など気にもしていないとばかりに、にっこり笑ってみせた。


「実験はままならないものです。ですが、それでこそ研究のし甲斐があるというもの。連れている動物の違いについても詳しく知りたいところでありますし、次はもう少し下準備を済ませて来なければいけませんね」


 ぐつぐつとナマリの腹の底で湧き上がるのは怒りだ。

 空に暗雲がたちこめるように、怒りがナマリの胸のなかをじわじわと埋め尽くしていく。

 けれど怒りに身を任せることはしたくなかった。


 最期の時までナマリたちを案じて微笑んで見せていた父のように、取り乱すことなくありたかったのだ。

 感情に振り回されてしまわないよう、ナマリは意識して感情の手綱をにぎる。


「……二度と来るな」


 感情を抑えた声はひどく低かった。

 低く地を這うナマリの拒絶にも構わず、ノーギルはひらひらと優雅に手を振って返す。


「次はあなたにもご自分の中身を見せてさしあげますよ。では、またお会いしましょう」


 ゆったりとしたお辞儀をひとつ。

 ノーギルの姿は門の向こうに消えた。


 空を満たす雲からばたばたと雫が落ちてくる。

 腕のなかのシデンが濡れてしまうから屋根の下に入らねば、と思いながらもナマリはその場から動けずにいた。

 ぶつける先を失くした怒りが、未だ腹のなかに居座っていたから。

 腰が立たないのだろう、座り込んだルネのそばではカイトがうつむき雨に打たれている。

 頭上では暗雲が渦を巻き、肌を打つ風雨は強さを増していた。

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