光も届かぬ洞窟の底
「素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!」
陶然と叫ぶノーギルの瞬きを忘れた眼球に、水晶が発する明かりがぬらりと映る。
視線は水晶の球面から片時も離さないまま、彼の手は周囲の機器に表示される数値を書き留めていく。
「もっと、もっとです。あなたの限界を見せてくださいませ!」
興奮した彼が叫んだそのとき。
ドォン!
雷の直撃を受けた床板が大きく割れて部屋中に飛び散る。
破片の一部が術式を破壊したのだろう。ノイズを残して途絶えた水晶の映像に肩をすくめて、ノーギルは空気穴に顔を寄せた。
「……素晴らしい力でございます。このまま限界を見たいところでありますが、残念ながら測定機器が故障しました。一度、休憩といたしましょう」
口では促す形を取りながらも、操作盤に指を走らせたノーギルは拘束具を緩めるだけ。
耐電壁が退けられたガラス窓の向こうでは、部屋の真ん中に座らされたフードの人物が拘束具という支えを失ってぐったりと床に倒れ込んだ。
部屋の中と外を隔てるひどく重たい扉を開き、踏み込んだノーギルの足元で紫電がはじける。
「おっと」
無骨な耐電ブーツに守られたと知った彼は肩をすくめて歩を進めた。
ゴツ、ゴツと優雅さにかける音を響かせてたどり着いた部屋の真ん中で、虚な目がノーギルを映す。
「このような不格好はわたくしの好みではございませんが、実験体の扱いに失敗して感電死など、まったく笑えない話でございますから」
笑えない、と言いながらもノーギルの唇はゆるやかに弧を描き、目は愉悦に細められている。
その目でフードの人物を見下ろしたノーギルは、青白い頬に手を伸ばす。
「フシャアッ!」
「おっと」
ノーギルの指先を獣の牙がかすめていく。
紙一重で避け損ねた彼の手袋がすぱりと切れていた。
穴の空いた手袋を引き抜いて投げ捨てた彼は、フードの内側に潜む雷獣を見つめてねっとりと笑う。
「雷獣。不可思議な存在ではありませんか。雷を操る獣などという不可思議な存在でありながら、現実に存在する物への干渉も可能とは。ぜひぜひ詳しく調べたいものです」
ノーギルを睨みつける雷獣は、フードの人物を守ろうとするかのように毛を逆立てる。
ぱり、ぱりりと飛んだ雷光にノーギルが後ずさる。
けれど。
「ヤダ、もうヤダぁ……かみなり、こわいぃ……!」
フードの下から漏れるうめき声に雷獣はハッとして、雷をおさめる。
その隙にノーギルは素早く手を伸ばし、喘ぐように開いた口に赤黒い結晶をねじこんだ。
「さあ、あなたの心を解放する薬ですよ。先日は勝手に抜け出したりして、苦しかったでしょう? つらかったでしょう。あなたはもう勝手に私の元を抜け出したりしません。私の研究にとても役立つ良い子になります。いいですね? 今後も言うことを聞いてくだされば、このお薬を差し上げますからね」
「あ……あぁあ!」
うめきは叫びへと変わり、フードの人物の四肢は本人の意思とは関係なく、宙をかく。
抗うように、見えない何かを振り払おうとするように、身動ぐたびに雷が宙を走っては消えていく。
けれどその動作はぱたりと止んだ。
気遣わしげにフードの下に潜り込んでいた雷獣の姿も消えたことから、獣の主の意識が途絶えたのだと知れた。
床にぐったりと倒れ込むその人の頬に指を這わせて、ノーギルはため息をこぼす。
「はあ。やはり一度、中身を見たいものですね。雷を発生させる原理、自身が雷に耐え得る理屈、意識の有無で姿を見せる不可思議な獣。調べれば調べるほどわからないことが増えていきます」
言いながら、ノーギルの指はフードの下の白い肌をたどる。
頬から喉へ、わずかに隆起した胸をかすめてみぞおちで止まる。
「力の源はどこでしょう。意識を無くすことが関与する点を考慮するならば脳。かつて捕えた魔女での実験もその可能性を示唆しています。けれど自身の力でその身を害さない点は全身を巡る血に要因があると考えられるため、脳意外を削ぐのは早計に過ぎるでしょう。しかし採取した髪も血も皮膚も先ほどの雷の影響を受けていることを鑑みるに肉体の構成物のみでは不十分。であれば、異能を発揮するのに必要なパーツとは何でしょう」
こつ、こつ、こつ。
フードの人物の胸をノックし、ノーギルは「ふむ」と考え込む。
「足りないのは古来より語られる魂なるもの、精神なのでしょうか。であるならばやはり、精神のありかを探ることが先決。となると、脳か心臓かそれらを繋ぐ器官のどこかにあると考えられますが……モルモットが一体だけでは端から削ぐわけにもまいりません。困りましたね。換えの効かないサンプルはまったく使いにくくていけません」
独りつぶやいたノーギルに、応える者があった。
「でしたら、この子が入学予定だった学校に行ってはいかがですかな!」
大きな声の主は樽のような体をした環善会の会長だ。
突き出た腹のせいでふんぞり返りながらも、彼は部屋の入り口から入ってこようとしない。雷撃の駆け抜けた室内が恐ろしいのだろう。肉で狭められたその目には畏怖がにじんでいる。
「会長どの」
ゆったりとした動作で立ち上がったノーギルは足元で弾ける雷をぱりぱりと蹴散らしながら、部屋を横ぎっていく。
人知を超えた力への畏れなど持たない彼は、優雅に会長の前に立つと、フードの人物から採取した血液をたぷりと揺らして微笑んだ。
「先ほどのお話、大変興味深くございます。詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ! もちろん、もちろん。あんたのお陰でずいぶんと我が会も賛同者が増えてますからな。いやあ、完全なる環善者とは、我ながらうまいこと言ったもんだ。はっはっは!」
彼らは連れ立って歩きだす。
声と足音が遠ざかるなか、フードの人物は気絶したまま、うわごとのようにつぶやく。
「たす、け……もう、やだ……よ……」
かすかなうめき声は誰の耳にも届かず、洞窟の暗闇に飲まれて消えた。