ナマリの憂鬱
お披露目の効果は抜群だった。
噂を聞きつけた方々の町村から、学園へと手紙が舞い込んだのだ。
「これはハタの谷村。長雨と書かれているからカイトの出番だな」
「こっちはアララギ川沿いの町っすね。川の水嵩が減っていて心配だそうっすから、ルネさんにお願いしなきゃっす」
人のうわさは風のごとし。
学び舎前の通りで天候をあやつって見せてからまだ一週間。にもかかわらず、遠方からの手紙もちらほらと届き始めていた。
はじめはアベの屋敷に届けられていた手紙だが、あまりにも数が多くそして頻繁に届くため、ムギが「ええい、うっとうしい!」と怒るほど。
そのため急遽、ナマリたち専用の部屋とされた帝都の学び舎にある一室は、いまや手紙置き場と化していた。
ナマリとシキは山と届いた手紙を開けては、振り分けていく。
カイトはあっちの村へ。ルネはこっちの町へ。
今もアベの引率のもと、帝都の外を巡っているふたりへの依頼をこなせる道順を導き出す。
「こことここを通るにはどの道を通ればいいっすかね。うぬぬ、これじゃすごく遠回りになるっす……」
「そうだな……ひとまず一方だけ回ってもらうのはどうだろう。こちらの町からの手紙の内容は、ぜひ気象指揮官に来てもらいたいとあるが、この下流にある町村から天候への助力を願う連絡はまだないようだから」
頭を抱えたシキにナマリは地図を指さした。
「急ぎじゃないなら、余裕ができてから回れば良いんじゃないかと」
「ナマリさん天才っす! そうっすね。そうしましょう!」
手紙の数は増える一方だが、急ぎの要請はそう多くない。
加えて、天候は流動的なものだ。
気象指揮官の力を使わずとも解決することもある。
「ああ、そろそろ二人とも帰って来そうだ」
ふと、顔をあげたナマリは格子窓越しに見える空に目をやって言った。
西の空に晴れた箇所と雨雲で満たされた箇所が隣接している。それだけならばただの天候の変化の可能性もあるが、ナマリには天鬼たちの表情まで見て取れる。
西の空を舞う天鬼はまばゆさに目を細めるような顔をしつつ、喜色をにじませて暗雲とたわむれているのだ。
あんなおかしな天鬼は他では見ない。その空の下にカイトとルネがいるに違いない。
「ははー、わかるもんすかね。晴れと雨が混在してるのは自分にもわかるっすけど」
「シキならわかりそうなものだけどな。幻獣民は本来、実体を持たないって聞くから天鬼と似たようなものじゃないのか?」
「うーん、そう言われれば人よりは自分らのほうが天鬼に近いんでしょうけど。とはいえ、別種に変わりはないっすよ。人が獣の顔を見分けられないのといっしょで、自分らも天鬼の姿は見えても表情まではわからないっす。やっぱりナマリさんが特別なんすよ」
「そんなものか」
わかるようなわからないような、ナマリがあいまいな返事をした時、ちょうど部屋の扉がからりと開いた。
ひょいと入室してきたのはアベだ。
「そーですよ~ナマリくんは自分が特別だということ、そろそろ自覚した方がいいですね~」
「ご主人!」
「アベ先生。早かったですね。カイトくんとルネさんは?」
旧友といっしょに出かけていたはずのアベが戻ったというのに、その後ろに続く人はいない。
首をかしげるナマリに、アベは掌をほほにあてた。
「彼らには天鬼をよ~く見てから戻るように伝えてきたんです。ゆくゆくは自分たちで天鬼の様子を見て、天候に手を加えるべきか否か判断できるようになってもらわなくちゃですからね~」
ナマリ同伴を申し出るもアベはもったいないという。
困惑ぎみのナマリは、ふよんと宙に踊るクラゲのきららを突いて空を見上げる。
「俺の特性が中途半端なのはわかってますが、でも何を学んだらいいのか……」
つつかれたきららは空に触手を伸ばす。
その動きにあわせて雲がもこもこと寄り集まって濃くなっていく。
ナマリの特性は雲を操ること。
晴れをもたらすでもなく雨を降らせるでもなく、ひたすらに中途半端な能力だと知れた。
知れたが、それだけだ。
カイトのように暗雲を晴らすわけでなく、ルネのように雨の恵みをもたらすわけでもない。
「何を学んでも良いんですよ~。なにせここは学び舎ですし。むしろナマリくんは天鬼を見る力はじゅうぶんですからね。焦らず、ゆっくりじっくり知識を蓄えてもらって」
「……知識ばかりでは何もできないじゃないですか」
アベはナマリの天鬼を見る力を誉めてくれるが、ナマリにはそれしかない。
「カイトやルネさんみたいに誰かの助けになれるほうがよっぽど立派だ」
タクトに認められ気象指揮官となったその日には、カイトとルネは天候を操ってみせた。
ここ数日はアベに連れられて帝都外で天候不順に困っている人々を救っている。
本当はナマリも同行してせめて天鬼を見る力で役立ちたかったけれど、アベに「ナマリくんには他に学ぶべきことがありますから」と置いて行かれてしまったのだ。
正直、かなりがっかりした。
同じ日に同級生となった二人が実地に出ているなか、ひとりだけ取り残されたのだ。
ナマリだとて、自分が特別に優れた人間だと思っていたわけではない。
けれど特別な力があると言われて。生まれ育った野山から遠く離れた華やかな帝都まで連れて来てもらって。天妖と契約を交わすという不可思議に対面して。
何かが変わるような気がしていたのだ。
何かができるような気がしていたのだ。
だというのに、できるのはじっと座り学ぶことだけと言われてしまったのだから。
学ぶべきことが山のようにあるとは、ナマリだってわかっている。
ここ数日、手紙の仕分けのほかに学び舎での講義に顔を出していた。
学びの内容は教室によって違っており、気温による気象変化に関する講義もあれば地形による気象への影響、あるいは地域ごとの過去の気象情報を知ることのできるものもある。
ほんの数日で、自分にはなんの知識も無いのだと感じさせられていた。
だからもっと学ばなければ駄目なのだとわかっている。
わかってはいるけれど、ナマリの気持ちが落ち込んでしまうのはどうしようもない。
「ううーん。立派というか彼らの場合は力が暴走ぎみだから、早々に制御を身につけてもらいたいというのが本音なのですけどね~」
どうしたものか、とアベが頭をひねっていると。
「ただいま戻りました」
「カイト」
部屋の戸を開けてカイトが帰ってきた。
「おや、ルネさんは一緒じゃ無いんすか」
「ああ。ルネちゃんは疲れたから家に帰るって言ってたよ。お札の鳥居をくぐるのは見届けたから、間違いなく帰っているよ」
「報告ごくろうさまです。カイトくんも今日は帰宅して構わないと伝えたはずですが?」
「はい、それは聞いたんですけど」
アベが言外に何か用事があるのかと問えば、カイトはナマリに視線を向ける。
「ナマリくん、時間をもらっても良いかな」
※※※
カイトと並んで帝都を歩く。
悪目立ちするので天妖たちはタクトと一緒におやすみだ。
そのため、本当にカイトとナマリのふたりきり。ルネに見つかったら嫉妬されるかもしれない――などと思いながらナマリはぼんやり歩く。
目的地は知らないが、中心部から遠ざかるごとにだんだんとにぎわいが遠のいていくのがよくわかる。
「弟妹を連れて散歩することもあるんだが、こっちのほうはまだ来たことがないな。カイトの家があるのか?」
「そうだね、我が家のある方角だ。けれど、実は僕の家はもう通り過ぎてしまっていてね。屋敷に招待するのは今度で良いかな」
「もちろん。付き合うと言っただろう」
そう話すうちにもあたりはいっそう静けさを増していく。
同時に、ナマリは懐かしさを覚えていた。
「このあたりはなんというか……馴染みのある建物が多いな」
見渡せば、建ち並んでいるのは茅葺きの小屋がずらりと並んでいる。
ナマリの生まれ育った村に建っていたものより壁も柱もしっかりとしているけれど、帝都で多く見られる瓦葺きの家々に比べればずいぶんと質素だ。
そんな家ばかりが建ち並ぶ界隈は、やはり帝都らしくなくしんと静か。
「帝都が安く貸し出している地域でね、働きに出る人が多いから、昼間は静かなんだよ」
なぜ安いのだろう。
その疑問はすぐに解消された。
「もうすぐ都の外なのか。けど、大きな街道が無いんだな」
「そう。だから商売には向かないし、店が遠いからあまり人気がなくてね」
質素な家すらもまばらになるころには、もはや帝都とその外との境目すらあやふやで。すこし先には草が生い茂る野原が広がっていた。
他には何もない。
こんな場所に連れてきて、なんの用だろう――ナマリが不思議に思いながら空を眺めていると。
「僕に、天鬼の見方を教えてもらえないだろうか」
振り向けば、思いつめた顔のカイトがいた。
「え?」
「いや、虫のいい話だとわかってはいるんだ。君には何の利も無い。むしろ時間を割くだけ損をするというのは」
「構わないが」
「失礼にあたらないのならもちろん謝礼は用意させてもらうし……え?」
「別に構わないぞ」
重ねて言えば、カイトはぽかんと口を開く。
「利が無いっていうけど、俺も一応は気象指揮官だから。カイトたちがもっと活躍してくれるなら助かる。時間はまあ、ちびたちをムギさんに預けてるからあんまり遅くなると困るけど。謝礼も別に、暮らしはアベ先生が保証してくれてるからなあ」
衣食住、すべてをアベの世話になっている状況で、金をもらっても使いどころがない。
いつか村を再建するためには必要になるのだろうけれど、今カイトからもらうのは違うだろう。
「それに、友だちから金をもらうのはなんというか、落ち着かないから」
「ナマリくん!」
正直な気持ちを口にしたナマリの手をカイトが両手で握り込む。
その勢いに驚いたナマリは、きらきらと目を輝かせるカイトを見てもう一度驚いた。
「君はなんて良い人なんだ! 君のような人と学友になれて僕は本当に、本当に幸せ者だ!」
感極まったカイトの様子に、ナマリは驚くばかり。
ちいさな村ではできる者が教えることが当然であったから、こんなにも感謝されるとは思わなかったのだ。
とはいえ、喜んでもらえているようでナマリとしてもうれしくなる。
「うまく教えられるかわからないが、精いっぱいがんばろう。そうだな、まずはカイトがどれくらい天鬼を見分けられているのか知りたいんだが」
まずは天鬼を探そうか、と空を見上げたナマリは緩んでいた表情を引き締めた。
空に黒い箇所があった。
黒雲がぽかりとにじんでいるようにも見えるが、違う。
目を凝らせばそれが天鬼の群れだとわかった。
数匹が群れているのではない。
半透明の天鬼が黒く見えるほどみっしりと集まっているのだ。
ナマリはぞっとした。
異様な天鬼たちの様子に見覚えがあったのだ。
村が押し流されたあの時。父が土砂に呑まれたあの時に見た天鬼の群れと、よく似ていた。
そうと気づくまでの間にも天鬼の群れはみるみる膨れ上がり、ナマリたちの頭上へとやってくる。
「カイト! アベ先生のところへっ」
皆まで言うことはできなかった。
ドォンッ!
激しい音と光を伴った何かが、ナマリたちを吹き飛ばしていた。