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雨女

「ぐすっ。いいの、あたしみたいな女は雨に濡れてるのがお似合いなの」


 カイトの呼びかけに応える声は卑屈なもの。

 やっぱりもう放っておいて、アベあたりに対応を任せたほうがいいのではないか。

 ナマリはそう思ってしまうけれど、カイトは親切な男だった。


「そうだね、雨は天の恵みだっていうもんね。君みたいなかわいい子にぴったりだ」


 にこ、と笑うカイトは本気でそう思っているのだろう。

 対応に困る卑屈な発言にかけらもひるまず、正面から受け止めるカイトは同性の鉛でさえ「え、こいつかっこいいな」と思ってしまうほど。

 その堂々とした姿は、雨に濡れそぼって泣いている彼女には刺激が強かったらしい。


 どさり。

 鳥居の影から転げ出てきた少女は真っ赤な顔をして、胸の前で手を組んだままカイトを見上げている。


「え、好き……」


 指を組み合わせ、つぶやいた彼女の視界に映るのはカイトだけ。

 地面に転がったままの彼女の目が熱にうるんでいるのに気が付いて、ナマリはそっと傘の下から退散した。


 ナマリの心境は、どうぞ二人の世界にお入りください、だ。


「好き……あたしの王子さま……」

「王子ではないな。僕はカイトだよ。ハレワタリ=カイト」

「あ、あたしルネです! フリシキ=ルネ。あたしの運命の王子さまは、こんなところで何をなさってるんですか!」


 もじもじ照れ照れ、顔を赤らめ潤んだ目でちらちらと見ながら口を濁すルネだが、彼女の様子に気付くカイトではない。


「僕はたったいま、この学び舎の学徒になったばかりなんだ。もしかして君もかな?」

「はい! そうなんです!」

「そうなんだ。適正があると良いね。いっしょに学べるから」


 にこり。カイトが微笑んだ瞬間、ルネの目が血走った。

 鬼気迫る形相をした彼女の目玉がぎょろりと動くのを見て、ナマリは悟る。

 

「適正検査なら、あそこの狩衣を着たアベ先生が受けさせてくれる」

「圧倒的感謝っ」


 早口に言って駆け出したと思ったら、ルネはすでにアベの前。

 掴みかからんばかりの勢いでタクトを受け取るのを見ながらそばに行けば、ちょうど呪文を言い終えるところ。


 タクトが光り、光が集結したあとにそこに居たのは、青い龍。

 ルネの両腕に収まる程度の、こぶりな龍だ。


 するりと長い胴体は川の流れのようにすんなりと美しく、半ば透き通って見えるうす青色の鱗は夜闇にこぼれた雨粒のようにきらりと輝いている。

 鱗を雨と見立てるならば、額から尾へと続くたてがみは雨を降らせる雲だろう。

 濃淡のある毛並みは風もないのにゆるりと大気にたゆたっている。


「龍だ」

「龍……」

「青い龍……!」


 群集がまたしてもざわめく。

 漏れ聞こえる声から、ルネは大きな商家の娘なのだと知れた。

 うえに姉が二人いるため嫁ぎ先を探していることも。

 

 カイト、狙われるな――現実逃避ぎみに思うナマリのとなりで、カイトは龍を見て「すごいな!」と感嘆の声をあげているけれど。


 呼び出した本人であるルネは、眉を下げて悲しげだ。

 自身の手のなかのタクトをじっと見つめたルネは、カイトの肩に止まる白いカラスを見つめてぼそり。


「あたしもカイトくんと同じ鳥が良かったのに」

「ギャッ!?」


 周囲からの称賛がわかるのだろう、誇らしげに胸を逸らしていた青龍が、ルネの発言でショックを受けたように固まった。


 案外と感情表現豊かだなと感心するナマリをよそに、驚きの声を上げたのはカイトだ。


「えー! 龍だよ、龍! すごいよ、ルネちゃん、かっこいいよ!」


 裏表などない純粋な賞賛の声に、ルネは一瞬で頬を染め青龍を胸に抱き込んだ。


「そ、そうかな? なんか、龍ってかわいくなくない? 鱗だし。にょろにょろしてて蛇みたいだし。あたしはふわふわのほうがかわいいと思うんだけどぉ」


 うりうりぐりぐりと龍のたてがみに指を絡めながら視線を彷徨わせるルネに、カイトは真顔で首を横に振った。


「ううん、そんなことないよ! すごくかっこいいし、ほらよく見て。たてがみがサラサラのふわふわだよ。それにきっとすごく強いんじゃないかな。だって龍だよ! ねえ、ナマリくんもすごいと思うよね!」

「ああ。見るからにレベルが違うってわかる」


 急に話を振られたナマリは、素直に頷いた。

 クラゲを呼び出した自分と比べれば、龍など立派すぎて嫉妬する気にもならない。


「それに、見た目もすごくきれいだ。なんというか、フリシキさんに似合う気がする。なあ、カイト?」


 慌てて付け足したのは、なおも落ち込む龍があんまりかわいそうだったから。

 カイトに話をふったのは彼の言葉なら彼女に届くと思ったのと、カイトならば悪いようには言わないと確信していたからだ。


「うん! すごくぴったりだ。ルネちゃんによく似合ってる」


 ナマリの思惑どおり、カイトは裏などなく素直に頷いた。

 度重なる賞賛に青龍はうなだれていた首をそろりと持ち上げ、呼び出した主であるルネもまた抑えきれない喜びにそわそわし始める。

 彼女の場合はカイトの顔ばかり見つめているので、理由は明白だ。


「そっかな。ううん、カイトくんがそう言ってくれるんだもん、よく見たらあたし、この子のこと好きかもしんない!」


 ルネがぎゅ、と青龍に頬を寄せた。現金なものだ。

 これで青龍も機嫌よくしてくれるとナマリは思ったのだが。


 青龍は「ギュアア!」とひと声鳴くとルネの腕を抜け出して、空に躍り上がった。

 気安い接触を嫌がったのかと思いきや、青龍が三人の頭上でくるりと回ると落下していた雨粒がふわりと浮いて、青龍の周囲で消えていく。


「すごい……」

「うわぁ!」

「神秘だな」


 ときめきを抑えながらルネはカイトを見つめる。

 ナマリならばそっと目を逸らすか、曖昧に笑ってしまうような熱視線を真正面で受け止めて、カイトはにっこり笑った。


「すごいな。こんなにすごいことが僕にもできるのかな」

「カイトならやれると思う」

「カイトくんならできるよ! きっと!」


 そろって同意したナマリとルネは、顔を見合わせる。

 そして、そう言えばまだ名乗っていなかったことを思い出した。


「ナマリです。いっしょに学ぶことになる、と思う。たぶん」

「フリシキ=ルネだよ。カイトくんのお友だち? だったらあたしとも友だちだねっ」


 てっきり邪魔者扱いされると思っていたナマリだが、ルネはにっこり手を差し出す。

 

「ん? うん、うん?」


 そうだろうか。ちがうような気もするが――否定するのもおかしいよな、と首をかしげたところで、ナマリの背中を突く手がある。

 振り向けば、いつからそこに立っていたのか。ナマリの背後に隠れるようにして式がいた。


「ナマリさん、ルネさんに青龍を止めるよう言ってほしいっす!」


 言われて空を見上げれば、そこには懸命にくるくると回り続ける青龍が。

 ルネに褒められたのがうれしかったのだろう。それはわかるが、気合を入れすぎて目が回ってでもいるのか、回転する体がぶれて空へ地面へ飛び回る姿はずいぶんと危なっかしい。


 見回せば、その青龍から逃げるためだろう。

 あたりにいたはずの貫頭衣を身に着けた者たちはいなくなっていた。

 ナマリたちの頭上にはクラゲが広がり、傘のように雨粒を受け止めているおかげで気づかなかったのだ。

 雨粒だけでなく、ときどき龍自体がぶつかっているがクラゲはぼよんと跳ね返して平気でいる。

 半透明でか弱げな割に、案外と丈夫らしい。


 こういう時は立場のある者を頼るべきなのでは――そう思ったナマリが視線を向けた先では、気づいたアベがにこっと笑ってひらひら手を振っている。

 頼りにしてはいけない相手だ、と瞬時に理解してナマリはシキに視線を戻す。


「シキが伝えるのではだめなのか。すぐそこにいるんだから」


 人見知りをするようなタイプではないだろう、と返すナマリにシキは「いや~」と目を細める。


「ルネさんのそばにはカイトさんがいるっしょ。あの手の方は近づく者は皆、恋敵のようにふるまう可能性があるんすよ。今のところナマリさんはカイトさんのお友だち認定されてるようなんで、自分より安全だと思うんす」


 それを言われてしまえば、否定などできなかった。


「まあ、そうだな。シキはかわいいから、ルネさんが嫉妬心を抱く可能性はあるか。それに、ムギさんほどじゃないにしても、同性は警戒しそうな子ではあるしな」

「かわっ!?」


 ほんの昨日、アベの妻君に睨まれた身としては、同意せざるを得ない。

 そしてルネは思い人と同性の相手にまでは嫉妬しないらしいことがわかっている。

 そのうえで頼られ、しぶしぶ手のひらを差し出したナマリは、顔を赤くして絶句しているシキに気づかないままカイトたちの元へ。


 注意すべきは、ルネとカイトの間に割って入らないこと。

 気をつけながら近づくと。


「龍かあ。すごいな」

「えへへ。そうかな」

「うんうん、ルネちゃんに似て優秀な子なんだろうね」

 

 ふたりの会話をさえぎるのは大丈夫か、否か。


「あの、ルネさん。青龍が興奮しすぎていてあぶな……」


 そろりとナマリが口を開いたとき。

 

「クゥワッ!」


 不意に、八咫烏が鋭く鳴いた。

 かと思えば白い体が空に舞いあがる。

 白く光る翼を天に向け、大きく羽ばたいた。


「うわっ」

「きゃあ!」

「おお?」

「ぐぎゃッ」


 白い翼から放たれた風にゴウッとあおられ、三人は悲鳴をあげる。

 さすがのクラゲも突然の強風にぽよよと流され、体を縮めてナマリの頭へ落っこちた。 


 ナマリたちはとっさに閉じた目を開け、それぞれに瞬いた。


「あれ、雨が」

「やんだ、の……?」

「空が青いな」


 ついさっきまで雨をこぼしていた黒雲が、きれいさっぱり晴れていた。

 雨粒と踊るようにくるくる飛んでいた天鬼たちも吹き飛ばされて姿が見えない。

 青龍も風にまかれて落ちたらしい。ルネの肩にだらりと伸びている。


 けれどそれを気にする余裕はない。

 見上げた空の青さがあまりにまぶしかったのだ。

 雨に洗われた晴れ空の美しさに圧倒され、しばし誰もが無言になった。

 

「すごいな」

「うん、すごい。すごいよヤタ!」


 ナマリのつぶやきにつられたようにカイトが自身の天妖を褒めれば、カラスは嬉しそうに羽根をばたつかせて「くぅあ、くあぁ!」と甘えた声で鳴く。


「ヤタちゃん、すごーい! さすがはカイトくんの子だね!」


 ルネがカラスを褒めながらもカイトを凝視するのに、反応したのは青龍だ。


「グ……グギャ」

「ちょっとやめて。髪の毛引っ張らないでよ」


 自分を見てくれないルネの気を引こうと、彼女の髪を甘く噛んで引っ張った。

 けれどルネは視線を向けるどころか不機嫌に言って、青龍の身体を押しやったのだ。


 ガァン、とショックを受けたように目と口を開いた青龍に気がついたのは、ナマリだけ。


「おいっ」

「グギャアアァァァァ!」


 慌てて声をかけたときには青龍はルネから離れて宙にくねり上がり、青空に渦を巻いていた。

 ぐるりぐるりと回る動きに合わせて、青龍の鱗が波のようにきらめく。

 灰色がかったたてがみが嵐の前の雲のようにうねり、ざわめいたとき。

 ザ、と大気を震わせて落ちてきたのは大粒の雨。


「わあ!」

「やだっ、濡れちゃう!」

「……クラゲ、ありがとう」


 カイトとルネは慌てて肩を寄せ合い、ナマリのクラゲの傘に守られた。

 ナマリはほんの気持ち程度、ふたりから距離を置いてクラゲの下。


 けれども雨の勢いは激しく、いくら上からの雫を防いでも、下から跳ね上がる雨であっという間に膝まで濡れてしまう。

 仰ぎ見れば、空には再び天気の群れが踊り集まっていた。


 その様をクラゲの傘から仰ぎ見たナマリは、感心まじりにつぶやく。


「青龍の力、すごいな」

「うーん、雨がやんだり降ったり。すごいね」


 感心する男たちをよそに、鼻息を荒くする女がひとり。


「良いわ、リュウちゃん。とっても良いわよ! あたしが王子さまとしたいことのひとつ、相合傘ができちゃった! カイトくんったら、あたしが濡れないよう肩を抱き寄せてくれるなんて、だ・い・た・ん! うふ、うふふふふふふ!」


 カイトがクラゲの下に引き寄せているのを良いことに、ルネはカイトの腕に抱きつき彼の肩に頭をすりつけている。

 運命の王子さまに夢中な彼女の歓喜の声があがるたび、雨もますます勢いを増していくようだ。

 気のせいだろうかと視線をあげたナマリは、青龍がちらちらと傘の下の彼女に視線を向けていることに気がついた。


 青龍はルネの機嫌に一喜一憂するし、八咫烏が天鬼を払ったのもカイトが何気なく口にした褒め言葉に反応したためだったのだろう。


 これは放っておいたら収拾がつかないやつだ――遠巻きに見つめるシキの祈るような視線を受けながら、ナマリは優秀な学友たちにかける言葉を考える。

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