牢獄にて
アジュガは寒い冬に預かった三人の赤子を必死に温めながら山を下りた。魔の山の中央はドラゴンの魔力のせいか、ワープの魔法は使えない。いつもはありがたく思うその性質を初めて憎らしく思った。
帰って事情を聞いたアセビは、大事に育てよう、とそれだけ言った。あんなにドラゴンの娘を利用しようと考えていたのに、その時のアジュガはその決意が揺らいでいた。アセビはそれを察してなのか、他には何も言わなかった。
(なぜ揺れる?ようやく王族を倒せる手札が揃ったのに。俺の遠い親戚だからか?)
ドラゴンがそう言っただけで、実際のところはわからない。それでも、鏡のルエスは自分と同じ黒い髪に赤い目をしていた。そして、さっきほんの少し目を開けた赤ん坊も黒い髪に片方は赤い瞳をしていた。
国中どこを探しても、どの資料を漁っても、自分以外に赤い瞳の人間の存在はなかった。
(いや、だから何だ。結局はこの子も王族を倒す宿命だ。父親も母親も殺されて、今は自身を狙われているのだから。
王族を倒すように育てて何が悪い)
初めはそう考えていたアジュガも、成長する子どもたちを見る内に考えが変化していった。
「なあ、イル。俺は、あいつらとは違うだろ?」
セキがそう言ったのは、彼が十一歳の時だった。
「あいつらは覚えてないかも知れないが、ずっと前に学校に行って、里親が見つかったって言ってた、姉さんと兄さんがいた。あの二人は、もうこの世にはいないんだろう」
「なぜそう思うの?」
「存在を感じない。最近、変な感じなんだ。体の中に何か棲んでるみたいな、気持ち悪い感じ。そいつは日に日に大きくなっていってる。でも前からずっとあったもので、小さい時は僅かでも感じていたあの二人の存在を感じられないことに、今気づいたんだ」
ドラゴンの歪によって、同じような影響を受けた二人の存在を感じていたのかもしれない。
「そうだね」
アジュガは上手く誤魔化すことができなかった。
真実を話して、彼を待ち受ける運命も伝えた。受け止めきれなかったのだろうセキはわんわんと泣き出して、アジュガはまだ小さい体を抱きしめた。
「ごめんね、セキ」
「ジルは……レオも、モーリも、俺とは違うよな?」
「ああ」
三人も普通の子どもではない。それでも、セキと一緒ではない。
「そっか、なら、よかった。
だって、そんなの悲しい」
少し落ち着いたセキの目に、じわりとまた涙が浮かぶ。
「三人は幸せに暮らしてほしい。悲しいことなんて何も知らないで」
食いしん坊で荒っぽいところのあるセキが、こういうことを言うのは意外だった。
「そうだね。悲しいことなんて知らずに、幸せに……」
セキに共感する自分はもっと意外だった。
どこかで気づいてはいた。優しくて純粋なジルトを知って、もう強大な力を持つドラゴンの娘としては見られなくなっていることに。
何も知らないジルトは、アジュガを慕って、それこそ本当の家族のように接してくれる。眩しい程の笑顔が何度もアジュガを喜ばせる。
もう既に運命は狂っている。
ジルトは魔獣からレオとモーリを助けようとして、覚醒しかけた。魔力の引き渡しによって次代へと繋ぐドラゴンは、基本的に成熟した生物がなることが多い。いくら魔女の子とはいえ、まだ未熟なジルトにその魔力は大きすぎた。何とか魔力を封印することには成功したが、ジルトは記憶を失った。
どうにかモーリにかけられた強大な回復の魔法を解除することには成功したが、それにも三年時間がかかっている。王族が北部を嫌うおかげでどうにか今まで難を逃れているが、もうそろそろ調査団も最北端まで操作の範囲を広げるだろうから、中央にでも逃げた方がいいかもしれない。
何より、自分のせいでと自身を責め続けるレオには、一部本当のことを話してしまっている。ドラゴンを守る獅子とはいえ、まだほんの子どもだ。受けた衝撃は、自身の役目も相まって大きいだろう。元はと言えば、目を離してしまったアジュガが悪いというのに。
「幸せに、生きて欲しい……」
腕の中で眠るのセキを見つめながら、気づけば口からそう零れていた。
*
久し振りに見た友人の顔は、酷く歪んでいた。
「何を言っている……?」
先程アジュガが告げた言葉を、上手く呑み込めていないようだった。
「王族を許すのか?」
「そんなわけないだろ。今だって憎んでいるし、根絶やしにしてやりたいと思う」
「ならどうして!」
フレグの混乱は当然のものだ。だが、フレグに事情を伝えるわけにはいかない。ドラゴンの娘が自分のところにいると、伝えてはいけない。頭の良いフレグなら気づいてしまうかもしれないが、少なくともアジュガからは言えない。
「君が言ったんじゃないか!王族を倒そうと!」
「そうだな」
「それをやめるのか?君が?」
「……少なくとも、今はその気がない」
「ふざけるな!!」
フレグはアジュガの胸倉を掴み上げる。
「今までいったい何のために努力してきたんだ!」
きっとフレグは、自身についてだけではなくアジュガについても言っている。危険を冒して、禁書保管庫にまで足を踏み入れ、追われる身になってでも、成し遂げようとしたアジュガの今までを想ってくれている。
「悪いな。だが決めたことだ」
気の合う友人だった。二人でなら何だってできそうな気がしていた。
それでも今、アジュガにとっては王族を倒すことよりも、子どもたちを無事に育てることが大事になっていた。
(フレグ、子どもたちが育った後、俺はまた王族を倒すことに集中する。ジルトのためにもそれは必要だ。
その時はまた――)
今ここで、どうなるかもわからない未来の頼み事はできない。
アジュガはフレグの手を振り払って、ワープを使ってその場から消えた。
そしてすぐに、最北端に結界を張った。フレグが追って来られないように。だが、自身についているはずの座標を剥がすには、もう少し時間がかかりそうだった。
*
その後の生活も安全とは言えなかった。
中央では何故か家出中の王族の子どもに遭遇し、王宮への護送車から脱走する子どもを助けた。
どちらもジルトと同じくらいの歳の子で、特に自身と同じ道を辿るであろう後者は放ってはおけなかった。
「君、逃げて来たのか?」
「うん、だって、マスハのところに行けると思ってたのに、違うって言われたんだ」
「マスハ?」
「俺の妹。ずっと前に、王宮に連れてかれて、それから会えてない」
(妹がいるのか、厄介だな)
ここでアジュガが保護するのは簡単だが、場合によってはその妹が危ない目にあう可能性がある。
「君、つらいかもしれないが、馬車に戻るんだ」
「どうして?!」
「妹に会いたいだろう」
「会いたい。でも、会えないって言われた」
「ああ。だが、今ここで逃げたら妹には一生会えない」
「どうしたらいいの?」
金色の瞳がじっとアジュガを見つめる。
「ドラゴンの娘は知っているかい?」
「うん。父様がよく話してくれたんだ。ドラゴンはこの国の護り神で、その娘もきっと素晴らしい存在だって。誇り高い生き物だって」
「そうか。なら、彼女を信じて待ってるんだ」
縋るものがあれば、生きる糧となる。ジルトを引き合いに出すのは避けたかったが、元々ドラゴンを信仰する家系のようだから、これが手っ取り早かった。
「でも、本当にいるの?」
王族が血眼になって探しても見つからない。そもそもドラゴン自体、伝説上の生き物だと考える者も多い。何か、証明するものが必要だった。
「いるよ」
アジュガは目につけていた魔法の道具を外し、赤い瞳をさらした。
「これが証拠だ」
「赤い、瞳。本当に、ドラゴンはいるんだね」
きらきらとした瞳で見られると、今まで忌み嫌ってきたこの目の色にも価値があるように思える。
「ああ、そしてきっと君を助けてくれる」
「でも、その子が危ないよ」
目の前の少年はいたって普通の少年だった。ドラゴンの娘と言われれば、父の息子であった自身と同じ年代を想像する。
「ああ、そうだね」
実際に、ドラゴンの娘は危ない目に遭うだろう。少年を助けようと、助けまいと、王族がいる限り危険はつき纏う。
けれど、その子は、危険を承知でも、他人を助ける。幼いながら、友達を助けるために無茶をする子なのだ。
「だけど彼女は、それでも助けてしまう優しい子なんだ」
だから、自分がしなければならない。アジュガは馬車の中に少年を戻して、心の中で必ず救いに行くと誓った。
他人のことは気にしていられなくなったのは、中央に来て一年も経たない頃だった。
ジルトが、誰かからネックレスをもらってきた。それも、赤い魔力の結晶が埋め込まれたものだ。
(ドラゴンは眠っている。魔力の源は王宮。あの赤い石は、ジルトのものだ!
六年前のあの事件の時、暴走した魔力が固まってできたのか?!だとしたら、どうしてそれを持っている?あの場に他の誰かがいたのか?)
当時はジルトを止めるのに必死だった。基本的に人の来ない北部で、周囲の警戒に回す力はなかった。
(直ぐにでも北部に戻りたいが、滞在時間が短すぎる。丁度北部への調査団が帰ったタイミングで戻るのも怪しく見える。少なくともあと一年はここにいる必要がある)
本来であれば、もっと長い時間をかけるつもりだった。今は北部に意識が向いているため、隠れるにも、情報収集をするにも中央は適していた。
幸いにもネックレスを渡した者からの接触はなく、二年の滞在後に無事に北部に引き返すことができた。
数年は穏やかな時を過ごせた。ジルトの記憶は戻らないものの、魔獣の遺骸のある場所に何か感じるものがあるのか、時間があるとそこに行っていた。もしかしたら、何か自身の記憶の手がかりを取り戻せるかもしれない。
セキとの別れは悲しかったが、その最期を見届ける前に、ついにジルトの存在が露見した。それも北部をさ迷っていた、外国の老人と話したことが原因で。
(そんなことがあるのかよ!)
ジルトの記憶が戻るのを待っていられなくなった。アジュガは急いでアセビと準備をして、何とか三人を魔の山に逃がすことができた。元より、ジルトが学校に入学する年になったら、魔の山に引き上げるつもりだった。その時期ならアジュガ達が姿を消しても怪しまれないからだ。
先の魔獣の捜査で、座標をつけていたのか、王宮側の者が来るのは早かった。それでも世話になった住人には、中央に行くのだと挨拶をすることができた。これで、もし何かあってジルト達が北部に戻って来ても王宮に突き出されることはないはずだ。
追手を巻きながら逃げていたところで、爆発音が聞こえ、背後から大きな衝撃を受ける。
「アジュガ!!」
アセビの声がとても遠く聞こえる。
「アジュガ、ようやく結界を解いたと思ったら、この様か?」
懐かしい、友の声だ。
だが、アジュガ自身についた座標は、もう効力が切れていたはずだ。どうやってここがわかったのだろうか。
「何をしてるんだ?!こんな無様をさらすために、俺を切り捨てたのか?!なあ!!」
ぼやけた視界に映るフレグは、知らない人のような顔をしていた。
「この、裏切り者め!何とか言えよ!!」
声をかけてやりたいが、喉が熱くて言葉が出ない。
「主人、落ち着いて、お身体が……」
フレグの研究施設の職員だっただろうか、聞いたことのある声だ。
「アジュガ!ああ、アジュガ!」
近くに来てくれたのか、アセビの声が先ほどよりははっきりと聞こえる。
「ア、セビ……逃げろ」
「嫌よ!あなたを置いて逃げるなんてできないわ。私だけではあの子たちを守れない……」
そんなことはない。アセビがいるだけで、あの子たちはいくらか安心できるだろう。だが、ここから子どもたちのところに向かうことはできない。後をつけられでもしたら終わりだ。
だからせめて逃げて欲しいのに。そう伝えることもできず、アジュガは意識を失った。
気がついた時には牢に入れられていた。色々と訊ねられはするものの、魔力を抑える器具をつけられているとはいえ、魔力も強大なアジュガに対して強引に出られる者はいなかった。口を割ることもなく、退屈な日々をアジュガは牢で過ごした。
アジュガがまだ殺されないのは、きっとドラゴンの娘が見つかっていないからだ。その事実にアジュガは毎日安堵する。
だがもう、それも終わりだろう。
騒がしい衛兵たちの会話から、ジルトがドラゴンの娘であることは露見している。
そして、この国の全員に共有されたであろう、過去の記憶。王族は焦ってどうにかしようと考えているはずだ。用済みのアジュガはすぐに消したいだろうし、その存在を確認したことで、アジュガを餌にできそうだと考えているかもしれない。
(あの馬鹿は、アセビを見つけ出しただろうか)
せめてアセビだけでも助かってほしい。この期に及んで貴族の特権を振りかざしてでもアセビを救い出せないような奴なら、死ぬ前に殺してやろうかとも思う。
(ああ、ジル、レオ、モーリ。どうか無事に生き抜いてくれ。
俺の大事な子どもたち)
フレグはアジュガが捕らえられた時、気絶しています。アジュガの弱まった結界を無理やり破った上に、強力な攻撃の魔法を使ったので、あの場ではほぼ気力で叫んでいました。
続きます。




