ルエスと魔女③
人間の背中が遠くなっていくのを、ルエスは地面に伏せたまま見ていることしかできなかった。
きっと自分は死ぬのだろう。愛しい魔女にもらった石を大事にすることもできないで。
考えなしに突っ込むべきではなかった。せっかくもらった石なのに、奪われてしまった。
すっかり晴れた空の下、ルエスの頬は乾くことなく濡れていく。そして彼の頬を伝った涙が落ちた時、赤い光が瞬いた。
(何だ?)
それは石だった。
魔女がくれた二つの石の内の一つ。
(まだ、一つは残った!)
ルエスはゆっくりと石を掴む。すると、温かな何かに包まれているような心地になる。
身体の傷は癒えないが、苦しさが軽くなって、手足を動かせる。
ルエスはこけそうになりながらも洞窟の中へと走った。
洞窟の中は、以前のように心地の良い場所ではなかった。外の冷たい空気が流れ込んていて、雨に濡れた体には寒すぎる。
「ルエス……?」
ずっと耳にしていた声が、聞こえる。
「い、生きてるのか?!」
ルエスは地面に倒れ込んでいる魔女に駆け寄った。
「ルエス、どうして、ここに」
「お前の、お前にもらった石が赤くなって……」
ルエスは手の平ににぎっていた石を見せた。
「悪い、一個奪われてしまった。お前にもらったものなのに……」
「ううん、いいの。一つでもルエスの手に残ったのなら……」
「これを握れ。そうすれば痛みが和らぐ」
ルエスは魔女に石を渡そうとしたが、魔女は受け取らなかった。
「私は、もう死ぬから……」
「死ぬ?なぜだ?まだ生きてるだろ!」
「人間は知ってしまったのよ、どうすれば魔女を殺せるか」
魔女は胸に手を当てる。そこにはぽっかりと穴が開いていた。そして、砕けた石があった。
「核、というの。魔女は長生きだけど、ここを破壊されたら死ぬしかない」
「そんな!」
「だから、その石で魔力を得ても、もう癒せないの。
でも、ルエスには……ああ、きっとあなたなら魔女は喜んで家に迎え入れたのに」
「何を言ってるんだ?おい、目を閉じるな!」
魔女のまぶたはどんどん閉じていく。本当に死んでしまうのだとしても、ルエスはどうしても今を長引かせたかった。魔女を失うのは耐えられない。
「もう、なくなっちゃった、全部。
痛めつけられて名を言わされたの。核を暴かれたの。姉さん、苦しかっただろうな……。人間はどうして、そんな酷いことできるんだろう。
魔女の住処は荒らされて、みんな殺されて。私達、何か悪いことをしたのかな」
赤い瞳からは絶えず涙が流れ続けている。
「でもね、ルエス、あなたに会えてよかった。
だって、私あなたに会えなきゃ人間は全員悪い人だって思ってたかも知れないもの。
ねえ、もう魔女の住処はなくなっちゃったから、私の名前を呼んでくれる?」
ルエスがずっと知りたくてたまらなかったものだ。ルエスは頷いた。
「レーネ。私の名前は、レーネ」
「レーネ、死ぬな。傍にいてくれ。俺は、お前がいないとだめなんだ」
「ルエス、好きよ」
「俺だってレーネが好きだ」
ルエスは地面に座って、レーネを膝の上に横向きに座らせる。もう体に力が入らないレーネを胸に抱きよせる。
「ルエス、抱きしめたって私は死ぬのよ」
「そんなこと言うな。お前が地面に転がってるのは似合わない」
「愛する人の腕の中で最後を迎えられるのなら、幸せかも」
「俺は、お前に何もしてやれなかった」
「そんなことないわ、ルエス」
レーネの胸にある石はどんどん形を崩していく。
「私、ここであなたとお喋りしてるのが一番楽しかったのよ」
「レーネ」
「うん」
「レーネ、俺はどうすればいい?お前がいなくなるなんて、考えたこともなかった」
「生きて、ルエス。生きてその石を見て、私を思い出して」
レーネはルエスの手を握らせた。中にはあの赤い石がある。
「私、それをあなたに渡せただけで幸せだわ」
「レーネ、行かないでくれ」
「ルエス、愛してるわ」
レーネの核が全て崩れ、砂のようになって何処かへ消えていく。
手の中にあったはずのレーネは、跡形もなく消えてしまった。
これが、魔女の最期なのだろうか。
「レーネ、本当に死んでしまったのか?俺を置いて、行ってしまったのか」
手の中に残った石が、またルエスの熱を蘇らせる。
「くそ!俺は!何もできないのか?!」
苦しさはないが、身体の傷は癒えていない。今すぐに山を下りて、レーネを殺した奴らを殺してやりたいのに、身体が思うように動かない。
「随分と激しい怒りだ。今の私には羨ましい程に」
ルエスしかいなかったはずの洞窟に声が響く。
顔を上げると、直ぐ傍に枯れ木が生えていた。
「お前が、喋ったのか」
「そうだ。喋る、という感覚は木である私にはあまりないがね」
「ならなぜ木が話す?」
「ドラゴンは全ての言葉を話せるからだ。いや、ドラゴンには意思を伝え、受け取る力があるからだ」
「ドラゴン?」
目の前の枯れ木がドラゴンとは到底思えない。
「ドラゴンはこの島の守り。この島に生きる者が代々ドラゴンを務める。
私はもう大地に還るので、元の姿に戻っているのだ。
後継はどうしようかと思っていたが、お前でも悪くないだろう」
「俺は人間だ」
「だからどうした?お前もこの島に生きている者だし、魔力に適性もあるようだ」
「俺が?」
「そうだ、お前に大きな力をやる。魔女にしたことへの恨みから人間を殺すのなら、力は必要だろう?」
木はただそこにあるだけだが、声には力がこもっていた。
「私としても、この島の自然と調和していた魔女を失ったのは悲しい。魔女は海神が目をかけていた種族でもある」
「だが、ドラゴンが人間を殺すのはまずいだろう」
「そうだな。私はそう判断し、特に手を出さなかったが、結果がこれとは悲しいものだ。
魔女が願えば、人間を滅ぼしてやってもよかったが、彼女達はそういったことを望まない」
そこでルエスはレーネがそう望むかを考えた。きっと彼女は人間が滅ぶことを望まないだろう。
それでもルエスの中で渦巻く怒りや悲しみはおさまらない。
「お前がどうするかは、お前が決めなさい。
私はお前の生命力ともいえる、その激しい怒りに惹かれてここに来たのだ。だから、私の力をお前に渡し、お前は次のドラゴンとなる」
目の前の木から強い力が流れ込んでくる。
「ルエス、安心しなさい。ドラゴンを支えてくれる者はいる。ドラゴンはこの島の王でもある。
まあ、もしお前が本当に悪いことをしたら、海神様が止めてくださる。
人間に虐げられ、魔女と親しくした、魔力に適性のある人間、ルエス。お前の思うままに、一度生きてみなさい」
*
黒い大きなドラゴンが、咆哮を上げたところで、アグノードの住民が見た白昼夢は終わりを告げた。
続きます。




