フレグ・ルナ③
過去を思い出すと自分がアジュガに裏切られたのだと悲しくなり、動けなくなってしまいそうで、ずっと遠くにおいやっていた記憶だった。
「はじめは、ドラゴンの娘が憎かった。
けれど、中央で君に会って、僕は君が愛しくなったんだ」
中央でフレグと会ったことは覚えているが、ジルトにとっては恐怖しか感じなかったできごとだ。
「どうして?」
「ドラゴンの娘はもっと強い存在だと思っていたんだ。それが目の前に現れた君はどこにでもいる普通の女の子で、怖い思いをさせたであろう僕に優しくしてくれた。
僕は、王族を倒してやりたいと思っていた、今もそうだ。だが虐げられる側の民をどうにかしたいとは思っていない。僕だってそうだったから」
フレグは剣を落とし、顔に手を当てた。彼の右目を取り囲む赤い模様が覆い隠される。
「そう、僕が君を傷つけるなんてあり得ない」
「いや、お前はジルを傷つけた」
レオはフレグの様子をおかしいと思いながらも警戒をとかずに言い返す。
「お前がジルにしたことは……!口にもできないほど、おぞましいことだ」
ジルトは記憶が掘り起こされるのを阻止しようと、頭を振る。
ここで受けたことはジルト自身を壊してしまうほどのものだった。ただみんなの元に帰りたいという、その願いだけがジルトを引き留めていた。
「傷つけてなどない。酷いことだったかもしれないが、彼女を守るためだ」
「守る?どの口が言ってんだ!」
「彼女がドラゴンの魔力を持つ限り、狙われ続ける。
それをもし切り離せたら……そう思わないか?」
レオには理解できない考えだった。ドラゴンの魔力が切り離されたところで、それを誰かが扱えるとは思わない。
ただ、ジルトが普通の女の子として暮らしていける未来は、とうてい無理なこととはわかっていながら、そう悪くはないとも思ってしまう。
「最初は瞳にその力があると思ったんだ。王族の持つ魔力の源は、本来この子の左目となるはずだった。
彼女の左目が普通の色なのはそこにあるべきものがないからだ。かわいそうに、本来の状態の目が揃わないことで、人の形を取っていてもドラゴンの目が適応していない」
歪なこの瞳の原因がそんなことだったなんて、ジルトは思いもしなかった。
「魔力を持たない人間なら、ドラゴンの魔力に干渉することなく、綺麗にその瞳を切り離せると思ったんだ」
元奴隷の男は、ジルトの目をくり抜くつもりだった。その時にされたことを思い出して、右目のまわりがずきりとした。
「それが失敗したから、君を攫ったけど、やはり上手くいかなかった。
ドラゴンの魔力は瞳だけじゃない、君の全身を巡っていた。だが具体的にそれがどこなのか、何を元にしているのかわからなかった。だから抜いて試した。何がなくなれば魔力は体に残らなくなるのか」
ジルトの体がカタカタと震えだす。その時の光景は、感覚は思い出さないようにしているのに、自分が何をされたのかを聞いて、ぞわぞわとした感覚が体内を巡る。
「ある程度中身が空になっても、ドラゴンの魔力は残り続けた。彼女の命をつなぐように。それは魔女の特性だったかも知れないけどね。
だから方法を変えた。感覚を断つ毒ならどうか?魔力を一点に集中させる薬は?魔法もいくつか使った。それでもダメだった」
ジルトの瞳から涙がこぼれる。
レオはそれを見て、すぐに抱きしめてやりたいと思った。耳を塞いで、この男の発する言葉から防いでやりたいと。
だが、一度雰囲気が変わったフレグは、また、異様な狂気を醸し出すようになった。この状態のフレグに背を見せる行為はできない。
「俺は気づいた。この子はずっと、強い意志をその目に宿していた。そこに鍵があるんじゃないかと思ったんだ。
だから魔法を埋め込むことにした。一つは、狼の半獣人と魔女の契約を利用した呪いの魔法。俺とジルニトラの意識を同調させる魔法。残念ながら君の意志が弱くなった時にしか入り込めなかったけれど、それで十分だった。もう一つは、完全にはかからなかった。逃げられてしまったからね」
フレグはやれやれと首を振る。
「俺がこの子にしたことは、全てこの子のためだ。傷つけたなんて言い方、して欲しくないね」
レオはもう我慢できなかった。
フレグに飛びつき、その首元を締め付ける。
「ぐっ!」
「何がジルのためだ、クソ野郎!!
どんな目的があったって、身体を傷つけられる行為が、精神を侵される行為が、許されるわけじゃない!それを受けて、普通の女の子が傷つかないはずねえだろうが!」
「レオ!やめて!」
ジルトはレオに駆け寄ろうとしたが、身体に上手く力が入らない。
「結局お前は、ジルをドラゴンの娘としてしか見ていなかった!普通の女の子を捕まえて、酷いことをして、それでも生き続ける姿を見て、ドラゴンの魔力の強さを思い知った、それだけだろ!
ジルのためだなんて言うんじゃねえ!お前がドラゴンの娘を恨むのも哀れむのも、全部お前の責任だ!お前はお前の意志でジルを傷つけた、それだけが事実だ!」
「は、離せ!」
「何も知らないくせに!一人の人間としてのジルを何も知らないくせに!知ったような口をきくんじゃねえ!
ジルを少しでも知っている人間なら、ジルのためにジルの意志を尊重する!たとえそれがどんなに危険でも、心配してしまうようなことだとしても、本人がそれを承知で進むのなら、手助けするだけだ。そしてその心配は、本人が危ない目に遭うのを防ぐことに回すんだ」
レオは何度も危険な目に遭わせてしまったことを思い出し、自分の不甲斐なさに手に力がこもる。
「ぐう!」
「あとは、それをやめると言った時に受け止めてやる。ジルのためにできるのは、それだけだ」
レオは力を抜いた。
(こんなことをしても、ジルは喜ばない)
そこを狙って、フレグがレオを焼こうと、魔力の塊をぶつけようとした。いくら火の性質といえども、魔力を吸収できないレオは、自身の火以外で火傷を負う。
「炎盾」
静かな声が響くと、レオの前に炎の盾が浮いていた。それはフレグの魔力を吸収してから姿を消す。
「ジル」
落ち着きを取り戻したジルトは、レオの後ろに立っていた。体はまだ震えているようにも見える。
「私を、守ろうとしてくれてありがとう」
「ジル、こいつは!」
止めようとするレオに、ジルトは首を振る。
「私にとって、あの時のことはずっと怖いことのままだけど、あなたは私のためだと思ってやってくれたんだよね?」
「ああ、そうだ!」
「けれど、私はそれを嬉しく思わない」
ジルトははっきりと言葉にした。
レオの下敷きになっているフレグの表情が強張る。
「私は、私の意志で、ドラゴンの娘として、王族と話しをするつもりだよ」
「危険すぎる!」
「大丈夫。私はもう、力を使えるようになったの」
学校で力を暴走させておいて言えたことではないが、それでもジルトはそう言う必要があった。
「私は大丈夫。誰かに利用されて、傷つけられたりしない。
あなたは王族を倒したいと思ったんでしょう?私は、王族を倒すつもりはないけど、今行われている酷いことはやめてもらえるように言うつもり」
「耳を傾けるわけがない!」
「本当にそうかな?魔力が欲しいのなら、きっと話は聞いてくれると思うよ」
もしその結果、王が拒んだのなら、ジルトは力を行使するだろう。
それは悪いことなのかもしれない。力で人に言うことをきかせるなんて。
けれど今ではその覚悟もできている。
(私を殺そうとした矢を、サクラが受けてしまった)
――ジル――
耳に残る優しいサクラの声に、また涙が出る。
「私は、大切な人が傷つけられるのは嫌。何の罪もない人が酷い目に遭うのも、将来を諦めてしまうのも嫌だ。私に使えるものなら全て使って、私のわがままを通して見せるわ」
――大丈夫だ、お前は正しく力を使える――
レオの言葉を、それに賛同してくれたみんなを、ジルトは信じている。
「私は、そうしたいと思うの。
だから、もしあなたが私のことを想ってくれるのなら、私を助けて欲しい」
「……君が力を使うとなれば、その力で誰かを傷つけてしまうかもしれないよ?」
「そんなことはしないわ。絶対に」
言い切って、不安になる。もしかしたら、ジルトの考えの及ばない範囲で、誰かが傷ついてしまうかもしれない。それでも表情には出さない。
しばらくフレグとジルトは目を合わせたまま逸らさなかった。先に折れたのはフレグの方で、視線を外すと全身の力を抜く。
「君は、とても強い子なんだね。
僕は、目的を見失っていた。いや、その目的を失わないようにするために、必死に取り繕って、君を弱い存在のままにしたかったのかもしれない」
レオはフレグの上から退く。
「酷いことをして、君を傷つけてごめんね。
俺は今まで、いったい何をしていたんだろうか……」
フレグの顔は憑き物が落ちたかのように穏やかで、寂し気だった。
身体を起こして立ち上がると、ジルトとレオに向き合う。
「封じられていた魔力は解放されたけど、君はまだ完全には覚醒していない。ドラゴンのところに行かないと」
「完全な覚醒って、何?」
「ドラゴンに会えばわかる。もしかしたら、君にとっては少し悲しいことかも知れないけれど」
フレグはジルトを気遣うように表情を歪めてから、そっとジルトとレオに触れる。
「君なら、受け止められると信じているよ。
ジルト・レーネ。また、会おう」
フレグはワープの魔法を使い、ジルトとレオを魔の山に送り返した。
続きます。




