ドラゴンによる歪
「だから私、一度国王に会って、話をしてみようと思うの。それまでに危ない目に遭うかも知れないってことはわかってる。でも、私のせいで今酷い目に遭っている人もいるのに、私がそんなことを怖がっちゃだめだと思う」
「バカなこと言ってんじゃねえ!ジル!お前も、お前を唆した妖精も何もわかっちゃいない。人間がみんな話せばわかるやつだとでも思ってるのか?!」
レオがジルトの肩を強く揺する。それでもジルトは引かなかった。
「だって!こんなこと知ってしまったのに、ずっとここで楽しく暮らしてなんていけないよ!」
「いいんだよ!お前のせいで起きてることなんて何一つない!イルも言ってただろ。何もかもお前のせいじゃない、お前をだしにして好き勝手やってる奴らが悪いんだ」
「そうだとしても、私が行けば解決するかも知れないのに!少なくとも酷い目に遭う女の子は減る!」
レオが何とか説得しようとしても、ジルトは首を縦に振らなかった。ジルトは元々頑固な方ではない。それでもここまで食い下がるのだから、レオには口先でその意思を変えることは不可能だと思えた。
ジルトの肩を離し、小さく溜息をついて立ち上がった。
「モーリ、お前はどう思う」
「え、僕?」
ずっと黙っていたモーリは少しの間考えた。
「僕は、ジルの好きなようにすればいいと思う。もしジルが行くなら僕だって着いて行く」
彼の答えはそうだった。
レオはそれを聞き、そうかと呟く。
「わかった。なら今夜、俺について来て欲しい。会って欲しい奴がいる。もしそれでもお前らの意見が変わらないなら、俺も考える」
それだけ言って、レオは元の席に着く。食事が終わるまで、誰も何も話せなかった。
*
夜になった。春の入り口は、日差しがなければまだ寒い。コートを羽織って、三人は外に出た。夜の森はしんとしていて、安らかだった。
「行くぞ。足元には気をつけろよ」
月明かりを頼りに緩やかな山の傾斜を登っていく。ジルトが数日前訪れた妖精の住処を通り越し、どんどん上へと進む。次第に木々が目立つようになり、大きな森の前で、レオは足を止めた。
その森はところどころ木がなぎ倒されていた。何か刃物で切られたのではなく、何かがぶつかって折れたようだった。
「二人は少し下がってろ」
レオに従い、ジルトとモーリはレオから離れた。それを確認して、レオは言葉を呟いた。
「火よ、土の下の火よ」
ぼっとレオの手に炎が浮かぶ。それは普段湯を沸かしたり、肉を焼いたりする時に使う炎とは違う色をしていた。黒く、それでいて強烈な光を放っている。しばらくすると、森の奥に青い炎が浮かび上がった。それはゆっくりと近づいてくる。
「ああ、やっと来たのか」
森の奥から響く声に、その場の三人は聞き覚えがあった。ジルトとモーリが顔を見合わせる。
「動くなよ」
レオに言われて、何とか駆け寄るのを耐えるのに必死だった。
「ふ、レオ。久しぶりだな」
森から現れたのは、角を生やした人だった。いや、それを人は鬼と呼ぶ。
「ああ、本当にな」
レオは軽く答えるが、ジルトとモーリは衝撃が強すぎて言葉も出なかった。角を生やし、牙の覗く口から涎を垂らしたその鬼は、少し先に孤児院を出て学校に行ったはずの少年にあまりに似すぎていた。
「セキ、待たせたな」
レオの言葉でそれが確定する。
セキという少年は、ジルトとレオの二つ上で、よく食べる少年だった。少なくとも孤児院に居た頃は鬼になどなってなかったはずだ。
「もう待ちくたびれたぜ。獣の血を啜っても腹は減ったまま、目もどんどん見えなくなるし、俺は一人じゃ死ねないからな。人が来ないおかげで理性がぶっ飛ぶことはなかったが、やっぱり衝動ってのは日に日に強くなっていきやがる。今にもお前を食らってしまいそうだ」
ふらりふらりと揺れる体を木で支えるセキ。しかし支えとして握ったはずの木はめしりと音を立ててへこむ。それだけの力があるのだろう。
「イルは残酷だな。そりゃ孤児院での生活は楽しかったさ。でもこんな想いするくらいなら、出会った時に殺してほしかったぜ」
「だから俺が来たんだろ」
「ああ、そうだったな」
淡々と進んでいく二人の会話についていけない。モーリは泣きそうな顔でジルトの腕にしがみついた。
「……何か、言いたいことはあるか?」
「ん?やぁ、何も。……ああ、人食いの鬼に産まれた割にはいい人生だったよ。人として死ねる。それだけでも儲けモンだな。食人衝動が出るのが十六でよかったよ、あいつらともいい別れができた」
「……そうだな」
レオはセキから視線を外す。それはもうほぼ視界がかすんでいるセキにはわからなかった。
「よし、言い残すことはない。とっととやってくれ。ちゃんと地獄の炎、出せるんだろうな?」
「大丈夫だ。一か月ほど前に呼び出せた。もう使いこなせる。痛みなんて感じねえよ」
「はは、優しい奴だな」
セキが木を離して、両手を大きく広げる。
「やれ」
その言葉を合図に、レオは黒い炎をセキに放った。火はあっという間に広まり、セキを包み込んだ。
「ああ、心地いい。ありがとな、レオ」
――終わらせてくれて――
その言葉を残して、セキは真っ黒な灰になった。
闇の中不気味に輝いていた炎は役目を果たしてふっと消えた。
「う、わぁぁぁぁ!!!」
ジルトにしがみついていたモーリが急に泣き出した。ジルトも、糸が切れたかのようにその場に座り込む。
自分はいったい何を見ていたのだろう。
「二人とも、よく我慢してたな」
「レオ、さっきの、セキ、だよね?」
あふれ出してくる涙で視界がぼやける。ゆらゆら揺れたレオがそうだと答える。
「セキは人食い鬼の子だ。人間がドラゴンから魔力を授かった時、歪で人から変えられてしまった一族の最後の一人だ」
「そんな……どうして、そんなこと」
「随分昔の話だ。イルも詳しくは言わなかった。だがジル、セキのようにドラゴンによって歪められてしまった人間はこの国に他にも存在する。セキはお前のことを怨んじゃいなかったが、他の奴らがそうとは限らない。お前の責任じゃないのに、ドラゴンの娘だからとお前がその怨みを向けられることもある」
ジルトが瞬きをする。溜まっていた涙が流れ落ち、クリアになった視界に映ったレオは、泣いていた。魔法の影響なのか真っ黒い涙が、片方の目から伝っている。
「なぁ、ジル。それでもお前は、この山を出るのか?」
レオの泣いている顔なんて初めて見た。明るい月を、今日ほど恨めしく思ったことはない。ジルトは蹲るモーリをぎゅっと抱きしめた。優しくその背を撫で、モーリが落ち着いたところで、顔を上げてレオを見る。
「行くよ、レオ。私は、その怨みも受け止めたい。何故そんなことが起こったのか知りたい。今起きている悲劇をなくしたい」
レオは涙を流したまま、笑った。柔らかく、儚い笑顔だった。
「そうか。いや、そうだよな。ジル、お前はそういう奴だったよ」
レオは顔を拭って、モーリとジルトに歩み寄った。そしてそのまま二人を抱きしめる。
「俺も行く。どんなに敵が多くても、お前がそれを承知の上でも行くなら、俺はお前を守るために力を尽くすよ。お前らを失いたくはない」
身を寄せ合って互いを慰める三人を、月明かりが優しく見守ってくれる。その月の光は、セキの額に浮かんでいた炎と同じ色だった。
続きます。