急襲
カトレアはある所でようやく足を止めた。
「ここは、クラブ?」
短期の休暇以外、クラブは週一回しかない。今日はその水曜日ではないので、クラブはないはずだ。
「1015、入る」
カトレアはジルトの言葉に答えることなく、隠し部屋を開き、ジルトを連れて中に入る。
「すまない、ジル。ここまで何の説明もなく、怖かっただろう」
カトレアはブレザーのポケットから丸い石を取り出した。薄い金色の石は初めてみるが、それが何なのかすぐにわかった。
「レオの……懐炉だ」
今までレオが懐炉を作っていたのを見たことはないが、作れるようになったのだろう。
カトレアから受け取って両手で包むと、意思は淡いオレンジになりじんわりとした温かさが伝わってくる。
「きっとこういう状況に置かれたジルは、不安になるはずだからと」
寮へ帰る時はいつもみんなと一緒だった。
今日は手伝いでジルトが遅いので、みんなで待っていてくれていたのだろう。
「ありがとう」
レオの優しさを感じ取って、ジルトは少し落ち着いた。
「カトレア、何があったの?」
「私にもあまりよくわからない。
今、テアントルの周辺で二つのことが起きている。
一つ、元ドラゴンの娘候補――つまり、昔から王宮が目をつけていた少女が近くで目撃された。学生のうち誰かが告げ口をして王都にまで話が届いた。それが今日の昼の話で、今、その子がテアントルに現れ、王宮から遣わされた騎士がその子を追っていて、校内は騒然としている。
二つ、騒動に生じて白いローブの集団が現れた。学生や騎士を見境なく攻撃して、ジル、君を探している」
白いローブと聞いたところで、ジルトの体がふるりと震える。
ジルトを攫った研究室にいた人はみな、白いローブを身につけていた。
「ジル、大丈夫だ、落ち着いて」
カトレアはそっとジルトを抱きしめる。
「ここはクラブの人しか知らない。君の敵になるような人は知らない場所だ。
そう、ゆっくり息をして」
知らぬ間に浅くなっていた息が、徐々に元に戻っていく。
「ありがとう、カトレア。もう大丈夫」
手の中にはレオにもらった懐炉もある。
少し顔を上げてカトレアの顔を見てお礼を言った。
次の瞬間、カトレアの体は遠くへと吹き飛ばされてしまった。
「カトレア?!」
ジルトの目の前にはカトレアを吹き飛ばしたであろう大きな植物の根があって、カトレアがどうなったかを確認することができない。
「懐かしいねえ」
背後で聞こえたのは、ジルトに恐怖を与えるあの声だった。
「ジルニトラ、会いに来てしまったよ」
ゆっくりと振り返った先に、あの男が立っている。
金色の髪に黒い瞳。顔には新たに、赤い模様が彼の右目を取り囲むように浮かんでいる。
「ああ、先に捕まえておかないと」
恐怖で固まったジルトに植物の根が伸び、四肢を巻き取っていく。
「う、ああ!」
両腕が後ろに回り、根によって足首と結び付けられてしまう。無理な体勢にジルトは思わず声を上げた。
「ああ、かわいそうに。痛かったかい?」
男はジルトに手を伸ばす。
「嫌だ!来ないで!」
身体の自由が利かない状態でこの男を目にすると、研究所での日々を思い出して、ジルトの心は一気に恐怖に包まれる。
(大丈夫、大丈夫。あの時とは違う!!)
わかっていても、身体が思うように動かない。
「ああ、そんなに怯えて……今楽にしてあげよう」
男の手がもう少しでジルトに触れるというところで、ジルトの目の前に氷の壁が現れる。
「――氷盾」
水の性質の盾は流水盾。その名の通り、流れる水が盾となる。
だがジルトの前の壁に見えるほど大きな盾は、硬くつるりとした氷でできていた。
「これはこれは。流石に独自の魔法を持つ者は強いね」
「ジル、行こう」
男の言葉を無視して、カトレアはジルトに絡んでいた根に触れる。根は一瞬にして氷漬けとなり、カトレアが氷を弾くように触れると、ガラガラと音を立てて崩れた。
「カトレア、腕が――」
彼女の左腕は肘から下が真っ赤に染まっていた。
「大丈夫だよ、深く切っただけで、損傷はない。
それよりここから出ないと。上に出たら敵が増えるけど、あいつはワープが使える。触れられたら終わりだ」
「うん」
クラブの者以外入れないと思っていたが、あの男は入ってきてしまった。
外には少女を捕まえに来た王宮の騎士がいるが、まだジルトの正体が露見したわけではない。男に連れ去られてしまうよりは安全だ。
「それはどうかな?」
男の声が鮮明に聞こえる。
氷の盾を挟んでいたはずなのに、その盾は真ん中に大きく穴が開いていた。穴からは水がしたたり落ちている。
「これでも魔力は多い方なんだ」
地の性質を持っているように考えられたが、ジルトと同じで複数の性質の魔法を扱えるだけで、本来の性質は火なのだろう。穴はどんどん広がり、氷が解けていく。
「ジル!」
「炎盾!」
咄嗟に魔法を使ったが、ジルトに向かっていた根はスピードが速かったせいか、盾に当たって燃えたものの、ジルトは勢いを吸収できず飛ばされてしまう。
「うっ!」
壁に頭を打ち付けたジルトは一瞬目の前が暗くなったが、どこかを切ったわけでもないようなので、慌てず視界が落ち着くのを待つ。
「ジル!」
カトレアがすぐに駆け寄って来てくれたのがわかった。
「幸いにも出口に近い。本当なら落ち着くのを待った方がいいが、私が君を運んで出る、いいね?」
「うん」
自分がどこに飛ばされたのか視認できなかったが、もしカトレアの言う通りなら不幸中の幸いだ。
「おや?どこに行くんだい?」
ゆったりとした足音が近づいてくる。
「せっかくこんなに楽しい状況なのに……ねえ?カトレア王女」
ジルトを起こそうとしていたカトレアの動きがぴたりと止まる。
「な、にを――」
「俺に怯えて、傷つけられて、かわいそうなジルニトラ。普通の人間なら胸が痛むだろう。
けれど、君は喜んでいるんじゃない?」
「何を、言っている」
「君には王の気質がある」
「黙れ!」
カトレアの取り乱しているところはなかなか見ない。彼女が平静を失うのはいつだって、王族関連の、王の気質の話だ。
「おや?ジルニトラには心当たりがないみたいだね、なら教えてあげる」
「やめろ!!」
少しずつ視界が戻って行く。
カトレアが男に攻撃をしたのだろう姿がぼんやり見えるが、男は何でもないように体を動かしてかわしただけだった。
「王宮にはね、奴隷がいるんだ。ドラゴンの娘に関する予言がされる前からね。
かわいそうに、魔力が全くない人間は、色々と理由をつけられて王宮で労働を強いられているんだ」
それはジルトも知っていることだった。
実際に最初にジルトを攫い、危害を加えようとした男は奴隷だった。
「カトレア・オーキー。彼女は幼い頃、王族としてその奴隷たちの住処を見学した」
またカトレアが男に攻撃をしたようだが、男はまだ余裕そうにしている。
「そして、そこを管理する者達に倣って奴隷に鞭を振るった。
それだけなら何もない。王族ではそういったことは誰でもする、させられるからね。
たいていの者は抵抗を見せる。でも彼女は、初めて奴隷を鞭打った幼い王女は――
――笑ってたんだ」
からん、と隣で音がする。
もうほとんどはっきりしたジルトの視界には、床に落ちた氷の柱が見えた。
そのまま顔を上げると、男とジルトの間に立っているカトレアの横顔が見える。
いつもは凛として涼し気な表情をする彼女が、眉を歪め、瞳を潤ませていた。
(カトレア……)
――ジル、私はいい人ではないんだ――
――いつか――いつか、私の罪を告白する。その時は聞いてくれるだろうか?――
ビジウムを退けた後、カトレアはそう言っていた。
(さっきの話が、そうなんだね)
「ジル……」
ジルトの方を見たカトレアの頬には涙が伝っていた。
「ごめん、本当に、ごめん。私は、君の隣にいていいような人間じゃないんだ」
「カトレア!!」
男に完全に背を向けたカトレアは気づかない。男がカトレアに向けてナイフを投げようとしている。
「炎盾!」
カトレアと男との間に盾を出すが、先の尖った植物の根がその横をすり抜けてくる。
(ナイフは囮!)
流石に魔法の展開が間に合わない。
だが、ジルトが思うような事態にはならなかった。
「何ぼさっとしてる!死にたいんですか?!」
聞き覚えのある声が室内に響いた。
続きます。




